ウイスキーと、ハイボール。
「○○したことないの? 人生の半分、損してるよ」
この言葉を言われると、相手との心の距離が3cmくらい離れる気がする。
言葉にしてみると自分でも笑っちゃうんだけど、「わたしの人生の半分に値するものを、他者に決定されたくない」と思ってしまうのだ。
(『理屈屋・天邪鬼・なぞの反骨精神』という3つの気質を拗らせている)
相手だって冗談(もしくは言葉の癖)で言ってるだけで、本当に「人生の半分、損」と思ってるわけじゃないことは重々承知なので、これで誰かを嫌いになることはないけれど。
◇◇◇
「人生の半分、損」を一番言われたのは、お酒に関してだ。
学生時代にアルバイトしていたジャズ喫茶で、ウイスキーを片手に音楽を楽しむ常連さんたちに散々言われた。
「イチコちゃん。お酒を飲めないなんて、人生の半分、損してるよ」
この言葉を聞くたびに、ですよねーなんて笑いながら、『いや、わたしの人生の半分を占めるものは、わたしが決めるから』と心のなかで悪態をついていた。
(もう一度言うが、『理屈屋・天邪鬼・なぞの反骨精神』という3つの気質を拗らせているうえに、当時はそこに“若さ”がプラスされていたので、さらにたちが悪い)
お客さんたちはウイスキーを片手に、会社で年下の上司ができたこと、家族との会話がないこと、妻の病気が進行していることなどを、娘くらいの年齢のわたしに、ぽつり、ぽつりと語っていた。
わたしは、お水に一滴だけウイスキーを垂らしたものをちびちびと舐めながら、ぽつり、ぽつりを聞いていた。
◇◇◇
十年経ったいまでもわたしは、下戸のまま。
ただ、あの頃舐めていたウイスキーのおかげなのか、ハイボールの味は好き。
お店で夫が注文したハイボールをひとくちだけ貰って、喉で弾けるシュワシュワを楽しんでいる。
当時のお客さんに再会したら、「イチコちゃん、まだまだだね」と笑われてしまうかな。
肩に背負っている荷物を、ほんの一時足元に下ろす。そんな時間を大切にしている人達に心のなかで悪態をつくような若さは、きちんとあの夏に置いてこれたと思うのだけど。
今でも、お酒がなくたって、自分やお客さんたちの人生が半分損だったなんて、ちっとも思わないけどね。
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