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私のこと。


わざわざ、声を大きくして
語ることではないけれど、ここだけに、
これを読んでくれてる方々にだけ
『私』とはどんな人なのか? を 
書いておこうと思います。

隠していた部分もあるので、
以前と言ってること違うじゃん!ってところも
あるかもしれません。
ご理解いただけると幸いです。

また拙い文ですが、気楽に読んでいただけたら
とっても嬉しいです。


東京都出身で生まれも育ちも東京。
四人兄妹の、末っ子として育ちました。

中学生になるまでに両親が離婚し、そこからさらに親が別居。
思春期はおばあちゃんと一緒に迎えました。

兄とは約10歳差、1番近い姉でも4つ。
姉とも歳が離れていたぶん、当時は喧嘩三昧。
親が家に居なかった私は、親から教わるようなこと、例えば女の子の体の変化などを誰にも聞けずに泣きながらおばあちゃんに相談をしてました。

当時は親が家に居ないことをとても惨めに感じていましたが今ではおばあちゃんが育ててくれたからこそ昔の文化や知れたことも沢山あって
貴重な経験ができたと胸を張って言えます。


ただもちろんそんな環境で育ったわけですから、
グレまくった時期もありまして(笑)

沢山の人と意見が合わずに衝突したり、
バカして人に迷惑をかけたり、何もかもが嫌になって人から遠ざかったり、若いなりの失敗を沢山してきました。虐められた経験もあります。

どうしたらその環境をよくすることができるのか
うまく解決策を見つけられなかった幼い私は
人生を辞めるしかないのだと何度も考えました。
(気づいている方が多いと思いますが私の二の腕にある傷はその時のものです)

けれど、おばあちゃんや周りの人たちが
『私』という存在を理解して、手を差し伸べ、
支え、助けてくれて、優しくしてくれて。

その時にはじめて、
『相手を理解すること』の大切さを知り、
そして同時に『私を理解してもらうこと』
の大切さも学ぶことができたのです。

だから周りの環境にはとても感謝をしていて
『相手を理解できる人』になれるように、
日々汲み取るように、過ごしています。


モデルをやろうと思った経緯としては
元々美容師/ヘアメイクとして活動していた時に
モデルさんと、肌色が近かったのか
テストシュートで代わりに入らされる事が
多く、カメラマンさんから

『君はこっち(モデル)側だと思うなあ』

と言われた事がきっかけです。

当時の私は『自分なんて』という気持ち、
『不特定多数に存在が知られるのが嫌』なこと、
創作することのが楽しく大好きだったので
全くというほど興味は湧きませんでした。

そんな中、過労で体を壊してしまい
美容師/ヘアメイクとして活動できなくなり
美容部員に転職するも、タイミング悪くコロナという流行病が蔓延し、化粧品を使ったお仕事はもう厳しいかもしれないとまで思いました。


そんな時ふと、昔に仲良かった友達づてに
『被写体』として活動されている方と
知り合ったことを思い出しました。

そしてタイミング良く、
その時繋がっていた方の投稿がふと
自分のところに流れてきたのです。

それを見て、元々写真自体が好きだった事、
ヘアやメイクを活かして表現できること

これまたタイミングが良く
撮影会からお声掛けいただけたこと、
全てが繋がり私は今こうしてモデル活動が
できています。

ここまで色々と繋がっていなければ
私はモデル活動をしていなかったと思います。


なぜなら私はスタイルがいいわけでもなければ
特別美人でもないし、誰よりも自分自身のことを『平凡』だと思っているからです。

ただモデル活動をはじめてから、
その『平凡』が、『写真にうつること』に
おいてはかなりの強みになる場合がある、とも
思えるようになりました。

そう思わせていただいた環境に感謝します、
本当にありがとうございます。

元々自分に自信は全くというほどないので、
今までもこれからもひっそりと、
私を撮ってくださる方々と記憶に残るような
撮影に行き、お互いにとっての
『素敵な写真』を撮れたらよいなと思っています


ここまで『私について』の長文を
読んでいただきありがとうございます。

まだまだ学ばせていただく事が多い私ですが
私なりに精一杯、周りの方々、写真に
向き合って活動をしていきますので
こんな『私』を、どうぞよろしくお願いします。


2022.11.28

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