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イノベーションの視点で見る、チキンラーメンとカップヌードルの魔法のラーメン発明物語

日清のチキンラーメンは、今年2018年で60周年を迎えます。

今回は、チキンラーメンやカップヌードルの発明を、事業開発とイノベーションという視点で見ていきます。

不屈のベンチャー起業家・安藤百福

世界で初めてインスタントラーメンの商品化に成功したのが、チキンラーメンであると言われています。

チキンラーメンを発明したのが、日清食品創業者の故・安藤百福です。安藤はインスタントラーメンの父とも呼ばれます。安藤百福は、今でいう典型的なベンチャー起業家でした。

焼け野原で見たニーズ

安藤百福には、誰でも簡単に調理できるインスタントラーメンへのニーズが見えていました。

安藤は、太平洋戦争の敗戦直後に焼け野原での闇市で、ある光景を目にしていました。屋台のラーメンに人々がつくる行列でした。1杯のラーメンを食べるために 20~30m ほどの長い行列ができていました。

並んでいる人は粗末な衣服しか身に着けておらず、寒さに震えながらラーメンを口にできるのを待っていたと安藤は述べています。安藤には、敗戦直後の人々の貧しい状況でもラーメンへのニーズが強く印象に残りました。

チキンラーメンの2つの強み

数々の試行錯誤を乗り越え、チキンラーメンは1958年に発売されました。

値段は、85g 入りで1袋35円でした。その当時、うどん玉1個で6円、普通の乾麺1個が25円でした。これらに比べるとチキンラーメンは高い商品でした。

チキンラーメンは人々から「魔法のラーメン」と呼ばれるようになりました。2つの価値を持っていたからです。利便性と高い栄養価です。

チキンラーメンは、簡単に作ることができるラーメンでした。「お湯をかけて2分でできるラーメン」と訴求しました (当時は3分ではなかった) 。

もう1つの価値は、チキンラーメンの栄養成分でした。チキンラーメンの鶏がらスープには、トサカや骨からの様々な栄養成分が入っていました。発売当時の厚生省は、チキンラーメンを妊産婦の健康食品と推奨しました。

発売当時のチキンラーメンのパッケージには、「体力をつくる最高の栄養と美味を誇る完全食」と書かれていました。

利便性と栄養食品としての品質、これがチキンラーメンの強みだったのです。

常識を捨て生まれたカップヌードル

その後、安藤はカップラーメンという新しい市場をつくります。安藤が発明したカップラーメンが、カップヌードルです。

カップヌードル以前は、インスタントラーメンはどんぶりに自分で麺を入れ、お湯をかけるという調理方法でした。カップヌードルはもっと簡単に調理できます。麺はカップ容器に入っているので、お湯を注ぐだけです。

カップヌードルの開発ヒントは、安藤がアメリカにチキンラーメンを売り込みに行った時に見たアメリカ人の食べ方でした。アメリカ人はチキンラーメンをいくつかに割り、紙コップに入れてお湯を注ぎフォークで食べていました。食べ終わった紙コップは、そのままゴミ箱に捨てていました。

日本では考えられない食べ方でした。インスタントラーメンはどんぶりに入れて箸で食べるというのが常識でした。

安藤はこの常識をゼロから見直しました。カップに、容器・調理器具・食器という3つの役割を持たせました。それまでの常識を捨てたからこそ、後のカップヌードルにつながったのです。

イノベーションは「未来の当たり前をつくること

安藤百福のチキンラーメンやカップヌードルの発明を、イノベーションという視点で見てみます。

イノベーションとは、「未来の当たり前をつくること」です。

逆に言えば、今はまだ当たり前になっていないことです。まだ存在すらしていないものを生み出し、普及させ、未来にはあることが当たり前になっていることを生み出すのがイノベーションです。

未来の世の中で当たり前のように受け入れられることは、それだけ人々のニーズがあったということです。

インスタントラーメンは今でこそ当たり前のように売られていますが、チキンラーメンが商品化される前は、ラーメンが家庭で簡単にできることは当たり前ではありませんでした。

カップヌードルも、容器にお湯を入れ数分待ち、そのまま食器にして食べられるというラーメンは世の中に存在しませんでした。今では当たり前のように食べられています。

安藤のイノベーション開発の動機が興味深いのは、単に「儲かりそうだ」といった気持ちからではなかったことです。

安藤の信念は、今の社会になくても、それがあれば社会はよりよくなるという強い思いでした。社会の問題解決を自分の使命とし、市場をつくり、ビジネスにしたのです。

世界が安藤百福に送った賛辞

安藤百福は、チキンラーメンやカップヌードル、様々な派生商品を日本だけではなく世界に展開しました。安藤はラーメンを世界の食べ物にしました。

晩年は宇宙食としてのインスタントラーメン開発にも安藤は取り組みました。2005年に宇宙食ラーメンの「スペース・ラム」が、宇宙飛行士の野口聡一氏も搭乗したスペースシャトルであるディスカバリーに持ち込まれました。

安藤の死後、ニューヨークタイムズは社説で安藤の功績に最大級の賛辞を送りました。社説は「Mr. Noodle」というタイトルでした。

Ramen noodles have earned Mr. Ando an eternal place in the pantheon of human progress.
 (ラーメンにより、安藤氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めた)

Teach a man to fish, and you feed him for a lifetime. Give him ramen noodles, and you don’t have to teach him anything.
 (人に魚を釣る方法を教えればその人は一生食べていける。人に即席めんを与えればもう何も教える必要はない)

参考:Mr. Noodle|New York Times

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