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一歩踏み出せた自分へのラブレター

「私、銀行を辞めます。」
今年の6月に上司に伝えた言葉。

「えっ?どうして?20年以上のキャリアもったいないのに。」

予想通りの回答が返ってきた。

私は短大卒業後20歳で銀行に入行。
主に融資、住宅関連の業務をこなしてきた。

何故、銀行に入ったのか?
たまたま、小さい頃に始めた「そろばん」が私は大好きだった。
好きなことは夢中になれる。
2段まで合格できた。

昔は、入行前に「そろばん」の課題があったこともあり、また祖母からも
「由香ちゃんは、そろばんが得意だから銀行が向いているんじゃない?」
と言われるようになり、なんとなく「銀行」に入ったのがきっかけだった記憶。

入行してからは、1年間だけ預金業務をして、それから退職までずっと融資係として働いた。

融資と言っても「住宅ローン関係」を主に担当した。

最初は知識もなく、人とコミュニケーションを取ることが苦手な私は、不動産屋さんの対応をする時に自分を作ることから始めた。

どちらかといえば体格の良い人が多く、不動産屋さんは怖いイメージがあった。

それでも仕事だから、会社には私の感情など必要なし。やるしかなかった。

女性が融資を担当するのが珍しい時代であった
平成7年頃。

まずは認めてもらうために、今でいう「宅地建物取引士」を勉強した。

1回目の挑戦は不合格。翌年に合格した。

試験会場で銀行に出入りしている業者さんに、「何しとるの?」
と言われたこともあった。
「宅建の試験です。」
と話している時、なぜか幸せな自分がいた。

同じスタートラインに立てたような気持ちだったからである。

不動産業界と金融は業種は違うけれど、なんだか仲間になれたような気持ちだった。

資格が取れたことで、出入りする業者さんの、私に対する見方も変化していった。

失敗もたくさん経験したし、たくさん叱られた。
けれども、本当に大切にしてもらえるようになった。

みんなが頼ってくれるようにもなったし、あだ名で呼ばれるようにもなった。

まだまだ20代であったが、私なりに充実した毎日であった。

残業もかなりあったため、体はハードだったはずなのに。

信頼から案件数が伸びて上司からも感謝された。

もちろん、住宅ローンが主ではあったが、その他の仕事からもいろいろ学んだ。

どれだけの案件を担当しただろうか?

すごい縁を感じたのは、私が旧姓時代に担当した案件をまた違う形で、20年以上後に担当したことである。

自分の旧姓のシャチハタ印を見つけた時に、お客様に、
「この印鑑私です。びっくりしました。すごいご縁ですね。」
とお話した。

時代の移り変わりを感じた。
独身時代に受付た案件が、結婚、出産してその10年以上後に違う形でまた私の元に帰ってきた。

そして、そのお客様からも一歩踏み出す勇気をもらうとは、誰が想像しただろ?

そして、20代の頃のご縁があって、私は今の会社に転職できた。感謝しかない。

実は私は48歳。

ずっと変わらず銀行員生活を送ってきていた。

そんな私がなぜ転職したのか?
なぜ、一歩踏み出せたのか?

きっかけは、退職する1年前に転勤となったこと。
今までと比べると通勤時間が長くなり往復3時間。
家庭と仕事の両立が難しくなった。

仕事内容も自分が好きな「住宅ローン関係」がサブで、初めて覚える「外為業務」が主になり逆転していた。
検印しながらプレイヤーもこなす毎日。

投資信託などの預かり業務もそこまでなく、
せっかく家族の協力の甲斐あって取得した、「FP1級」も活かせない。

私にとっての仕事は?
やりがいとは?
いろいろ考えるようになった。

昔の自分は人と接することが苦手だったはずなのに、そう、今は人と接していない仕事にときめかなくなっていたのである。

人恋しい自分がいた。

そこで、自分の心に栄養を与えようと決めた。

とにかくやりたいことをやろうと。

中途半端でもいい。やりっぱなしでもいい。

今やりたいことをやろうと、まず始めたのがこの、「note」。

それから、本の読み聞かせ動画YouTube。

偶然出会ったパワーストーンのスクール通い。

スクールで学んだアクセサリー作り。

そのアクセサリー作りから最近では、パワーストーンを取り入れた「マスクチェーン」を作ったり、ビーズでブレスレットを作ったり。

私が趣味といえる「ものづくり」に出会ってしまったのである。

今は、好きな時に好きなペースで作っている。

こんな楽しみがあったんだと、初めて堂々と趣味が言える。
今までは、「読書」とか無難な事を言ってきた。
読書は好きだが趣味ではない。

私がものづくりを始めた時に、違った角度で驚いたことがあった。
それは、祖母も母も編み物の師範であった。
それなのに、私は、マフラーすら編めなかった。

そんな私にも祖母や母の遺伝子が存在したんだと新たな発見。
なんだか、嬉しかった。

自分探しを始めて自分を大切にしようと決めた時に、今は仕事を楽しめていない。

私は楽しく仕事がしたい、とそう強く思うようになった。

これからあと何年働くのだろうか?
指折り数えた時に、人生の折り返し地点を過ぎていることに気づいた。
ハッとした。

仕事だって、やりたいことをやろう。
失敗したっていい。
やってダメならまた修正すればいい。
やらない人生の方が後悔する。
そう考える自分がいた。

よし、転職しよう!!
そう思った。

思うのは簡単。
行動に移すのは勇気が必要だった。
プールの飛び込み台からダイブする感じ。

世の中は風の時代。
とはいえ、私の頭は追いついていない。

今までのキャリアを断捨離できるのだろうか?
今のままを選ぶのも人生なんじゃないか?
変わらない人生の方が楽かもしれない。

様々な感情がぐるぐると駆け巡った。

年齢的にも最初で最後かもしれない。

そう思い、私は今の職場の社長に連絡した。

何度も深呼吸しながら。


退職が決まってから退職書類を書いていた時、人生って本当に不思議の連続なんだと思った。

退職願いを書いた日にちは、「7月7日の七夕」。

私が銀行から内定もらったのも「7月7日の七夕」。

ご縁を感じた。
そのまま進めばいいよ、と背中を押されているように感じた。

そして、7月末で永年の銀行員生活にピリオドをうった。

8月から新しい職場でスタートさせた。

8月1日のスタート日の、仕事終わりの空。
偶然見上げたら、ピンクゴールドの龍神様の雲が眼の前に入ってきた。

私の門出を祝ってくれているように感じ、すぐさま写真に収めた。

その写真が最初に添付したものである。

なんだか、いろいろあったけれどやっぱりご縁繋ぎ、「人と人」。
素敵な言葉。

一歩踏み出せた自分へ
ラブレターを送りたい

やっと踏み出せたね。
すごいよ。
よく決断したね。

これから先は、ゆっくり進めばいいよ。
自分を信じて。
自分を大切にして。

あなたならできるよ。
だって、私だから。

#一歩踏みだした先に

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