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嫌いという感情


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酒を飲んで財布と家の鍵とSuicaを失くして交番に行ったツボイ(高円寺午前6時頃)

音楽で、好きだったであろう女に呪いの言葉を吐き続ける曲とかあるじゃないですか。
最近久々にRADWIMPSの五月の蝿って曲を聴いていたのですが、好きなのですが
歌詞に辛辣に憎しみが込められていますよね。
想像でメチャクチャにして、散々叫び散らしても
もう側にいないその女はまったく気に留めないのだろう。
それも察するような曲ですよね。

なぜ、好きだった人を嫌いになるの?という
批判的な意見を言う者をわたしは疑う、
この現象を分析して素直に自分の感情を受け入れる者の言うことは信じられる。
そもそも、嫌いという感情は特別ですよね。
本来、人間関係で合わないことが分かったから、近づかない方がいい、っていう感じはあるけど"嫌い"とは違う気がする、
それはもう、わたしの知らないところで勝手に生きていてくれって感じだけど
好きだった、近い距離にいた相手との摩擦によって起きると思うんですよ、嫌いという感情は。
そうじゃないと生まれないですね、
"嫌い"は熱を帯びているんです。
それすらを感じなくなれなくて冷め切っているものは意識から淘汰されるだけです。

そうなると好きだった相手を嫌いになる、のは当然のことだと思う。
そして苦しむ時に苦しむべきだと思う。
わたしは傷ついてその傷が癒える時に生きてる実感を感じるし幸せに思う。
(なんか幸薄そうな発言だな...)

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