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サッカーにおける言語化を改めて再考してみました

こんにちは。
今回は初めて、このnoteを利用して投稿をしてみたいと思います。初めての利用なので、綺麗に見えるように仕上がるかが心配ですがお付き合いくださいませ。

さて、6月15日の朝に配信されたnewspicksの記事『【激論】世界で勝つため、日本人に「決定的」に足りないこと』にはたくさんの反響とコメントをいただいきました。私も、中西哲生さんとあのような対談をさせていただき非常に貴重な時間を過ごさせていただきました。


コメントを一通り拝見して、私なりに新鮮だったのは「言語化」に対して読者の皆さんが私の想像を超えて重要性を感じていたということです。
(正直なところ、ヨーロッパの分析設備の話にもっと食いついてくれるかなと予想しておりました笑)

日頃、スペインに住んでいる私は身の回りでサッカーに関しての「言語化」が当たり前のように盛んに行われているため、そのことに関して当たり前の感覚でいました。ですので、今回の日本の方々がそこに対して大きな反応を示していること知ったのは、私にとっては新しい発見です。

今回の記事はそこから一歩踏み込んで、「ではなぜそのようなギャップが起こるのか?」と言うことを私なりに考察してみたものをアウトプットしてみたいと思います。


言葉は文化を作る

私がスペインに来て間も無い頃、確か8年ほど前(2010年?)にバルセロナ郊外のサンクガットで小さなサッカー講習会が開催されました。私は幸運にも友人を介して参加させていただいたのですが、講師にフアン・マヌエル・リージョとミケル・エチャリが招かれて私たちに講義をしてくれたました。その時にリージョが語ってくれたフレーズに面白いものがありました。

「我々監督はチームの中に文化を形成しなければならない」

毎シーズン選手が入れ替わるチームを率いなければならないスペインサッカーの事情では、獲得した選手が以前所属していたチームのコンセプトと異なることを今シーズン自分のチームではプレーしてもらわないといけない、ということは多々あることです。
要するに、昨シーズンとは違う価値観を新しい選手に植えつけて理解させる必要があります。今思い返せば、この価値観こそがリージョが言ってた文化なんだと思います。

そこで非常に重要になってくるのは言葉です。コミュニケーションツールの一つとして利用される言葉こそが、文化・価値観を共有するためにとても大事になってくるのではないでしょうか?


欧米では、仕事をするにあたり契約書というものが非常に重要になります。なぜ重要かというと、仕事をするにあたり基準を明確にするためのツールだと考えられます。加えて、陸続きであるヨーロッパでは異言語の民族が取り決めを行うにあたっては、契約書を交わして基準を明確にするという行為への重要度は非常に高かったと想像できます。


では、契約書に書かれているものは何でしょうか?
それは、言葉です。

- こういう時は、こうする。
- こうなったら、誰がこのように責任を取る。
- ◯◯のことは××と呼ぶ

という類の、いつ?誰が?何を?どのように?どこで?という5W1Hにおける曖昧さを一切排除するための条項 (Clausura)が文字・言葉で示されている文書によって、価値観を共有しています。ヨーロッパではこのような思考回路で日常生活を過ごしており、サッカーにおいても大きな影響を与えていると私は感じています。

スペインにきてすぐの時の気づきの一つに指導者の言葉の使い方が違うということがあったのですが

「もし相手が近くにいるときはすぐにパスしてもう一度動いてパスをもらえ」

「君はフリーなんだから、その時はドリブルして相手を引きつけて味方をフリーにしてあげるんだ。今はパスじゃない」

という表現をスペイン人指導者はしていました。
これは日本にいた時によく耳にしていた、「今どうしたらいい?」という曖昧なコーチングとは真逆の声かけで、「こういう時はこのような解決方法があるぞ」という明確な表現でした。

それぞれのプレーヤーが違った価値観を持ち込んでチームにやってきているので、新しいシーズンになった時には5W1Hの基準となる言葉とその定義を明確にすることで、チームの中に文化(チームとしての決め事や価値観など)が出来上がりそれを利用して監督はチームにプレーモデルを落とし込みます。
そのプロセスにおいて言語化を明確に行い、文化の中の曖昧さをできるだけ排除していくことでグループアクションやチームのアクションをコーディネートしていく感覚がヨーロッパ人はそもそも備わっているのでしょう。

そして、スペインで起こっているチームのアクションをコーディネートするためのサッカー言語が日々アップデートされながら理論として非常によくまとまっていく現象は、このような視点で考えてみるとうなづけるのではないでしょうか?

おそらく、このような文化の中で10年過ごしてきている私にはヨーロッパの思考回路がインストールされているようです。日本の知人にも「話し方が普通の日本人と少し違う」と最近言われました(笑)
日本の文化では、曖昧さの中に美を求めたり、空気を読むというという習慣があるため、言語化による現象や取り決めの明確化を追求してこなかった時代背景があります。おそらく単一民族で長い時間クローズされた国家でしたからそこまで追求しなくてもことが回っていたのだと思います。ですから、物事における言語化はヨーロッパに比べると少し遅れをとってしまっているようです。

このような原因から、日本の皆さんが「言語化」に対して大きく反響したのではないかと私なりに分析をしてみましたが、みなさんのご意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

フットボールは複雑系のスポーツであり、そこに規律を落とし込まなければチームは機能しないという特徴からすると言語による価値観の統一は非常に重要だと私は考えます。

#サッカー #言語化

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坪井健太郎

バルセロナ在住。サッカー指導者 CEエウロパユース(スペインユース1部)第二監督/プロ選手分析/プレサッカーチーム代表(スペイン起業)/オンラインC『サッカーの新しい研究所』運営/サッカー専門書「サッカーの新しい教科書」3冊執筆、バルサフィジカル理論1冊翻訳/静岡浜松出身

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