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「国家の魂」を取り戻せ(『保守』平成29年6月号)

明治維新の本義をなぜ語らないのか

 明治維新百年を控えた昭和四十一年三月、佐藤栄作政権の橋本登美三郎官房長官は、次のように語った。

 「維新百年に回帰しようなどと大それた考えを持っているのではありません。戦後二十年の民主主義の側に私どもも立っております。…ことさら明治維新を回想するというわけではございません」

 これに対して、同年三月、憲法憲政史研究所長の市川正義氏は、佐藤首相に質問主意書を提出し、「明治百年の重要性は明治維新にある」と糺している。また、大日本生産党も「明治維新百年祭問題」において、「政府の考え方は〈明治維新百年祭〉ではなく単なる〈明治百年祭〉であって、単なる時間の流れの感慨にしかすぎないのである」と批判していた。

 昭和三十六年十二月に大東塾の影山正治塾長が「明治維新百年祭のために」を発表して以来、愛国陣営は明治維新の意義について活発な議論を展開していたのである。例えば、安倍源基氏は「明治維新の意義と精神を顕揚して、衰退せる民族的自覚、愛国心の喚起高揚を図る有力なる契機としなければならない」と説いていた。また、昭和維新運動に挺身した福島佐太郎氏は「明治維新を貫く精神は建武の中興、大化の改新と、さらに肇国の古に帰るという王政復古の大精神であった」「われわれは懐古としての明治維新でなく、維新が如何なる精神で行なわれたかを三思し、現代日本の恥ずべき状態に反省を加え、もって未来への方向を誤らしめてはならぬ」と主張していた。それから五十年。明治維新百五十年を来年に控えた我々は、改めてこれらの意見に耳を傾けるべきではないのか。

 ところが、またしても政府は「明治維新」ではなく「明治」という捉え方をし、明治維新の意義を顧みようとしない。政府は昨年十一月に「明治百五十年」関連施策各府省庁連絡会議を設置し、わずか二カ月間の議論を経て施策の方向性を決めてしまった。政府は、欧米に倣った近代化成功の時代としてのみ明治という時代を理解しようという姿勢をとり、「明治期の若者や女性、外国人などの活躍を改めて評価する」方針を示した。筆者は、ここにわが国の保守派の歪みが集約されていると感じる。

 明治維新の最大の意義は、幕府政治に終止符を打ち、わが国本来の姿に回帰したことにある。わが国本来の姿とは、天皇が仁愛によって民を治め、敬虔によって神に仕え、大御心を国全体に広げる君民一体の政治である。天照大神が瓊瓊杵尊に下した天壌無窮の神勅にある「豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、是れ吾が子孫の王たるべき地也。宜しく爾皇孫、就きて治せ」こそ、民情を詳らかに認識して、仁愛をもって治めるわが国統治の真髄が示されている。

 確かに、敗戦後、「天皇親政はわが国の歴史の例外だ」という主張が幅を利かせてきた。津田左右吉の「建国の事情と万世一系の思想」(『世界』昭和二十一年四月)以来、「天皇不親政論」が流布し、石井良助氏らの研究によってさらにそれは強化された。これに対して、平泉澄は、昭和二十九年の講演において次のように語っている。

 「藤原氏が摂政、関白となつたこともありますし、武家が幕府を開いたこともありますし、政治は往々にしてその実権下に移りましたけれども、それはどこまでも変態であつて、もし本来を云ひ本質を論じますならば、わが国は天皇の親政をもつて正しいとしたことは明瞭であります」

 明治維新の原動力となった幕末の志士たちの思想と行動は、わが国の歴史の本質への理解と、営々と受け継がれてきた先人の魂に、自ら連ならんとする自覚に基づいたものだった。

 すでに徳川幕府全盛時代の十七世紀後半には、水戸光圀(義公)や崎門学の祖・山崎闇斎らによって、南朝正統論が説かれ、皇統守護に殉じた大楠公の精神が称揚されるようになった。崎門派は、承久の変における、後鳥羽、土御門、順徳の三天皇の悲劇、建武中興における後醍醐天皇の挫折に思いを馳せ、天皇親政を目指した運動を自ら実践し続けてきた(詳しくは拙著『GHQが恐れた崎門学』展転社)。幾多の弾圧、挫折に屈することなく、先人の魂を継ぐことに命を捧げてきた。國體は自動的に存在するのではない。たゆまぬ実践なくして、わが國體は顕現されない。現在の保守派が向き合うべきものは、崎門正統を継ぐ近藤啓吾先生の次の言葉ではないか。

 「皇統無窮、万世一系とは、本然の事実にあらずして、当為の努力である。言ひかへれば、これは、わが國體の最高の理想目標を示したものに外ならない。たゞこれは、絶ゆることなき努力の継承によつてのみ、現実たらしめ得る。しかもこの当為の努力が、肇国以来一貫せられて来たところに、わが国の道義の本質を見る。観念でなく実践であり、中断なき継承であらねばならぬ」


魂なき国家生存

 わが国の生存には、経済力、技術力の強化が必要ではある。そのためには、グローバル経済への適応も必要かもしれない。しかし、国家にとって重要なのは単に生存することではなく、どのような国家として生存するかにある。それは、明治政府が突きつけられた難問でもあった。

 もちろん、欧米列強のアジア進出に直面し、わが国が生存していくためには、近代化と富国強兵が必要だった。ところが、行き過ぎた文明開化路線が、様々な弊害をもたらし、國體そのものをも侵食していった歴史を忘れてはなるまい。

 国内世相史を精力的に執筆した斎藤隆三は、「明治初年の我が当局の執つた所は、当然の域を越えて其の度を失したものであった。…一切万事西洋勝れたりとなした。…一切無差別に之を尊敬し、崇拝し、称して優良人種、優等国民と呼び、その風を移し…」(『近世世相史概観』)と書いている。

 新政府は、早くも明治四(一八七一)年に、文明開化路線推進の障害として、維新の原動力となった思想を排除し始めた。その結果、崎門派の中沼了三(葵園)、水戸学派の栗田寛、平田派の国学者たちが新政府から退けられるようになったのである。同年末には、攘夷派の公卿、愛宕通旭と外山光輔、秋田・久留米藩士を巻き込んだ大弾圧事件「明四事件」が起きている。その背景には、欧米に諂う新政府の姿勢、公卿を政治中枢から排除する動きがあった。

 これより先、明治四年十一月には、岩倉使節団が欧米に派遣され、およそ二年の視察を経て帰国する。そして、明治六年には、対朝鮮外交をめぐる対立によって西郷南洲が下野する。それに至る明治政府内部の対立の核心を、野島嘉晌は、維新の正統な精神を受け継いだ南洲と、維新の達成と同時に早くも維新の精神を裏切ろうとした大久保利通の主導権争いと見る。明治七年二月には、南洲とともに下野した江藤新平によって佐賀の乱が勃発、明治九年には、大久保路線に対する反乱が各地で続いた。神風連の乱、秋月の乱、萩の乱である。そして明治十年、西南の役で南洲が斃れ、大久保路線が固まった。

 大東塾の影山正治は、「幕末尊攘派のうち、革命派としての大久保党は維新直後に於て文明開化派と合流合作し、革命派としての板垣党は十年役後に於て相対的なる戦ひのうちに次第に文明開化派と妥協混合し、たゞ国学の精神に立つ維新派としての西郷党のみ明治七年より十年の間に維新の純粋道を護持せむがための絶対絶命の戦ひに斃れ伏したのだ」と書いている。

 この間、国家の根幹である教育の在り方も急速に変容した。岩倉使節団に随行して欧米の教育事情を調査した田中不二麿文部大丞が、知識才芸主義の教育を推進し始めていた。明治天皇は明治十一年夏から秋にかけて、東山・北陸・東海の諸地方を御巡幸になり、各地の小学校、中学校、師範学校に臨幸され、施設や教育方法、内容に関して詳細に御覧になった。元田永孚はこの視察について次のように記している。

 「英語は能く覚えたるに、之を日本語に反訳せよと仰せ付けられたれば一切に能はざりしなり。…是全く明治五年以来田中文部大輔が米国教育法に據りて組織せし学課の結果より此弊は顕はしたるなり、と進講の次に御喩あらせられ、誠に御明鑑にあらせられたり」

 つまり、単純化すれば、明治の時代は明治十年を境にして、西郷流の維新貫徹路線と大久保流の欧米型近代化路線の二つに分かれるということである。政府の「明治百五十年」関連施策は、この大久保路線のみを引き継ごうとしているように見える。

 我々は、大勢順応によって国家の生存を確保するだけではなく、わが国の歴史、国民精神を自ら継承し、それに基づく國體の価値を守ることに力を注ぐべきではないのか。でなければ、魂なき国家生存に陥ってしまうだろう。

 昭和二十年八月十四日、降伏に反対する陸軍省勤務将校の一部と近衛師団参謀らがクーデター未遂事件を起こした。いわゆる宮城事件である。その首謀者の一人、井田正孝中佐は手記の中で次のように述べている。

 〈国敗れんとするや常に社稷論―すなわち「皇室あっての国民、国民あっての国家、国家あっての国体である」となし、国体護持も皇室、国民、国土の保全が先決なりと主張する。唯物的な国家論―なるものがある。社稷論は敗戦の寄生虫であり、亡国を推進する獅子身中の虫である。

 社稷論第一の誤謬は、形式的なる皇室存続主義にある。形骸だけを残して精神を無視するものである。皇室の皇室たる所以は、民族精神とともに生きる点にあるがゆえに、精神面を没却した皇室には、意義も魅力もないことを深く考察すべきである。…〉

 この井田中佐の主張を全面的に支持することは難しい。しかし、物理的生存、物質的発展のみが重視される今日、彼の説く国家の精神的価値を改めて考えるべきではないか。宰相ビスマルクは「国家は敗戦によっては滅びない。国民が国家の魂を失った時に滅びる」と喝破したが、我々日本人はいま、「国家の魂は何か」すら、見失ってしまっているのではないか。だからこそ、明治維新の大業に至る、先人の魂の継承に光を当てなければならない。

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