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noteの表示フォントを戻したことと、手書き文字に表れる人となり

noteの表示フォントを明朝体からゴシック体に戻しました。
noteでは「明朝体で表示する」オプションがあって、あるとき気まぐれに設定をしていました。

ボディテキストのフォントの適正

きっかけは、というと、先日こちらの記事を拝見したことにあります。「ディスレクシア」という明朝体が読めない・読みづらい学習障害について書かれていました。

そのためだけ、という意図ではありません。個人的に障害と障害じゃないものの境界は、とても曖昧だと思っています。自分なりに考えて、500-1500文字程度のボディテキストで、あえて明朝体を選ぶ必要はないのかな。と思い、設定を元に戻しました。

フォントを選ぶ理由

もちろん、ちょっとオシャレだから、的なノリだったり、デザイン上の視覚的な訴求要素としてフォントを選ぶ場面はありますが、真面目にタイプフェイスの役割を考えるには足りません。テキスト要素も含めた体験設計を考えるうえで、コンテンツの可読性など、ユーザーが情報を得られるかどうか(アクセシビリティ)は、配慮ではなく、基礎的な要素になると考えています。

今回の設定変更も、なんとなくそんなことを考えながら戻しました。スイッチ1つなんですけどね。

手書きの文字と人となり

そうこう考えながら、あんまり脈略もない話ですが、ふと、手書き文字にはその人らしさが表れるのかな、なんて思いました。昔から「丸文字」を書いている人が、自分を恥じるように言っていたような記憶があります。シュッ、シュッ、とした「筆文字」のような書きぶりは、達筆と評されたりします。

上の話からすると「丸文字」のほうが、フォントで言うところのUD丸系フォントのように<読みやすい>のかもしれません。たとえば自分に、相手に読めるよう気配りできる、その人となりが表れるのかな、なんて、勝手に憶測します。筆文字でも、書道のように視覚的な剛性の強い書き方もあれば、英語の筆記体のように一連の記述を手早く進めるような書き方もあります。

なぜ、そんな書き方になったか。文字をどんな目的で扱うかによるんですかね。手癖も含めて、人が無意識に選びとってきた必然的な理由があるように思いました。その人の何かしらパーソナルな要素、人となりが表れてくるのかもしれません。

文字を書く機会も減りましたが、あなたは、そういえばどんな書き方をしてましたか?自分や誰かの書いた文字を眺めてみて、ちょっと客観的に人となりを捉えてみるのも、楽しいかもしれません。

自分の文字は、単に汚かったです(つらみ)

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Yasuhiro Muraji

表現としくみ、いろんな人の捉えかたに興味があります。PM/ディレクタとしてデジタルクリエイティブ領域で働いてます。ズボラ飯とくだらないことが好きです。

表現と認知の個人的な考察

個人のライフワークのひとつとして、観察や反証から得られたものをまとめます。
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コメント2件

スキありがとうございます。

わたしは学習障害はないけれど、ADHDで視覚過敏があります。

明朝体は「まぶしい」と感じて、読んでいるとちょっと疲れます。ゴシックだとスルっと読めるので、学習障害以外でも助かる人がいますーってコメントしたくなりました。
森本さん、コメントありがとうございます☺️

視覚過敏、聞いたことありますが、この流れで発想すらしませんでした。「まぶしい」という感覚も、その疲れも。

健常者がいかに見えている前提にしているか、を思いました。きっと想像以上に、見えなさ、見づらさを知りませんね🙈

作り手としては啓蒙したい気持ちですが、ここでコメントをくれて嬉しいです。新しい気づきをありがとうございます。
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