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#03「ネコ不仲」

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 ネコというやつに好かれた記憶がない。
 あ、でもまだ幼かったころに遡れば、僕らはだいぶうまくやれていたと思う。

 きっとあの日を境にして、にゃにゃっと運命は決まってしまったのだ。

 住んでいる父方の実家と母方の実家の距離はたいして遠くない。だから週末になると毎週のようにごはんをごちそうになりに行っていた。
 それを当たり前のようにして育った僕は、だからドラマなんかである妻が実家に帰ったという話のイメージがうまくつかめなかった。
 なんだそれ、週末になったってこと?ぐらいに思っていた。

 中学生にあがったくらいになってようやく、ああ、あれって結構レアなケースなのだなと自覚した。

 ともかく僕は毎週日曜日を、友達と遊ばずに母の実家に行く日としていた。
 母の母、つまり祖母と、伯母、そして母との4人の空間となる。そこにそもそもが一人っ子というのもあって、同じ年頃のおもいっきり遊べる遊び相手がいない場所だ。

 だから基本は1人遊びに興じるわけだが、当時、母方の実家にはチャコという名の白猫がいた。
 それは毛並みのいい猫で、なでるとするっとすべる猫特有の感触はいまでもしっかりと覚えている。いや、他の猫はあまり知らないので、チャコの感触だ。僕にとってチャコ=猫という図式である。
 
 チャコはその当時とても活発だった。とくに若いということはなかったと思うから、動物としてのいちばん盛りの時期だったのかもしれない。
 だから僕たちはよく追いかけっこをした。
 猫と追いかけっこ?と思われるかもしれないが、まあ、ただ僕が猫を追いかけ回しただけのことである。
 
 チャコはしっぽを触られるのをほんとに嫌がった。他の猫のことはあまり知らないので、猫の性質なのかは知らないが、しっぽに少しでも触れるときっと睨みつけてくる。
 それもあんまりしつこく続けると、にゃーっ!と一鳴きして、どこかへ逃げていってしまう。そこをすかさず追いかけていくわけだ。
 なんと子どもじみたタチの悪い遊び。まあ、当時は文字通り子どもだったわけだけど、それにしてもとても褒められた遊びとは言えない。
 それでもしばらくはだいぶいい感じの距離でお互いがその遊びに興じていたようにおもう。まあ、僕だけがそう思っている節もなくはないが、ともかく楽しかった。

 だがそんなもの長くは続かない。続くはずがない。
 ある日それは突然やってくる。ごろごろーっと天罰がくだる。別に天罰でもない。猫罰。怒りに怒ったチャコは仏の顔も3度まで!!あ、猫の顔も3度まで!!っとばかりに僕の手を引っ掻いた。

 もう悲鳴にちかいような、ふぎゃー!って感じの声をあげていたと思う。よく盛った猫も声をあげているが、あれとはまたすこしトーンが違う感じ。
 独特の哀愁を帯びた、そのふぎゃー!によって繰り出された猫パンチで僕は完全にノックアウトされた。
 もう、自分が悪いのはぜんぶ棚にあげてわんわん泣いた。たぶん、チャコからしてみれば「ざまをみよ」という感じだったろう。

 というわけでその日以来、チャコとはギクシャクした関係になってしまった。
 そもそも、思春期にはいった僕が、あまり週末に実家に遊びに行かなくなったというのも大きい。
 たまに行くと、チャコは他人を見るようにみゃあーっと僕を見て鳴いていた。まあ他人なのかもしれないけど、なんだかやるせない。
 そんなチャコも、いまは先に逝ったおじいちゃんと一緒にいる。なあ、チャコ、覚えてるかな?あの日はごめんよ。

 ともかくそれ以来、あまり猫とは馬が合わない。きっとチャコが「あいつはしっぽをしつこく触ってくるから気をつけるのよ」と、猫界で噂を流したせいに違いない。僕は猫界では有名な重要指名手配犯なのだ。

 おかげさまで、猫は僕を見るととにかく異常なほどの警戒をみせる。それに応えて、僕も構える。
 たぶんこれからも猫とはあまり仲良くなれないとおもう。なる自信がない。チャコが、猫界では最初で最後の友達だ。チャコはそう思ってないかもしれないけど、僕は勝手にそう思っている。
 「そんなこと言って、あんたそもそもネコアレルギーじゃない」どこからかそんなチャコの声が聞こえる気がする。

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