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村上浩康の その一本に魅せられて 第四回「エルミタージュ幻想」

ドキュメンタリー映画監督・村上浩康氏の映画論評コラム。
第四回目は「エルミタージュ幻想」です。

「エルミタージュ幻想」(2002年 ロシア・ドイツ合作)
監督 アレクサンドル・ソクーロフ

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ワンカットで捉えた華麗なる歴史絵巻

 本作はロシアのサンクトペテルブルクを代表する観光地で世界三大美術館のひとつに数えられるエルミタージュ美術館をそのままロケセットに使用し、映画史上初のワンカット撮影(映画のはじめから終わりまでカメラを一度も止めずに一気に撮り上げた)作品である。
 この驚くべき難業を成し遂げたのは、ロシアの鬼才アレクサンドル・ソクーロフ。彼の作品は旧ソ連の社会主義政権下において政治的な理由から、ことごとく公開禁止処分を受けてきた。(後にペレストロイカやソ連崩壊を受けて、ソクーロフの作品は世界的に知られるようになる)

 あらためてこの作品を紹介しよう。舞台となるのは帝政ロシア時代に建てられた宮殿で、その後ヨーロッパ各地から収集した膨大な美術品を展示するミュージアムとして生まれ変わったエルミタージュ。ここで監督自身の目となったカメラ(ナレーションもソクーロフが務める)が往時の貴族たちに誘われるように建物内に迷い込み、各室を転々としながら、絵画を観賞する人々の語らいを捉えたり、かつて行われた公的行事や皇帝一族の日常のひとコマを時空を超えて綴っていく。

 カメラは常に動き続け、ある部屋ではピョートル大帝が臣下の者を怒りつけている場面に出くわし、またある部屋ではエルミタージュの生みの親・女帝エカテリーナの観劇の様子を目撃する。そうかと思えば、エルミタージュの歴代館長たちが何やら会談している場に居合わせたり、最後の皇帝ニコライ2世の家族の食卓に紛れ込んだりもする。時間を自由自在に行き来し、エルミタージュに関わる人々を甦らせ、ロシア近代史の断片を重層的に描いていく映画だ。

 ソクーロフはこれを90分間に渡ってカメラを一度も止めずに撮影していった。エルミタージュの複雑な間取りの中で転々としながら行われる撮影と、それに対応する演者たちの芝居。その段取りやタイミング、技術的な課題や絶対に失敗出来ないプレッシャー(途中で誰かがNGを出したらもう一度あたまからやり直しになる緊張感!)を思うと、ほとんど奇跡を見せられているような気分になる。
 さらに背景にはエルミタージュの絢爛たる建築や意匠、そしてヨーロッパ中から集められた名画が写し出され、観る者を夢幻の境地へ誘っていく。

 私は初めてこの映画を見た時(それは今でも変わらないが)ロシア近代史に疎く、次々と登場する歴史上の人物がどういう関係性を持ち、何を象徴しているのか、今ひとつ解らなかった。しかし華麗な歴史絵巻のような映像と、一発撮りという無理難題を貫いたソクーロフの作家としての意志に深く感銘を受けた。
 そして一瞬も途切れることの無い映像の中に、脈々と続く歴史を確かに感じ取った。なるほど、時の流れを描くにはカメラを止めてはならないのだ。
 私はそれまでおびただしい数の映画を見てきたが、本作に出会った時に改めて映画の核心に触れたような気がした。そして映画の原点に思いを馳せた。

映画は新しい視界を生んだ

 映画は“視界”の芸術である。映画が誕生した時(それは今から120年前にフランスでリュミエール兄弟によってシネマトグラフという映画の原型が発明された時)、最初に撮影されたのは、工場の出口から溢れ出てくる人々や駅のホームに入ってくる列車など、誰もが見慣れた光景だった。シネマトグラフはそれらをワンカットの視界で捉えていた。
 ところがこれが初めて公開されるや、当時の観客はとてつもなく驚いた。スクリーンに写し出された列車が画面の手前に向かってくると、観客は席を立って逃げ出したという逸話が残されているほどだ。映画は現実そのものだと、当時の人々の目には映ったのだ。

 映画は私たちが見ている動きのある世界を、初めて動くままに捉えたメディアであった。それは同時に、個人個人がそれぞれに見ている視界を、初めて別の角度から見ることを可能にした。
 あなたには、あなたの視界でしか世界が見えない。しかし映画は、誰かが撮影した全く別の視界から見ることを実現した。しかも同時に何人もが他者の視界を観賞できるのだ。新しい視界の獲得と共有、これこそが映画が成しえた最大の発明だった。

 とは言え、最初の映画における視界はまだ単純なものだった。1台の固定されたカメラがワンカットで捉えた視界、それは今見ればおよそ映画とは思えない映像の断片だった。(だがよく見るとリュミエール兄弟の視界は確かな意図の元に切り取られており、現実そのままではない演出が感じられる。さらに映像の根源的な魅力もある。そのことに関しては後述する)

 その後、映画は物語が描けることを発見し、それに伴い視界を複数に増やすことで見違えるような発展を遂げていく。対象にカメラを近づけて撮る“クローズ・アップ”や対話する二人を交互に捉える“切り替えし”など、新たな視界が次々と生み出されていく。そして映画に革命をもたらす画期的な手法も発明された。

 例えば映画の父といわれるD.Wグリフィスは、異なる地点で起こる同時進行の出来事を、視界を切り替えて見せる“クロスカッティング”という手法を発明した。
 ヒロインが悪漢に襲われそうになっているカットと、救いに駆けつけるヒーローのカットを交互に編集してクライマックスを盛り上げたりする、今日ではおなじみのあの表現だ。
 これは物語をより複雑に描けるようにしただけでなく、映画の醍醐味ともいえるスリルやサスペンスを格段に高める手法だった。グリフィスのこの発明は、やがてハリウッドを巨大な映画帝国へと築き上げていく。

 さらに同じ映画草創期の巨人セルゲイ・エイゼンシュテインをはじめとするソ連の映画作家たちは“モンタージュ理論”を生み出した。
 これは映像と映像の組み合わせが、様々な意味を生み出すことに着目した手法である。例えば無表情の男の顔のカットがある。この映像の前にスープの映像を繋ぐと、男は空腹の表情を浮かべているように見える。しかし同じ映像の前に棺に入った子どものカットを置くと、その表情は悲しんでいるように見える。つまり映像の組み合わせによって、異なる意味が生じるという連想法を利用した表現だ。
 この手法はその後、組み合わせをさらに複雑化することで、掛け算のように多様な意味を生む表現へ進化していった。

 このように視界の多角化は、サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、スタンダードからワイドスクリーンへ、2Dから3Dへ、といったハードや技術面の発達と共に映画表現に大きく貢献していった。現在ではカメラが入れないような場所からの視界や、人間の目では見ることが出来ない視界もCGを駆使すれば表現が可能になった。
 映画における視界拡張のあくなき探求はこれからも続いていくだろう。

永遠から分断へ向かった映画史

 その一方で顧みなくてはならないこともある。視界の多角化は、映画が本来持ち得ていた最大の魅力を失わせることにも繋がっていた。それは時間の永続性だ。
映画は時間表現だ。カットを積み重ね、視界を次々と変えることは、時間を分断してしまうことになる。
 リュミエール兄弟の最初の映画に時間の分断は無かった。日常の一コマを写した映像は途切れることなく、そのままの時をフィルムに定着させた。それゆえに写された日常は永遠に続くかのような印象を観る者に与えた。始まりも終わりも無い、いつまでも続く時間。最初の映画は視界を変えないことで永遠を獲得していたのだ。

 その後リュミエール兄弟の時代から遠く離れて、複雑な構造を持つに従い、時を分断し続けていった映画。これを再び原点に戻し、映画の頭から終わりまでを一つの視界からワンカットで撮ることはできないか。こう考える映画作家が出てくるのは自然の流れであった。そしてこれに最初に挑戦したのが、アルフレッド・ヒッチコックである。
 ヒッチコックといえば、クロスカッティングやモンタージュなどの視界技法を駆使し、サスペンス映画の神様と言われた映画の達人である。その彼が、あえてワンカット映画に挑んだ意義は大きい。

 彼は「ロープ」(1948年)という作品でこの課題に取り組んだ。あるアパートの一室で仕組まれた殺人行為の発端から結末までを、まるでそこに居合わせるかのようにカメラを自在に動かし、ワンカットで捉えた作品を生み出したのだ。
 しかし、実はこれはワンカットのように見せかけているに過ぎなかった。なぜなら当時は長編映画をワンカットで撮影するのは技術的に無理だったからだ。その頃のムービーカメラの撮影時間は十数分が限界だったのだ。(カメラに取り付けるマガジンには十数分程度の量のフィルムしか収納できなかった)

 そこでヒッチコックが考えたのが、次のようなアイディアだった。撮影中、フィルムが切れる直前のタイミングで登場人物にカメラの前を横切らせる。そうすることで画面は一瞬真っ暗になる。その時一旦カメラを止め、フィルムを入れ替える。そして真っ暗になったところから再びカメラを回し、俳優の演技をスタートさせる。つまりカットのつなぎ目を黒い画面で覆い、あたかも映像が続いているかのように見せかけたのである。
 このトリッキーな手法でヒッチコックは観客を映画へ“同席”させようとした。 
 しかし、10分おきにカメラの前を誰かが横切るという演出は、観客の目にはかなり不自然に映ったらしく、公開当時は不評だった。(それでも私はこの映画を激しく称賛したい)

 「ロープ」の興行的失敗を受け、これ以降ワンカット映画に挑む者はいなくなってしまった。そもそも本当にワンカットで撮ることは技術的に不可能なのだから仕方がない。
 とは言え、ワンカットで撮ることは、映画の原点に謙虚に思いを馳せる映画作家であれば一度は実現したい夢でもあった。そして映画が誕生して1世紀を経た頃に、この難業を成し遂げた映画が現れた。それが「エルミタージュ幻想」だ。

 これを可能にしたのは、言うまでもなくテクノロジーの発達である。フィルムカメラに変わるハイビジョンカメラの出現と、長時間収録を可能にしたハードディスクの進化が、積年の夢を現実のものにしたのだ。最新技術を駆使して、ソクーロフは映画史上初のワンカット映画に取り組んだ。
 インタビューによれば、当時ソクーロフは映画製作に行き詰まりを感じ「映画ではない芸術を作りたかった」と発言している。しかし私には彼が映画にこだわり続けた故に、映画の原点へ可能性を求めたのだと思えた。そして見事に映画を一つの視界で見せてくれた。しかもその視界は時空を越えていくのだ。

 2002年に製作された「エルミタージュ幻想」はワンカット映画として画期的な作品となった。しかしこれ以降、ワンカット映画は更なる技術の発達により実際にワンカットで撮影しなくても製作可能になった。

 例えば2015年にアカデミー賞作品賞を受賞した「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡」は、バラバラに撮ったシーンをコンピュータ技術によりワンカットで撮ったように編集されていた。しかしここにはワンカットで映画を描くことへの十分な自覚が感じられず、ただ技術による曲芸を見せられているようで、映像の持続が生む息づかいは感じられなかった。

二つの視点で見つめるロシア近代史

 さて、ここで話を技術論から「エルミタージュ幻想」の内容に戻そう。先述の通り、この映画はカメラがソクーロフ自身の視界となってエルミタージュを巡る物語だ。実はこの旅には同行者が存在する。案内役のように登場する黒衣の男、映画の中では明確には描かれていないが、どうやら彼は19世紀のフランスの外交官アストルフ・ド・キュスティーヌ伯爵らしい。 
 彼はエルミタージュを訪れたヨーロッパ人の象徴のように登場し、ソクーロフの視界たるカメラと共に、会話を交えながら館内を巡っていく。
 ここで興味深いのは、キュスティーヌ伯爵が登場することで映画の視点が増えるということだ。視界はソクーロフの目となるカメラのみであるが、視点は彼とキュスティーヌ伯爵の二つとなって進行していく。一つの視界に二つの視点、これが映画に絶妙な深みと諧謔をもたらすことになる。

 アストルフ・ド・キュスティーヌは実在の人物で、ニコライ1世統治下のロシアを訪れ「ツァーの帝国・永遠のロシアの旅」という著作を記している。そこにはフランス人から見た帝政ロシアの姿が描かれ、ヨーロッパにかぶれた当時のロシア社会を皮肉る内容も記されている。(その為にこの本は長期に渡りロシアでは発禁処分になった)
 ヨーロッパ文化を闇雲に追い求め、欧州列強に肩を並べようとしていた帝政ロシアを懐疑的に眺めるフランス人作家の登場と、彼の視点が映画に加わることで、エルミタージュで繰り広げられる歴史絵巻が重層的に捉えられていく。

 そもそもエルミタージュ美術館は、帝政時代に君臨した女帝エカテリーナが、ヨーロッパ中から収集した美術品を展示するために作らせた施設で、富と権力を象徴するような場であった。
 映画の中でソクーロフは、エルミタージュの往事の華麗さに想いを馳せ、憧れのまなざしを向けている。それは社会主義政権下で冷遇されてきたことへの反動かもしれない。
 一方、異国人であるキュスティーヌ伯爵は、ロシア独自の文化を顧みず成金のようにヨーロッパ文化で着飾るエルミタージュを皮肉な目で見つめている。
 時代も国も違う二つの視点で見つめられたエルミタージュに、ロシアの歩んだ複雑な歴史が浮かび上がっていく。

 この二つの視点は、おそらくソクーロフ自身の中に同時に存在しているものだろう。彼の歴史や文化への相克した思いを描くために、同行者としてキュスティーヌ伯爵を登場させ、複眼で捉えようとしたのではないだろうか。
 二人のかけあいは、時に哲学的に、時に詩的に、互いに突っ込みを入れながら進行し、映画に知的なユーモアを与えている。

時の海に浮かぶ映画

 さてこの映画を語る時には、あの素晴らしいクライマックスについて触れなければなるまい。
 エルミタージュを巡る旅は終盤を迎え、カメラとキュスティーヌ伯爵は舞踏会が開かれる大広間に足を踏み入れる。そこでは色とりどりの衣装に身を包んだ貴族たちが、オーケストラの生演奏に合わせて華麗にステップを踏んでいる。キュスティーヌ伯爵もいつの間にか踊りの輪に紛れ込み、貴婦人を相手にダンスに興じる。

 カメラは大舞踏会の会場を突き進み、時に踊り手たちの間をくぐり抜け、時にオーケストラの演奏を高みから眺めつつ縦横無尽に動き回る。まるでカメラも優雅にダンスをしているかのようだ。技術と労力を積み重ね、極限にまで挑んだワンカット撮影もこの場面で最高潮に達する。
 しかしこの豪華絢爛なダンスシーンが本作のクライマックスではない。真の圧巻は次に続く“宴のあと”の場面にある。

 舞踏会は大喝采と共に終了し、会場いっぱいに広がった紳士淑女たちは一斉に出口を目指す。カメラはここでキュスティーヌ伯爵に別れを告げ、帰途に就く人々で溢れる階段をすり抜け、長い回廊を突き抜けていく。そこは外へ向かう人の波で異様なくらいに混み合っている。舞踏会の華麗さとは裏腹の混沌とした群集の蠢き。貴族たちの汗と香水が入り混じった匂いさえ画面から漂ってくる。
 この圧倒的な生々しさは、匿名の群集であった一人ひとりに確かな存在感を与え、エルミタージュを過去の遺物から生きた空間へと蘇らせる。(この場面はリュミエール兄弟が最初に撮った工場の出口から溢れる人々の映画を思わせる)

 この時、エルミタージュの回廊は、時の奔流として象徴的な意味を帯びる。列をなして進む往事の人々は、歴史を歩んできたすべての人間であり、今を生きる私たちの姿だ。
 やがてカメラは人波を通り抜け、エルミタージュの外へと続く扉に近づいていく。扉の向こうには、さざ波の打ち寄せる暗い海が広がっている。エルミタージュは時の海に浮かぶ方舟だったのだ。(この映画の原題は「Russian Ark」=「ロシアの方舟」)

 鈍色の空の下、海は混沌としており、視界の先は捉えがたい。方舟はどこへ向かうのか。そこへソクーロフのつぶやきが重なる。

「私たちは永遠に泳ぎ、永遠に生きるのです」

 当然のように「エルミタージュ幻想」は永遠という言葉で締めくくられる。ラストシーンを見ながら確信した。やはり映画は永遠を捉えるために生まれたのだ。

                              (おわり)

「村上浩康のその一本に魅せられて」
第一回「ロゼッタ」前編はこちら
第ニ回「ロゼッタ」後編はこちら
第三回「遠野物語」はこちら

【村上浩康・プロフィール】
1966年宮城県仙台市生まれ。
2012年 神奈川県愛川町で動植物の保護と研究に取り組む二人の老人の姿を10年間に渡って記録したドキュメンタリー映画「流 ながれ」公開。
第53回科学技術映像祭文部科学大臣賞 
キネマ旬報文化映画ベストテン第4位
文部科学省特選 

その他の作品 
2012年  「小さな学校」
2014年  「真艫の風」
2016年  「無名碑 MONUMENT」
現在、東京都に残る唯一の天然干潟、多摩川河口干潟を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作中。

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