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インタビュー調査<矢加部和幸氏>

 矢加部和幸氏は1948年福岡県大牟田市生まれ。小中学生時代は熊本県荒尾市で過ごした。1967年に熊本大学理学部生物学科に入学。学生運動、熊本大学新聞部、山での生物採集に勤しむ日々を送っていた。大学卒業後は熊本大学大学院に進学。卒業した1973年に地元紙の熊本日日新聞社に就職する。
入社後は地方部熊本市役所担当として新人研修に取り組み、新聞記者の基本を学んだ。1973年に大洋デパート火災の取材を経験。この事件での取材経験が「一生、新聞記者をやっていこう」という決心に繋がったと言う。1974年に整理部に異動。整理部での仕事を通して新聞づくりの制作過程を一から学んだ。
 1977年に矢部支局に配属。妻と二人で取材に出かけ「ふるさとのけもの」など連載。「地方紙の記者は支局で育つ」と言う。1980年には文化部に異動。阿蘇学、天草学など地域を一年かけてじっくり取り上げる「地域シリーズ」などに力を入れた。1986年に人吉総局の初代総局長として赴任。永田市長と対立候補の福永氏との間の市長選を取材した。
 1988年に地方部デスクを担当、1990年には論説委員を兼任。1991年には普賢岳大噴火を予知した記事を書き、掲載された11月17日に雲仙普賢岳が噴火し始めスクープとなる。
 1993年に生活情報部長を務めた後、1996年に東京支社編集部長に就任。熊本の時事問題の取材に注力した一方で、熊本県出身者の約百五十名に会って「今この人 首都圏に生きる」の連載で彼らの足跡を紹介した。「人に会って話を聞くってこんなに面白いことかと思いました。記者冥利に尽きる企画でした。」東京支社での四年間を通して「改めて熊本のことを学んだ」と矢加部氏は振り返る。
 2000年に地方部長となり地方分権問題のシンポジウムを開催した一方で、熊本県の街や自然に着眼点を置いた企画を数多く担当した。中でも「私を語る」シリーズは連載開始20年近く経った今でも連載され続けている長寿企画となった。2004年には「山で出会った花」(後に2シリーズ書籍化)の連載を開始した。
 2009年に熊本日日新聞社を退職。2015年から『熊日釣りタイム』の編集を担当する傍ら、『ブルーシートのかかっていない被災直後の熊本城』を発行するなど、地域に密着した取材活動に現在も取り組んでいる。