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2/12 深夜のぼやき オタク

 さっき投稿した今日の分の日記を読み返して、あまりにもオタク過ぎてちょっと引いてしまった。


 気づいた頃にはオタクだった。音楽でも、本でも、何に関しても。ひとくちに「好き」と言っても並々ならぬ感情を向けてしまう。
 その異質な感情を向けやすいのがたまたま二次元で、たまたまアイドルで、たまたま本だった。何に関しても、「めりこむ」という言葉が似合うかたちでものごとを好きになる。

 それはちょっと異質でキモいことなのかも、と気付いたのは中学生の時。その時私はスクールカースト的な悩みを抱えていた。どうにかしてオタクの気持ち悪さを解消しようと興味の矛先を二次元やボーカロイドから米津玄師をはじめとした邦楽ロックに向けた。
 しかし米津玄師の興味も元々は「ハチさんが歌ってる!」という驚きと、ニコ動に投稿されていた好きなジャンルの手描きPVから来たものなので世話ない。しかも、矛先が米津玄師やRADWIMPSやおいしくるメロンパンに向いたとてやはりその「好き」は並々ならぬもので、その時に「自分はどこまでいってもオタクなんだ」と自覚した。悲しい自覚だ。

 高校に入学して、オタクの人間はいよいよマイノリティになった。私はその時大森靖子と地下アイドルとおそ松さんにハマっていて、大きな黒縁メガネをかけていた。前髪が短くて、制服の着方だってダサかった。芋っぽいオタクだった。
 私のクラスは皆運動能力SSSのスポーツ集団で、その中にぽーいと入れられた私は運動能力はカスも同然の陰キャオタクだった。
入学式の朝、華やかな周りのクラスメイトを眺めながら、既に転校と学科変更のことを考えていた。明らかに浮いていた。絶望の2文字しかなかった。イジメられたらどうしよう。

 入学当初、クラスの女子生徒で構成されたLINEグループは毎日のように賑わっていて、当然私はその賑わいには全く参加できずトーク履歴をスクロールしながらヒ〜〜と思っていた。すげ〜〜。この中で上手く皆とコミュニケーション取れるのだろうか……。そう思うと気が遠くなりそうだった。

 クラスには瀬戸くん(仮名)という生徒がいた。
 女子LINEグループの中で、瀬戸くんの話題が上がる。するとクラスメイトの1人かSimeji(キーボードアプリ)のスクショを送ってきた。ん? と思いそのスクショを見てギョッとする。次いでメッセージが送られてきた。

「セトって入力すると『目を盗む能力』って出てくる!!」

「なに!?」「どういうこと?笑」「目を盗む能力爆笑しぬ」「瀬戸くん目を盗むん?」「能力者だった?瀬戸くん」

 当然そんなレスポンスがズラーっと続く。私は自分の部屋でそれを眺めながら頭を掻きむしって叫びそうになってしまった。

それってカゲプロのセトの話!!!!!!!!!


 カゲロウプロジェクトというコンテンツをご存知だろうか。じん(自然の敵P)原作の、音楽・小説・コミックス・アニメにわたり展開されているメディアミックス型のコンテンツだ。

 カゲプロは私が小学生高学年〜中学2年生の頃に流行していたコンテンツで、当然私も大ファンだった。というか本格的なオタクの入り口がこれだった。
 カノが好きだった。今考えても好きなキャラクターだ。ヘッドフォンアクターを毎日聞いていた。今聞いてもカッコ良すぎて最高!となる。私が自分でTSUTAYAで借りた初めてのCDはメカクシティレコーズだった。

(久々にヘッドフォンアクター聞いてるけどめちゃくちゃかっこよくてすごい。じんって天才)

 中学時代の私の友人たちにもカゲプロのオタクが多かった。Twitterや掲示板、その他サイトを見ても「カゲプロ旋風」の巨大さは物凄いものだった。ちょうどボカロの千本桜が流行して、それに重なるようにカゲロウデイズが流行したのだ。サビで人がトラックに轢かれ死ぬという強烈さは世の中のキッズたちを魅了した。

 しかし高校のクラスメイトたちは、みな突如として現れた「目を隠す能力」という厨二病ワードに爆笑している。誰もこの言葉を知らないのだ。

 私はめちゃくちゃ迷った。この「原典」を教えるべきか。「これなに!?爆笑」という問いに対して答えを呈すべきか。
 めちゃくちゃ迷って、めちゃくちゃ迷って、めちゃくちゃ迷って迷って迷って、結局なにも言わずにそのままにしておくことにした。だってこのコミュニケーションに私が挟まる隙はなくて、この会話のテンポを崩してしまってはいけない。そう思ってスマホにロックをかけた。


 翌日、教室にカゲプロの下敷きを持ってきている女子生徒を見かけたので勢いで話しかけた。


「この前の瀬戸くんのあれ、カゲプロのセトだよね!?」
「いやそれな笑」


あ〜〜〜!
これだ。
この距離感なんだ。

 その時学んだ。この距離感がベストなのだと。喋りたい、語りたい、のめり込みそうな自我を殺して、語れる人に「それな」と言う。これがベストな距離感なのだ。

 そう思うとあとは楽だった。最初はもう恐ろしくて堪らなかったクラスメイトも話していくうちにみんな面白くて良い人なのだと分かったし、オタクのジレンマはそもそも土俵に立たなくなったのですぐに消え去った。
 高校時代、何のジャンルが好きだったかも思い出せない。多分何にもハマっていない。

 何を間違ったかセンター試験の直前で鬼滅の刃にどハマりしてしまったけれど、その時には隠れオタクだったクラスメイトに感情をぶつけることができたので助かった。そうでもなければ全ての大学受験に失敗していた気がする。


 そんな感じであまり人にオタク趣味を露呈しなくなっていた(そもそもの見た目がオタクっぽかったり隠しきれていたかというのは別として)。というかあまり見せびらかすものでもないしな。自分の趣味が人に褒められるようなものでもないというのは分かっていたので、話題に上げようともしなかった。できていたかは別として。

 しかし大学に入学したら、なぜか知らないが周りの友人が皆似たようなオタクで、全部がどうでもよくなってしまった。
 どうしたって、自分はどこまで行ってもオタクなのだ。それは隠し切れるものじゃないし、というか隠さなくてよくないか? 人に迷惑かけてないし、別によくないか?

 そう思うともうダメだった。積極的に話題に出さないように、学習した「ある程度の距離感」を守りつつ、一方的に感情を壁に打ち付けるだけならいいんじゃないか?

 この結果がこの「文章を書く」という趣味だし、このnoteだ。オタクの成れの果てやね。

 助けてくれ。

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