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つぐSTORY 1章 『写真』と『写心』

大好きなことを仕事にしないと
人生後悔する

2010年の春
人生の中で絶望を感じている中見えた一筋の光は
一瞬だけのキラメキでした。

これで生きてみよう

会社員生活は、生きている心地はなく、何をしたらよいかわからず、ただ生きているから生きている。そんな時間でした。今まで(当時26歳)の中で、お金・時間・エネルギーを一番注いできたことは写真しかない。だから写真だったらなんとかなるかもしれない、いけるかもしれない。自分の人生が光り輝くかもしれない、そんな淡い期待の中、キラメキを頼りにカメラマンになりました。

一番最初はそんなお話

カメラマンになっていく話やカメラマンとしてどんな存在でありたいか、なぜカメラマンをやっているのかという話を『つぐSTORY』として綴っていきます。


『写心』とは?

ぼくは、『しゃしん』を、『写真』ではなく、『写心』と表現します。なので、肩書も、『写真家』ではなく、『写心家』としています。
最近そう名乗る人が増えてきたなぁ、なんて思うのですが、まあ、同じ肩書の方が増えるのも楽しいので、ウェルカムです。

Tsuguが思う『しゃしん』は

『写真』=真実を写す
『写心』=ココロが写る


なのです。別に真実を撮りたいわけじゃない。だからといって、嘘を撮りたいわけではいし、現実離れした作品や、加工を重ねて誇張した表現をしたいわけでもない。そこにあるココロの模様を形にしたいのです。

僕がまだカメラマンになる前。一枚の写真を、真空パックできたらいいのにと思っていました。
というのも、アルバムに入っている一枚の写真って、目にしたのは10年ぶりでも、すぐに「あの日のその瞬間」に戻れてしまうからです。
写真に写されたシーンの、雰囲気、声や音。肌触りや香り、心の動き。過去のあの瞬間の五感と感情をありありと思い出させる力が、写真にはある。


ちょっと話は逸れるけど、ジップロックって、3日前に入れたお肉が、新鮮な状態のまま、今日も美味しく焼けます!なんてところが、時空を超えていると思いませんか?笑。むしろ、いい具合に熟成して想像以上に美味い! みたいな。

そんな状態を、僕は写心で作りたかった。

見た瞬間に、あの日あの時あの瞬間に一瞬でワープできるような、見る人の心に響いて、揺さぶられてしまうような、雰囲気や感情を真空パックするような写心を撮りたい。そう思ったのです。

写心は、その時を真空パックする。
その一方で、僕たちは、みんな、変わって行く。

いろんな出会いがあって、いろんな経験をして、出会いと別れ、新しい体験と、成功や失敗、気づきと学びを繰り返して、人として成長成熟していくし、物事の捉え方や見方、感じ方もどんどん変化して行く。


だからこそ、写心は、環境に応じて、あなたの心模様に応じて、見た時に受ける印象が変わります。
撮った日、2日後、1週間後、1ヶ月後、そして1年、数年後・・・見る度受け取る印象がコロコロ変わっていくのです。

恥ずかしそうにはにかんだ姿で写っている自分の姿も、その日に見たら照れ臭かったり、こんな自分なんてと思ったりしても、1年後にはとても愛おしく懐かしく思えたり。

あの時、自分が力んでいたなんてわかってなかったけど、時を経てみたら、それに気づいて「頑張ってたね。」と自分に言えたり、
気づける今の自分が、それだけ弛んだことや、大人になれたってことを、感じられたりね。

逆に、写真の中の、過去の自分から、「頑張れよ」って応援されてるように感じたり、自分が思うよりうんと素敵に写っている自分を見て、「もっと自分のこと認めていいよね」って、思えたり。

ぼくにとって、写心とは、真実を写すものではなくて、その時のココロを写すもの。その時のメンタルがそのまま形になり、撮る人と撮られた人の心模様や、関係性が映ります。互いの考え事がそのまま形になる。その時の感情がそのまま形になる。生き方、人生がそのまま写っている。

写そうと思ば、喜怒哀楽、美醜、なんでも写せるし、写ってしまう。

だったら。
写心に写された人も、写心を見る人も、心が動かされ、もっと素敵な人生になって行くように、

うれしい
たのしい
だいすき(笑)

が形になるように。真空パックできるように、写心家として働こうと思いました。こうして、ココロ、つまり人柄を写すカメラマン、『人柄写心家』となっていったのです。



『人柄写心家』の人柄

ぼくは、人と比べて賢くありません。
だから、いっぱい失敗します。人より頑固です。だから何回も同じミスをします。人よりワガママです。末っ子B型ですから。だから人より嫌われます。人よりかっこ悪いです。だから全然モテませんでした。

全然ダメだった部分があるから、努力して変えてきた。今だってマダマダ未熟すぎる人物です。これが正しいのかな? こっちが素敵なんじゃないかな?暗中模索です。
才能がないなら、努力すればいい、経験を積めばいい、コピー用紙を一枚一枚重ねるように、積み上げていけばいい。それでカバーしたらいいじゃんって思って、カメラマン生活14年目やり続けています。棚から牡丹餅もあったらいいなぁと、巨人の肩に乗れたらいいなぁとも思っていますが、そんなことは僕の人生においてほとんどないのです。

でも、これが人生なのかなとも思います。
自分のダメさ、出来ないことがある、失敗の経験がある、わかるから、体験してきたから他の人の素晴らしさがわかる。

失敗談がたくさんあるから、いろんな人にも共感でき、尊敬できる。世の中はすげー人ばっかりだって。ぼくは、バカで、どうしようもなくて、かっこ悪くて、嫌われ者でよかったです。そうじゃなかったら、人をこんなに素晴らしいと思うことはできなかった、努力している人はすぐわかるし、サボっている人もよくわかる笑。だからこの人生最高です。楽しい笑

人柄写心家は、相手をひたすら尊敬できるから、ココロを写せるのだと思います。


運命の分岐点、カメラをはじめたきっかけ


今のぼくには、「Tsuguさんみたいになりたい」と、言ってくれる生徒さんたちがいます。


生徒さんの中には、「写真でご飯が食べられるようになりたい」「女の子を可愛く魅力的に撮りたい」などの目標をすでに持っている方も少なくありません。でも、ぼくは最初、カメラが大好きで写真をはじめたわけじゃないのですよ。憧れの誰かがいたわけでもないし、撮りたいものがあったわけでもない。

カメラをはじめたきっかけは、ボーナスが出たから。
それだけです(笑)
社会人1年目の夏、ボーナスが5万円出るぞ、と聞いて

よっしゃ! なんか買うぜー! 

と、意気揚々ヨドバシカメラに行った事を今でも覚えています。他の候補はプレイステーション、ハードディスクレコーダー、あと何かあったかな?忘れちゃいました。そこでゲームを選んでいたら、今のぼくはなかったでしょうね。それで、なんだかんだと吟味を重ねて、デジタル一眼レフを買おうと決意するのです。当時、カメラはまだ高くて、結局ボーナスと、給料の半分を使ってしまいました。

別世界でした。カメラの世界は。
楽しかったなぁ。神様はなんて素敵なおもちゃを与えてくれたんだろう。そんな気持ちにさせてくれたのがカメラでした。


カメラを手にしてから今まで見ていた世界が、なんだったのだろうと思うくらいに、カメラから見える世界が違うものだったのです。

ぼくは今まで外の風景を『ちゃんと』見ることができていませんでした。

ぼくは、今まで、雲の高さが変わることを知りませんでした。
季節の移り変わりを、知りませんでした。
花の種類がたくさんあることを、知りませんでした。
海の色が変わることを、知りませんでした。
身近な人の表情が、こんなにも豊かだってとことも、知りませんでした。
自分の顔も見ているようで、全然見ていませんでした。

知っている、と思っていたことが
実は全く知らなかったということに
気づかせてくれたのがカメラであり、写真でした。

そこからの世界は一変しました。目に入ってくる世界は色鮮やかなものになり、知らないものに興味を持ち、楽しい生活になっていきました。カメラを持つ素晴らしさを初めて感じたのです。

小話 写真を撮ったら人生が変わるのか

それはiPhoneでも出来るのかという話はよく聞かれます。僕的な見解としては多分無理、違うものになるとおもいます。なぜなら、カメラってわざわざ持つからです。重いし、でかいし、日常の延長線上ではなく、カメラという物を持って、ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、シャッターをきる。そうゆう一連の行動が「何かを切り取る」という特別な行動にしたてあげ、意識して何か素敵なものを探すという、意識を変えてくれる事がiPhoneでは出来ないゆえに、カメラを持つということが人生に与える影響が大きいのです。

おれにはカメラしかない

カメラマンになろうと思ったのは、カメラしかないと思ったから。
22歳から一眼レフを始めて、26歳まで夢中で写真を撮っていました。カメラの熱はどんどん高まり、ティッシュが水分があったらすぐ吸収するように、身に起きることをカメラのことと関連付けて考えて、意識して、どうやったら写真がうまくなるかということを考えていました。




なので、お金も、時間も、エネルギーも、注ぎまくっていました。という状況でしたが、別にプロカメラマンになろうとなんて思ったことは1回もなかったです。この楽しい遊びが、趣味が出来てすげー楽しいなぁって思って、これが続いたらいいなぁなんて思っていただけです。

会社員生活では日々仕事ができなくて怒られることばかり。どんどんつまらなくなって、生きる生きがいも見えなくなって、何をしているかもわからない、誰かの役に立ててないし、役に立てることもない。自信も存在価値も感じられない。そんな時間が長くありました。

なにかを変えたい、けど何を変えたらいいのかわからない。

転職・・・自分が他のところにいっても、活躍できるとは思えない、他業種かぁ、またゼロからスタートだよなぁ。と考えているところで「カメラか」と瞬間的に頭によぎったのは今でも覚えています。

でもカメラマンってめちゃかっこいいけど、すげー大変そうでセンスのある人だけが生き残れる世界なんじゃないかなって思っていたし、俺に出来るのか。なんて思ったことは沢山ありました。

沢山の葛藤の中から出した答えは

大好きなことを仕事にしないと人生後悔する

と言うこと、そして、26年間生きてきた(当時)中で、一番お金を使ったのも、時間を使ったのも、のめり込んだのもカメラ以外なかったなって思って、カメラマンという生き方に、一旦僕の人生を注ぎ込んでみるのも面白いかもしれない、ということだった。

まだ26だし、本気で2年やって、だめだったらしがないサラリーマンにまた戻ろうって決意して、カメラマンになってやるぜ!っていきなり会社辞めて、実績も人脈もコネもお金もないまま、いきなりフリーカメラマンになりました笑 

ただ、ここからがより大変だったんだけど、生きるって楽しい!!な毎日が始まったのです笑

写心のある生活を楽しんでほしい

カメラを買ってからは、ほぼ毎日写真を撮っていました。
会社を定時退社して、走って家に帰り、カメラを持って、自転車乗って、土手に夕陽を撮りに行ったり(←23歳笑)。車のテールランプや、お花を撮ったり。最初の頃は風景を撮ることを楽しんでいました。


写真を撮ることが、毎日の楽しみで、ぼくの毎日の彩りそのものになった。カメラがぼくの人生を変えてくれて、カメラが心を豊かにしてくれたんだなぁと、今になって思います。

ぼくは、カメラマンになるとき、最初から教えることを仕事にしようとは思っていませんでした。でも、ぼくが味わった写心の楽しさを他の人にも味わってもらえたら嬉しいなというのは、当初から今でも、ずっと思っています。
写心のある人生は、きっと、あなたとあなたの周りの人の心を豊かにしてくれるから。



カメラマンを目指していない方でも、写心を学んでみると、楽しいと思います。もし、途中からカメラマンになりたくなったら、方法はいくらでも教えられますし。でも、それよりも、とにかく写心がある生活を楽しんでもらいたい。目の前の生活を豊かにするために。そんな方が増えると、嬉しいなと思っています。

カメラマンになるために写心を撮るのではなくて
写心が大好きで、楽しんだ先で、カメラマンになる。そんな道だって、いいのです。

写真がうまくなるために、めちゃくちゃ眺めてた

今ではいろんな人に「どうしたら写真が上手くなりますか?」と聞かれるのですが。
写心が好きで、カメラマンになると決めたものの、これまでに写真を学びに行ったり、誰かに師事したことはありません。

してきたことは、いつも「今の写心をより素敵にするにはどうしたらいいか」を考えて次に活かしてきただけ。ここまでほとんど独学で歩んできました。
だから素敵だなと思う写真を眺めては、真似して、どうしたら近づけるかってよくやってた。

素敵だなとおもう写真をよく眺めてたんですよ。

カメラを始めた頃は、撮ることがほんとに楽しくて、撮っているだけでしあわせでした笑
でも少しずつ欲が出てきて、上手に撮りたいなぁとか
もっと素敵に撮りたいなぁって思ってね。

模造紙を買ってきて、壁一面に貼り付けて、素敵と思う写真を印刷して、その模造紙に貼り付けてよく眺めていました。


すげーなー、こんな写真撮りたいなぁ
どうやって撮るのかなぁ
どんな場所かな
カメラマンは何を考えているんだろう
どんな設定にしているのかな

そうゆうことを想像したり、考えるようになって
もちろん最初はただすげーなーって感じだったんですけど
ちょっとずつ、写真を見る目が深まり、より具体的に、繊細に考えるようになって、仮説を立てるようになったんですよね。笑

この写真が撮れるということは
撮影した時間は午前中かな、とか
光の角度はこんな感じかな?とか
カメラの設定はこうかな、とか
被写体との距離はこんな感じかな?とか。

それでやってみるけど、見当ハズレもいいところ。同じように撮れない。笑
それでも、トライアンドエラーを重ねて、数をこなしまくっていくと精度があがるもんなんです。そうやって上達したのが1つ。


そこから、もう1段階上達していったのは
今まで通りやっている「鉄板的にうまくいく方法」を
遊びとしてたまに禁じ手にしてたのです。

Aのやりかたは上手にできるって思ったら
A以外でより素敵な写真を撮るためにはどうしたらよいか
というのを考えて、やってみて、違う表現を磨く、みたいなこと。

ホワイトバランスの使い方を決めてみたり、
いつも使っていた構図を禁止してみたり。
縦写真が多かったから、縦写真を一時やめてみる、なんてしてた時もありました。

そういうことをやっていたからこそ、それまでとは違う撮り方を知って、表現の幅が広がったのかな♪

だけど、カメラは最重要じゃない。

ここまで写真熱を語り尽くしてきましたが笑、意外とカメラは最重要ではないのです。「やっぱりTsuguさんは、カメラが大好きなんですか?」と、聞かれることがあります。まあ、人並み以上には好きですけど、別にめちゃくちゃ大好き! ってほどでもないです。
ぼくが好きなのは、撮ったもの、つまり写心。光学系(カメラの仕組みやレンズの仕組み)って実はあんまり興味ないのです(笑)撮りたいものが撮れるなら、なんでもいいので。
写真は好きだけど、カメラオタクではない、と言ったらわかりやすいかな。

とはいえこうしてカメラの話をしていると、写真を撮りたくなってくるね。笑
今はいつでも撮りたいと思うけど、昔は、冬はあんまり写真を撮らなかったのです。春になるにつれて、カメラを持って出かけたくなります。そのままどんどん撮って、秋を過ぎるころにはまた、撮影ペースが落ちる。



冬はなぜだか、撮りたい気持ちがわいてこない。カメラを持つのが億劫になるわけでもなく、興味が失せるわけでもなく、特にこれといった理由はないのですが、ただ冬眠していくみたいな(笑)冬に撮りたくないというよりは、春からの季節を撮りたいのかな? 春は世界が色づくので、カメラを持って出かけるのが、本当に楽しいですから。


でも、これがぼくと写真のちょうどいいリズム。

そんな心の動きと連動しているのが『写真を撮る』ということなので、自分の調子とかも測れるのが面白いのですよ♪

 
 
こんな感じなのがつぐなのです。優秀でもなく、才能があるわけでもなく、凡人が努力して、ここまできたのです。好きなことに没頭して、積み重ねて、写真でくっていく。その上で大事にしていることだったり、楽しんでる様子をお届けしました。
続きの第2章は撮られたらどうなるのか、どんな風に撮られたらよいのか、写真を撮られる側のお話をお届けします♪

続きの第2章はこちらをクリック♪


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