見出し画像

八幡水力電気株式会社について①

 口明方地区の山裾に、昔の小水力発電の発電機が放置してあることをFBにて、ご報告しました。保存するための活動をしていこうと呼びかけたわけですが、駒田さんより、メッセージを頂きました。
 以下、メッセージの冒頭
 私は先祖調査の一つとして、「八幡水力電気株式会社」について、ネット(SNS含む)、文献を通して調べておりました。
 調べている中、本年3月30日の小森様の投稿を拝見し、この2020年の今、八幡水力電気株式会社についてご関心のある方がいる事に驚き、居ても立っても居られず、連絡させていただいた次第です。

 お知らせ頂いたお話に、関係する情報も追加して、何回かに分けてアップしようと思います。

 駒田さんはここにかつて、小水力発電所があったことを記す、記念碑の裏に刻まれた、創設者の一人、駒田肇氏(写真左から3人目)のご親戚です。

画像2

石碑裏 創設者

駒田さんより

 駒田家は江戸時代の郡上青山藩時代、青山家に仕える家臣の家でした。
大政奉還後(家臣の任は解かれ一度郡上を離れた模様)、青年期を岐阜市内で過ごした肇氏は、岐阜県庁職員、岐阜電灯株式会社の設立に参画し支配人を務めた後、八幡水力電気の設立に参画しました。この辺の詳しい経緯はわかりませんが、恐らく郡上出身だった事、また当時岐阜電灯の社長であった岡本太右衛門(12代目)氏との親交から、八幡水力にも携わったのだと考えます。
 岡本太右衛門、岐阜の経済界で仕事をされている方は知らない方はいないんでないでしょうか。
ナベヤ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%99%E3%83%A4_%28%E4%BC%81%E6%A5%AD%29

当時のことが、「岐阜県史 史料編 近代3 第3章 鉱工業の振興 第7節 電灯」 P.749〜752に書かれているとのことです。
以下、抜粋。
 岐阜県下には目下七社の多数の電気会社あるが、最先に出来たるは岐阜電灯会社にて、其次は此八幡水力電気会社なり、同社の来歴を尋ぬるに、明治廿九年頃金城鉄道の発起あり、此鉄道は名古屋を起点とし、大山、関、上有知、八幡等を経て、越前大野郡に出て金沢市に達する線路なりき、此時八幡町よりは現八幡水電社長水野伊右衛門氏、発起人の一人として尽力せられたり

岐阜電灯を調べてみました。ウィキペディアより。
 岐阜電灯株式会社は、1889年(明治22年)に愛知県名古屋市で開業した名古屋電灯、1894年4月に同県豊橋市で開業した豊橋電灯に続く東海地方で3番目の電力会社である。
 岐阜電灯が設立されたのは1894年(明治27年)2月28日で、日清戦争期の会社設立ブームの最中のことであった。発起人は岡本太右衛門(6代目・本家12代目。太右衛門家は鋳物業を営む旧家)ら市内の豪商・資産家7人に士族で元岐阜県財務課長の梅田信明を加えた8人で、発起人の中から初め梅田、後に岡本が社長に就いた。また設立には発起人のほかにも名古屋電灯の技術者丹羽正道や、岐阜県随一の富豪といわれた十六銀行頭取渡辺甚吉も参加していた。

 開業は1894年7月28日で、岐阜市内において電灯の供給を開始した。岐阜県内では同年2月に吉城郡船津町(神岡町を経て現・飛騨市)にあった三井鉱山役員宅で電灯が点灯し、県内で初めての電灯点灯事例となっていたが、岐阜市における岐阜電灯の開業は一般供給として県内で初めての事例である。当時電灯は珍しがられ、市内今川町に設置された火力発電所には見物人が多数押し寄せたという。

 電源の火力発電所は出力50キロワットで運転を開始し、1901年(明治34年)に130キロワットへと増強されたが、需要拡大の結果供給力の限界に達した。水力発電への転換を目指し岐阜電灯は1906年(明治39年)、長良川の水利権を岐阜県へ申請する。同じころ、岡崎電灯の田中功平・近藤重三郎らが岐阜方面への供給を目指し揖斐川支流粕川の水利権を出願した。2つの計画の併願となり県の審査が長期化すると予想されたため、両派話し合いの結果合同で新会社岐阜電気を設立することとなった。粕川の水利権を合同で出願し、1907年(明治40年)1月に許可を得て、1月15日岐阜電気株式会社の創立総会を開いた。新設の岐阜電気は水力開発に着手するとともに、1907年3月に岐阜電灯から事業を譲り受けた。
 岐阜電気最初の水力発電所である小宮神発電所は、1908年(明治41年)12月、出力300キロワット(後に350キロワットに引き上げ)で運転を開始した。

 八幡の乙姫滝の発電所ができたのが、1899年なので、岐阜電気より先のため、県下最初の商業用小水力発電と言われているのだと考えます。
 先に書いた、”三井鉱山役員宅で電灯が点灯し”という事実は、神岡水電が1922年8月に設立され、三井鉱山によって建設された水力発電所を神岡水電が譲り受けて運転する形をとっているために、三井鉱山の自家消費の小水力発電であったことから、商業用ではなかったことと判断されていると考えます。
神岡水電
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%A5%9E%E5%B2%A1%E6%B0%B4%E9%9B%BB_%E7%A5%9E%E5%B2%A1%E6%B0%B4%E9%9B%BB%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
つづく。
 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?