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Vol.5 日本WPA発足

2001年9月11日私はシカゴから帰国便に乗って成田空港に向かっておりました。
その日は台風が関東直撃で荒れ模様、2回着陸を試みた機長から、『台風の影響で強風に煽られ、うまく着陸できません。再度失敗した場合は関空に向かいます!』とアナウンスを受けて『今日は大阪でたこ焼きだ!』と思ったのですが、3回目でどうにか着陸でき、帰国したことを思い出しています。
当日は完全時差ボケしているので、たしか、そのまま家に帰り、爆睡していると夜9時ぐらいでしょうか、家の者に起こされ『大変!戦争が始まった!』しかも昨日までいたアメリカで、、、、
そうです。ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が衝突した映像が流れ、ビルが倒壊する姿をライブ中継で観たショッキングな夜でした。
お陰様で、現地時間10日に出発していたため、日本に戻ることができましたが、業界関係者で11日以降の帰国便を予約されていた方は、テロ事件後、約一ヶ月間
アメリカ国内から移動ができなかった事を後から知り、多くの業界関係者がアメリカで足止めされていたようです。早速アーサーに連絡してみるとPRINT01を催していたマコーミックプレイスではゴミ箱や自動販売機などが撤去され閑散とした様子だったとか。
アメリカ企業であったXeroxは素早く撤去してイベント中止、日本企業やドイツ企業は閑散とした会場で業務を継続されていたと聞き、アメリカでのテロ事件が生々しく感じとれました。
 
『自分のやっている印刷という事業でこのチョウチョを世界中の印刷物に付けて羽ばたかせてあげたい』と意気揚々に帰国した私でしたがテロ事件の衝撃が大きすぎて、帰国後は行動が遅れてしまったようです。ただ、アーサーとはEメールという手段で頻繁に連絡をとっており、彼からの要望は数多き水なしユーザーが日本国内に存在し、当時20社程度の印刷会社がWPAに入会されていたことから、WPAの会員をもっと増やしたいので協力して欲しいということでした。当時の問題としてWPAを仕切るアメリカに入会するためにはそれぞれの会社の売上に比例した入会金及びマーク使用料が課金されていて、それぞれ国内の印刷会社はアーサーと個別に交渉をし、クレジットカードで支払いをしていたようです。
 
私の方からは、WPA日本支部みたいなものを作りたいので、どうにかならないか?という相談をしていたと思います。アーサーからの要望はメーカー(東レさん)にとらわれず,印刷会社にも影響されない中立な立場の事務局が必要と言われ、当時アーサーはデザイナーであり企画会社を運営されていたようで、自分のような中立的な立場の人間がWPAの日本支部には必要だと言うことだったのだと思います。
ただ、自分の周りには適任な人材は見つからず、東レの小川部長に相談をすると同時に現在の水なしユーザーでアメリカのWPAに入会している印刷会社の方々と是非ともWPA日本支部の設立したく、2001年のIGASという業界の機材展の開催に機に当時10社程度の印刷会社さんを招聘し、「日本WPA」を設立しましょう!ということになりました。
それから数カ月後、2002年の早春に『元ハイデルベルグ(当時は印刷機械貿易社)の創業家の親戚で五百旗頭(イオキベ)さんという方を東レさんの方から推薦していただきました。
五百旗頭氏はドイツに長年駐在され、日本中の印刷会社に印刷機械を売り歩いたご経験をもち、英語、ドイツ語に堪能、しかもどのメーカーとも中立的な立場でしたので、適任であったことから、事務局長をお願いして2002年5月31日に正式に『日本WPA』(水なし印刷協会)が発足いたしました。
当時の会長は現在社名が変わってしまっていますが、文祥堂の松重社長にお勤めいただき、名古屋のアイカさんの渡辺社長様、久栄社の田畠社長様、そして私が副会長をさせていただいたと記憶しております。発足当時はたしか、35社程度の会であったのですが、20年経った現在、約120社まで増えた実績を見ましても、確実にチョウチョが増えていると思っています。
また、余談になってしまいますが、当時はバタフライロゴを使用するためにはアメリカのWPAに入会する必要があり、個別に英語のホームページから入会し、クレジットカードで会費を納入する形になっていましたが、日本WPAが発足し、一括でアメリカに使用料を払うことにより、日本の印刷会社は日本のWPAに入会し、年会費を払っていただき、自由にロゴマークが使えるようになったことが、バタフライマークの認知度アップに貢献できたものと感じております。
当時の印刷物につける環境マークは圧倒的に米国大豆協会が考案したソイインキ(大豆インキ)マーク、紙のリサイクルを表わすR100マークというものが圧倒的に多く
どれも、大豆インキを購入し、リサイクルペーパーを購入すれば自由にマークを印刷物に載せることができたのもマークが広まった理由だと思います。
その点、バタフライマークは水なし印刷という技術を持ち、ちゃんと印刷できないとマークの使用ができなかったのが他のマークとの違いで広まりきれなかったのだと今になって気づいています。
もっと簡単に使いこなせる技術であったら世の中の主流になっていたのでしょうが、未だ、技術が確立できずに『難しい水なし印刷』というものが供給の足かせになっているとも感じていますし、世の中が『環境に良い水なし印刷』のニーズが高まれば、『難しい水なし印刷』でも世に広まると信じています。
Vol.6 日本WPAの活動に続く
 

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