文星閣水なし印刷ストーリーVol.2

Vol.2『簡単(?)にできる水なし印刷』

当時、(1985年頃)、水なし印刷になったことで水から開放された新人オペレータの私は、持ち前のせっかちな性格と調子の良さで、1時間に4台の印刷物を刷ることができ、版替え5分、見当合わせ3分、色合わせ3分印刷時間4分と少部数(500枚~1000枚)の台数モノの印刷物であれば、15分で1台こなすこともでき、熟練のオペレータを凌ぐ働きができ、周りをびっくりさせたこともありました。基本、機械の設定が安定していれば、安定した印刷が可能でしたし、手順書通りに作業すれば経験や知識は必要なく、ちょっとしたコツのようなものさえわかれば、簡単に印刷ができていました。当時の社長である父がそれを見て、『何の経験もない学生がこんな生産性を上げることができるのか』と考えたらしく、それからは入社一年目で印刷機を回すことを謳い文句に若い社員の採用と水なし印刷への切り替えが進んでいきました。当時から印刷会社の平均年齢は高く、バブル時代の副作用として採用が難しい時期でしたが弊社では『若い経験のない人でも、印刷オペレータにすぐなれますよ』と採用に力を入れていたようです。
ただ、現場ではインキの粘度調整と版面温度の調整が難しく、常に正しいニップ(ローラーとローラーの適正圧力)調整が必要だったり、、通常の水あり印刷機より、高度な機械調整を求められていて、印刷する技術より、安定した機械に調整する技術が必要不可欠となっていったようです。
当初の水なし印刷のインキはとても粘度が硬く、ある程度の温度が上がると逆に柔らかくなるのが特徴で機械が冷たいとなかなか版面までインキを付着させることができません。
よって、溶剤を使い、粘度を柔らかくしてから、機械の温度が上がっているのに合わせて硬いインキを入れていくというようなアナログ的な調合をしていました。その後インキローラの温度調整したり、扇風機で版面温度を下げたり、一定の温度に保つのが至難の技でしたが数年後には振りローラーへの注水が可能となり、インキ坪→ローラー→版面までの一定の温度を保てるようになり、更に誰が刷っても同じ刷り物ができるようになっていきました。ただ、当初私が刷っていた水なし印刷物は見当(版ズレが起きていない状況)が合って、色さえ付いていればいいというような粗悪な製品が多かったのでは?という記憶もあり、本当の意味での能力のあるオペレータではなかったように感じます
今では笑い話ですが、数年後に営業部に配属になった時、「いやー昔は社長の息子が刷ったもので多少のミスは勘弁してください!」って言い訳で無理やり納めていたんだよ』と営業の間でも私のオペレータとしての実力は評価されていなかったようです。
現に私が営業部に移ってからは営業として、水なしの品質の難しさに悩まされた日々の始まりでした。
簡単に刷れるがちゃんと刷ることは難しいのが『水なし印刷』なのです。

通常、普通の印刷ではインキの盛り具合は版面の水の状態である程度自由に調整できたのですが、水なし印刷では、インキツボ(インクを供給する最上部にある)での温度管理、ローラーでの練られる時の温度、版面に付着させる時の温度により、インキが固くなったり、柔らかくなったりで、常に変化をします。
よって、機械の標準化という設定の段階でとても神経を使います。ニップ調整というローラーとローラーの圧力調整、版面に対しての圧力調整、いろんな調整を一定の状態にすることで、誰が刷っても同じものが刷れるようにするのが理想ですが、季節上の室内温度、機械自体の温度調整をするために、インキローラー自体に穴を開けてホースでつなぎ、中に冷却水や高温水を流し込みローラーや版面の温度調整ができるように改造したり、版面に風を充てるために扇風機を設置したり、一番大変なのはローラーに乾いたインキカスが混入すると、版面に付着し、ピンホールの原因となるため版面に薄いヘラを充て、ごみ取り作業です。
強く押し出すと版面を傷つけますし、弱いとゴミが取れません。印刷機を回しながらの同時作業はやたらと慌ただしく、デリバリー部と版胴を走り回っている毎日でした。
その後、ロデルローラーという版面のゴミを吸着してもらえるローラーをつけることで、そのごみ取り作業から開放されたことを聞き、格段と品質が上がったのは言うまでもありませんが、同時にオペレーションも非常に楽になったようでした
当時、冷却ローラーや、ロデルローラー、全て後付加工で改造していたものが、現在ではほぼ標準装備されていることをみると、まさに水なし印刷を追求することで最新の印刷機械の構造の進化にもつながったのではないかと考えています。
弊社でメーカーさんに出す要望は、常に改造という名目のオーダーですが、
後から作られる印刷機械を見ると我々が出したオーダーが標準装備になっている事が多く、この水なし印刷との格闘は印刷機械の進化につながったものと確信しております。
40年前の当社はほぼドイツのハイデルベルグという印刷機を使用していました。昔を思い返してみると、水なし印刷の移行とともに国産の三菱重工製に切り替えている時代がありましたが、40年以上前の時代には旧東ドイツ製プラネタ(現在はKBA)やミラー(現マンローランド)というドイツ製の中古機を使っていた時代もあり、25年ぐらい前より、KOMORIやアキヤマ(現在は中国資本)に変えてきた遍歴がありました。このKOMORIやアキヤマという国産の機械に変えていった背景にはダブルデッカーという二階建て式の両面機の登場があり、印刷機の生産性は更に上がっていきました。
特にこのダブルデッカー方式の印刷機では水を使わない水なし印刷方式が圧倒的に見当性がよく品質を高く保つことができ、営業面というより、現場レベルでの水なしの優位性が発揮できていたのではと記憶しております。
話はまた、外れてしまいますが、印刷技術についての私の持論(あくまで経験と偏見です)では機械構造では、三菱製、鋳物(鉄)はハイデル製、フィーダー部とデリバリー部はKOMORI製といったような複合した技術を組み合わせることができたのなら、素晴らしい印刷機ができるのでは?と考えていました。印刷機自体の発展の中では印刷方式だけではなく、メーカー同士の利権争い的な部分が進化を遅らせていると感じることがあり、同時に世の中の技術革新自体もいろんな利権問題で進化を阻害しているのでは?と考えてしまう自分は古い人間の僻みなのかもしれません。コンピュータの世界ではオープンアーキテクチャと言われるようにある程度の基本的な部分は情報を公開し権利を開放しているため、いろいろな技術革新が起きていますが、特に長い歴史のある印刷業界に於いては、全ての規格や、定義がバラバラでクローズドな環境のため進化自体が遅れているのでは?と思っています
Vol.3『水なし印刷』って環境に良いの?に続く

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