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お洒落語り①


こんばんは。梅雨もそろそろ明けそうですね。

今年の梅雨は長かったですね~。ずっと曇天で毎日同じ日々のように感じていた...

そう思うと天気って大事ですね。




さて、今日はお洒落という題材についてぼやいていきたいなあと思います。




僕はファッションという言葉はなんだか好きません。だって日本語訳すると流行ですよね。なんか釈然としませんので僕は服が好き。というようにしています。笑


そんな僕ですが、高校生のころから服が好きで、大学生になってバイトを始めてからというものの服に毎月お金を使い過ぎてしまいます笑



そんな、お洒落とは何ぞやという事ですが、難しいですよね。

曖昧だけど、なんとなくあの人お洒落だなあ。そう思うことは皆さんあると思います。



ただ、僕が思うに、お洒落とは何かという事ですが、





『一貫性』





ではないかと僕は思います。

自分の確固たるスタイルを築き上げ、それを継続していく事という意味での一貫性ですね。


でもぶっちゃけ結構お洒落って人によるところがありますよね。



普通に顔やスタイルが良ければ、身に纏っている服すべてがおしゃれに見えるという方もいると思います。


ただそれは表面的といいますか、今風に言うとにわかと言うニュアンスがあっているのではないかと思います。


自分の好きなことについて、表面的な事ばかり話していたり、ましてや批評をしてくると『お前に何がわかるんだ』と思いませんか?

(僕の性格が悪いだけかもしれませんが笑)



恐らくそのようなものに似ているかと思います。


それは服でも同じで、

たとえばyohjiyamamotoが好きと言っている割にはyohjiの服を全然持っていなかったり、多系統の服を着たり、はたまた、服の系統が変わったり。



確かにいろいろな服のスタイルを持っていることは人から見たときはお洒落に見えると思います。


しかし、恋愛にたとえてみますと、たくさんの女の子と歩いている人のことをあの人はモテるからなあ...

と思うかもしれませんが、その人のことを内面的に素敵だなあと思いますか?


恐らくこの感覚に近いものを僕は感じています。


だからこそ、



一途はお洒落だ。



僕はそう思います。



それに、服が好きというからには自分の世界観を持つことこそが理想だと思いませんか?

それが多分、一番お洒落と評価されやすいし、自分も自分の服を着たい!そして着ることができる。

それこそが、自他ともにおしゃれに見えるかと思います。




だからこそ僕は常にあの服ほしいなあなんて思うこともたくさんありましが、ここ数年は、同じデザイナーさんの服しか購入していません。


そして自分を棚に上げて言いますが、そのように一貫性があるよと自ら語るような、表現をしてしまうとそれもお洒落からまた離れるように思います。


だから、黙って自分を表現する。または自分を偽る。



それこそ服装におけるお洒落であり、服を楽しむ醍醐味であるとこの頃思います。

だから、生活者の服ってお洒落に僕は見えます。



皆さんも、服に頓着なさそうな人に、どんな服着ているのか尋ね、それが拘りあるものだっあら、『あ、この人お洒落だなあ』と感じませんか?


これが、22歳の僕の今のところ考えるお洒落の終点ですね。



以上、服についてのお話でした。


最後まで閲覧いただきありがとうございました。









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