わたしが「筋トレ」を続ける理由(備忘録)

皆さん、お久しぶりです。
本日は改めて「筋トレ」を続ける理由をアウトプットすることで、自分の目標と意義を見つめ直したいと考えたので、noteを書いています。

2017年の夏からトレーニングを始め、かれこれ5年間が経過しようとしております。ずっと継続できた訳ではなく、続けたり止めたりを繰り返してここまできました。

週7でストイックにのめり込む時期もあれば、2ヶ月くらいトレーニングから遠ざかってしまうこともありました。「継続」と言っても、長期的に見たときになんとか辞めないでこれたような感じです。

今年の3月4月と、忙しさを言い訳にして、トレーニングから遠ざかっていた自分。本日久しぶりにトレーニングに行くことで、感じる部分がたくさんありました。

自分への備忘録も兼ねて、自問自答形式で文字にしておきます。
(きっと今後も何度も読み直すことになるでしょう…)

興味がある方だけ読んでくれたら嬉しいです。


5月2日時点(あくまでわたしの考え)

・なんで筋トレをやっているんだっけ?
-劣等感がある自分を克服したい
-自分の熱中できる世界が欲しい
-闘病の経験を乗り越えた姿で人を励ましたい
-自分の中の成功体験を増やしたい
-何かに本気になれる人生を送りたい

・他からの評価に甘んじていない?
-少し体が大きいとチヤホヤされる
-絞れていなくてもデカイと言ってもらえる
-自分の基準値に妥協が生まれてしまう
-「ストイック」と言ってもらえることに居心地の良さを感じている
-自分軸ではなく、他人軸で筋トレをしているのではないか

・将来どうなりたいんだっけ?
-自分と同じように変化を求めている人に伴走する
-自分の使命のために人生を使っていきたい
-筋トレに拘らずに色んな分野で活躍していきたい
-周りの人を元気にできるような存在になりたい

・誰のためにやっているの?
-過去と将来の自分のため

・自分が満足できる状態はどのようなもの?
-毎日何かに熱中している状態
-寝ても覚めても目標に対して愚直である状態
-自分は夢中だけど周りからは引かれる状態

・筋トレの先にあるものは?
-何かをやりきった誇らしい自分

・筋トレによるデメリットは?
-視野が狭くなりがちなので、そこは気を付けるようにする
-期限を決めてもいいのかも知れない

・なりたい自分と筋トレの関係性
-なりたい自分へ向かう道の途中に筋トレがあるイメージ


改めて自己内省をすることで、見えてきたものがたくさんありました。

いつの間にか、他人軸で自分がトレーニングをするようになっていたなと気が付きました。だからこそ、トレーニングをしなくてもチヤホヤされる状態では、敢えて自分を追い込むようなことをしなくなるのでしょう。でもそれって本当に自分のなりたい姿なんだっけ?と。トレーニングを始めたときの純粋な感情を取り戻したいです。

まだまだ精進していきます。



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