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「自分」を捉えることで生まれる人間関係−ソロ活が生んだ予期せぬ副産物とは

 進学すべき・就職すべき・結婚すべき・出産すべき…。私たちは、年齢・性別などの属性によって、社会が提示する大小様々な「すべきこと」に直面する。例えば付き合って数年のパートナーと結婚する場合、「なんで結婚するの?」と聞かれる事は珍しい。逆はどうだろう。付き合って数年のパートナーがいるが結婚しない場合、「どうして結婚しないの?」と幾度となく聞かれることになる。

 「すべきこと」をしない選択をした時に向けられる好奇や非難の目を恐れ、人は無意識にすることを選ぶようになる。それらをこなしていくなかで抱く、自分の人生が何かに乗っ取られたような漠然とした違和感。何が好きで何が嫌いで、何をしたくて何をしたくないか。社会との交わりの中で埋もれていく「自分」との向き合い方を考える。

朝井麻由美さん
フリーライター・コラムニスト。2014年よりソロ活にまつわる連載をスタート。飲み屋をはしごする飲みバラエティ『二軒目どうする?』(テレビ東京)準レギュラー。その他、テレビやラジオへの出演も多数。

「一人でいること」が繋ぐ人間関係

「ソロ活」コロナ禍をきっかけに多くの人に知られる事となったこの言葉。今まで2人以上で行うことが一般的とされていた活動を、1人で楽しむことを意味する。フリーライター・コラムニストの朝井麻由美さんは、2014年にソロ活にまつわる連載を開始。その後『ソロ活女子のススメ』という書籍を出版、ドラマ化されるなど、「ソロ活の第一人者」と言われる存在だ。

 連載を始めた約9年前、執筆の為「ソロ」について考察・追求する状況にあったこともあり、一人でいることに頑なだった。「関わる人数はできるだけ減らしたい」「本当は一人でいたい」心の中にはいつもその思いがあったという朝井さん。根底には、共同生活の中で「嫌われたくない」と精神をすり減らした学生時代の経験がある。

集団行動の中で生きるのが「多少の不快を受け入れて、大きな快を得る」ならば、ひとり行動は「不快を極力取り除いて、快も最小限でいい」という考え方

朝井麻由美(2019). ソロ活女子のススメ 大和書房

 朝井さんは自身の著書でこのように話している。一人でいる事は、生きていく為の自己防衛策であった。

 しかし、嫌いなことから逃れるための選択は、思わぬ環境や心境の変化をもたらした。「ソロ活キャラ」というラベルを自らに貼ったことで、周囲に「一人でいたい人」と認知されるようになる。そんな自分でもOK、それでも会いたいと思ってくれる人からの誘いしかこなくなった。出会いの質が変化したのだ。

 人と関わるしんどさから選んだはずの「ソロ」という選択が、結果的に自分にとって心地いい人間関係を形成することとなった。「誰かと過ごす時間も悪くないなと、雪溶けしたような感覚だった」。自分の思想を表明し、賛同してくれる人と共に生きていく。シンプルだが、自分の好き嫌いを認識すること、そして発信し続けることは、簡単ではない。

「協調性」をインストールした学生時代

 学生時代、人と関わることはやむを得ずするもので、「インストールする感覚」だったと振り返る。全員がほぼ同じタイムスケジュールで動き、協調性が重視されるなか、空気を読むことが苦手だった。クラスで繰り広げられる様々なケースを経験しながら、「こういう時はこう振る舞うんだな」とインストールしていく。自然と適切な振る舞いができる人は、そんな必要は無いのかもしれない。ただ、自分には生憎そういったソフトが搭載されていなかったので、学習していく必要があった。

 例えば「誰々ちゃんが好き、嫌い」問題。友人に「私、Aちゃんのこと嫌いなんだよね」と打ち明けられる。この場合共感することが正解となるが、「私は好きでも嫌いでもないけど」と発言してしまう。そうすると、「Aちゃんが嫌い」なグループから距離を置かれることになる。思ってもいない共感を強いらえることに嫌悪感を抱きながらも、取り繕う言動を身につけていく。

 修学旅行、グループでの自由行動問題。計画を練るなか意見が出なかったため、行きたい場所をいくつか発言した。黒板には自分の意見ばかりが並ぶ。何となく「わがままな奴」といった空気が流れる。「じゃあ意見言ってよ…」の気持ちに蓋をし、自己主張の強弱を身につけていく。インストールを続けながら、人間関係をこなしていった。

 そんな集団生活の合間、1人の時間はゲームや漫画など自分の好きなものと向き合った。小学生の時に出会った漫画『こどものおもちゃ』の主人公が児童劇団に所属していることに影響を受け、自らも劇団に入った。「ハマると全てを知り尽くしたくなるんですよね」小学校5年生で入団し、受験シーズンなど活動休止期間も含め、20歳ごろまで在籍していた。

 「『芸能人に会うの?』とか好奇の目に晒されるので、(児童劇団に所属していることを)誰にも言ったことはなかったです」高校時代はスクールカーストが明確に存在していた。クラスでの自分の位置付けに敏感になり、イケてるグループには属さなくとも「無難」でいることに徹した。「ダメじゃない」「ダサくない」無難な存在でいるため、言動・見た目全てに気を遣っていた高校時代は、「息苦しかったし、楽しくなかった」と記憶している。そうした生活は、ゲームや児童劇団など、自分の個性が反映されるものと疎遠にさせた。

 高校時代に味わった閉塞感から抜け出すべく、「自由・個人主義な校風」とカタログに記載された大学一択で受験。「入学した日から、羽が生えたような気分だった」高校と大学、何がそんなに違ったのか。新しい環境で過ごすうち、見えてくるものがあった。

 高校には「ジャッジする人」がいたのだ。(見た目が)可愛い子は、同じような見た目の子としか話さなかった。「可愛くない」と直接言われることはないが、そういった言動から可愛い/可愛くないがジャッジされていく。趣味や習い事について話さなかったのも、センスがある/ないをジャッジされたくないという自己防衛だったのだ。

 変わって大学では、帰国子女やインターナショナルスクール出身者も多く、見た目も育ったカルチャーも違う。それぞれが違って当たり前であり、共感を強いられることも、ジャッジされることもない。フラットな空間だった。自己と他者の区別ができていることが、最大の違いなのだろう。

自己の喪失に気付いたとき

朝井さんは大学を卒業後、出版社に入社。「やりたいこと」と「できること」を考えた結果、ライターに行き着いた。学生時代、文章を褒めてもらうことが多かったし、書くことが楽しかった。「できること」はいくつか思いつくが、「やりたいこと」を掛け合わせた時、文章を褒められて嬉しかった記憶が思い出された。

 「当時ライターになるには、出版社に入社しキャリアをスタートさせる事が一般的でした」。入社後は、編集者として主婦層をターゲットにした雑誌を担当したが、ライター志望の自分に編集の仕事は合わず、わずか5ヶ月で退社。フリーのライターとして、キャリアをスタートさせる決意をする。

 晴れてライターになった朝井さんは、大きな壁にぶち当たる。「書きたいこと」がないのだ。書きたい、面白く読んでもらいたいという欲求はあるのに、書きたいことが何も見当たらない。「私、空っぽかもしれない」。無理に共感したり、無難でいようとし続けているうちに、自分が消え失せてしまっていたことに気付いた瞬間だった。高校時代の閉塞感が蘇ると共に、自分の感情と向き合ってこなかった学生時代のツケが回ってきたように感じたという。

 朝井さんにはなりたいライター像があった。「デイリーポータルZ」というポータルサイトに掲載されるような記事を書くライターだ。サイトの説明には「自分達が興奮したことだけを載せる」とある。人気記事の中には「してみよう!拾い食い」「一人で女子とカフェデートしている写真を撮る方法」などバラエティに富んでいる。書き手が自分の興味関心を赴くままに掘り下げていくスタイルに魅力を感じた。

 そして何より、駆け出しのライターとして仕事を獲得するには、積極的に企画書を各媒体に提出する必要があった。その内容はやはり、自分の好きなものからの着想になる。空っぽの自分ではいるわけにはいかないのだ。

 これまでを振り返ると、好きなことを「好き」と表明することに後ろ向きであったことに気が付く。「ゲームが好き」と公言した途端、「ゲーム好きな女」というラベルが貼られる。何が好きか=その人のセンス。ラベルで判断されることが怖かったし、「この程度の好きで、好きと言っていいのだろうか」という戸惑いもあった。ラベルに責任を持つ自信が無かったのだ。

 しかしこれからは、「朝井という人間はどういう人間なのか、表明していかないといけない」。「自分の好きなものってなんだろう」常に意識して考えるようになった。長く土の中に埋もれていた自分の「好き」を掘り起こしていく感覚だった。

自分の「好き」「嫌い」を自覚することで見えたこと

ライターとしてキャリアを積む中、「一人」についてのコラムを連載しないかとお声がかかる。一人を謳歌することを「ソロ活」と呼び、活動を啓蒙する内容だ。人間関係の煩わしさなどから無意識に選択していた一人での行動について、その楽しさを追求していくこととなった。

 様々なソロ活を経験していくなかで、メンタルの変化を感じた。何をしたいか、どのお店を予約するか、何を注文するか、主語が他の誰かではなく全部自分なのだ。その体験は否応なく自分の内面と向き合わせ、自分の好き嫌いの解像度が上がっていく。「朝井麻由美」の輪郭が強固になることで、人間関係のバランスが取れるようになった。ソロという明確な選択肢を得たことで、人の輪からあぶれてしまうことへの恐怖心がなくなり、「最悪一人でも楽しいし、いっか」と思うようになった。自分と相性の良い人・悪い人がわかるようになり、後者とは「ご縁がなかった」と思える強さが身についた。一人を選んだことで、繋がった人間関係があった。

ひとりスイカ割りを楽しむ朝井さん。
定番のひとりカラオケやソロキャンプをはじめ、
ひとり花見やひとり遊園地など、活動の幅は広い。

 学校・家族・職場・SNSなど、人はその規模や形式に問わず様々なコミュニティに属しながら生活している。その枠組みの中で、他者との衝突を避け、なんとなく人に合わせることを繰り返す。段々と自己と他者の区別がぼんやりとし、自分の言動が、自分の意志によるものなのか、他者の意志によるものなのか、分からなくなる。

 ソロ活は、その名前から行動にフォーカスされることが多いが、語るべきは「自分」が自立していく心境の変化である。自分を捉えることができれば、人間関係における過剰な共感や執拗なジャッジは必要なくなる。

 感情の起伏があまりなく、淡々とした性格だと話す朝井さん。確かに、インタビュー中も自分を俯瞰したような、冷静な話ぶりが印象的だった。そんな朝井さんがインタビューの最後、少し語気を強めてこう言った。

「『すべきこと』なんて無いと私は思います。あるのは『したいこと』だけです。」

 それに気づけた時、社会から規定される呪いは解ける。人は何歳からでも「自分」を解放することができるのだ。


この文章は、宣伝会議 第46期 編集・ライター養成講座 卒業制作として作成したものです。


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