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【吉田正高コレクション整理記録】4/4・4/5~正高さんを見送る

整理記録の前の備忘録の続き。

たぶんこれは、主にささこに向けた回です。
私の覚えていることだけですが、遺しておこうと思います。
彼女が思い出したいと思った時に読めるように。

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◆4/4(水) 通夜

正高さんの通夜は、4/4(水)に親族だけで執り行われました。

われわれ兄弟順は以下のとおり。

・正高(故人、ささこ夫、吉田家長男)48歳
・ケン(綾子夫)47歳(未登場)
・綾子(塚口家長女)46歳 ※私
・タツ(塚口家長男)44?歳(初登場)
・ムネ(正高実弟、吉田家次男)←たぶんココ(初登場)
・ささこ(塚口家次女)40歳

タツは43歳かもしれませんが、誤差ですよね。
ムネ氏は、正高&ささこの結婚顔合わせでしか会ったことがないので、よくわかりません。もう10年近く前に一度会ったきりですからねぇ。

通夜にあわせて、弟タツが山形入りしてくれました。
ささこ側の親族で、車が運転できるのは弟タツだけです。
(綾子は免許をとっておらず、ささこは過去に倒れたことから免許停止?中)

私はこの日出勤してから山形に向かったので、通夜には参列できませんでした。山形到着が新幹線終電だったこともあり、通夜会場の宿泊設備に直行(設備はとても快適でした)。

おかげで、安置されている正高さんとも対面できました。
彼は、穏やかに見えました。


◆4/5(木)出棺~火葬

翌朝、正高さん実弟のムネ氏とその奥様ナオさんと合流。

火葬への参列は計8人です。
・吉田家:ささこ、むぐ、はつ
・吉田家親族:ムネ、ナオ
・塚口家(ささこ親族):母スズ、綾子(私)、タツ
※塚口実父は足を悪くしているため参列を見送り。綾子夫のケンは仕事があり告別式のみの予定。吉田のご両親は、この数年で他界されていました

ささこは、この日、なんというか、強烈な感情の波の中にいました。
3/31以来、なんとか保ってきた心の均衡が、ぐらぐらと揺れている感じ。
悲しみ、不安、怒り。そんな感情がぐちゃぐちゃっと押し寄せたように見えました。

私たち家族にできることは、あまりありません。
ただ寄り添ったり、代行できることをやったりするくらいです。

むぐ・はつは、前日に用意してもらった「洗濯できるきちんとした服」を着て、私たちと話したり、遊んだりしています。
待ち時間の間に、一緒に正高さんの顔を見に行きました。
そこに「お父さん」がいることを、二人は粛々と受け止めているようでした。

お別れの時間は、迫ってきています。

待ち時間中に、ムネ氏と私、タツの3人で正高コレクションについて話をしました。
ムネ氏は正高さんとはまったく異なる仕事に従事しており、兄のコレクションについては把握していないと言いました。「たくさんある」という理解はあれども「価値はわからない」とのこと。タツもほぼ同等の感触です。
ふむ。つまり、こういうことです。

「正高コレクションは、私がなんとかせねばならぬ」

義務感みたいな……ええ、そんな感じです。
そういう気持ちになってしまったのですから、仕方がありません。
ムネ氏にも念のため、その旨は説明しておきます。
正高さんのコレクションは、ささこ側(われわれ)で整理や処理を行うことに、異論はないとのことでした。

さて、いよいよ出棺です。
火葬場へ向かいます。

塚口家は今年、2回目の火葬です。
(2月に母方の祖父が奈良で大往生いたしました)
火葬終了を待つ間、「火葬時間は山形のほうが短いのだな」とぼんやり思ったのを覚えています。

ムネ氏に、必要以上に声をかけることはできませんでした。
去年までにご両親を、そしてこの日お兄さんを見送った彼の心情を、本当の意味で理解できていると思えなかったんです。

姪むぐ・甥はつは、要所できちんとしていて、立派なもんだとも感心しました。待ち時間などは走り回ることもありましたが、必要なところではおとなしくしていました。
お骨上げも、一緒にやりました。

すべてが終わった夕方、正高さん実弟ムネ氏夫婦は、関東の自宅に車で戻っていきました。次に会うのは4/8(日)の告別式です。

吉田家の車は5人でいっぱいなので、
遺骨を持ったささこ、一日頑張っていたむぐ・はつ、寄り添ってくれている母スズを、弟タツに任せて先に帰ってもらいます。

私は、タクシーを呼んでもらって、火葬場で少し待っていました。

空は青く、天気のよい日。
正高さんが空にのぼっていったのは、そんな日でした。

吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。