【吉田正高コレクション整理記録】4/6~新聞10年分の威力

ご来訪ありがとうございます。
ささこがTwitterでこの整理記録を紹介してくれたおかげで、思いのほかたくさんの方に足をとめていただいたというのに、更新が遅くなりまして申し訳ありません。

整理の実録を2回分ほどお休みしておりましたが、今回から復活。
頼もしい助っ人が1.3人ほど参戦です。

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山形事情なのか、それ以外の事情なのかあまりはっきり聞きませんでしたが、通夜(水)&出棺・火葬(木)から告別式(日)まで少し間があきます。

私の勤務する株式会社Donutsの規定では、この場合の弔辞休暇は3日。
4/5(木)4/6(金)、とんで4/9(月)で申請。4/8(日)の告別式の翌日まで山形にいることにしました。

ささこにはGoogleドキュメントを案内したり、
出棺の儀の前にごあいさつした「平安典礼」(葬儀社)の担当の方とのメールのやりとりにまぜてもらって状況を把握したりしつつ、
吉田正高コレクションの整理、再開です。

4/6(金)の整理からは、塚口家の長男であり、兄弟の真ん中のタツが参戦。
彼もまた、通夜から告別式翌日まで山形にいてくれるのです。

タツが今の吉田家に足を踏み入れるのは初めて。
昨日から泊まっていたタツは、言いました。

「生活空間の不用品を、捨てよう」

そう、正高さんは、本当に捨てられない人でした。
直せば使えるという理論だったのか、使っていない(ありていにいうと壊れた)家具もけっこうありました。

正高コレクションにばかり気が向いていた私ですが、タツの意見には賛成です。
確かに、生活空間の充実は必要です。
ささこと子供2人は、今後もこの家で生活していくのです。
我々は、以下の方針を立てました。

「ささこに確認し、不要とわかれば捨てる」

生活空間をいったんタツにお願いし、私は朝から最強の魔窟(のひとつ)に向かいます。

納屋です。

4/1分の記事でも掲載した納屋の写真
左の画像(上写真右)にあるのが、タイヤです。6個ありました。

ささこはあと2年ほど免許が手元にないので、車は売る方針です。
吉田家は、2台所有していました。どちらも確かWILLブランドの車だったと思います。一応カーナビはついていますが、細かく番地などを指定できないなど、時代を感じるなぁ。
いったんタツを呼び寄せ、タイヤを納屋から出してもらいました。
タイヤ、重いんですよ! タツは家具屋勤務なので(?)うまいこと運んでくれました。

タイヤを出してもらったあとは、また一人作業です。
新聞の詰まったカラーボックスを、ひたすら納屋から外に出します。
出します。
出します……半分ほど出し終わりました。

これで半分! です!
右のこぶりな段ボール箱14個は、VHSビデオテープの山です。

カラーボックスは新聞が詰まっているので、かなり重いです。
写真右は、これらを運び出したあとの納屋。
ちょっとすっきりしたでしょう。

この過程で、武装を手に入れました。
ひとつは、クイックルワイパーハンディ伸び縮みタイプ
自然に満ちた山形のこの地の納屋は、クモの巣でいっぱい。正直、べたつくし、私はあまり得意ではありません。
買い物に出たささこに買ってきてもらい、縦横無尽に活躍してもらいました。納屋の奥に広がるクモの巣の塊を大胆に払い、ハンディシート取り換え、また払い。カラーボックスにかかるクモの巣を払うのにも役立ちます。
いやー便利でした。ありがとう花王。サンキュー花王。

そして、武装その2が、姪のむぐです。
むぐは週末には小学1年生。この時期って、意外に勤労精神に満ち溢れているのですよね(飽きるまでは、という時間制限がありますが)。
そこでその奉仕の精神に訴えかけ、ひたすらカラーボックスを拭いてもらいました。

まず、私が縁側に置いたカラーボックスから新聞紙を取り出します。
空になったカラーボックスをむぐに渡します。
むぐはカラーボックスをひたすら拭きます。実ににぎやかに。拭いたカラーボックスの数を数えながら(途中で数を聞き流したのは公然の秘密です)。
途中で、母スズにも新聞紙をくくるのを手伝ってもらいます。

昨日買ってきた荷造り紐はあっという間になくなり、補充したスズランテープも心もとなくなっていきます。

新聞紙は、重いです。けっこう腰にきます。紐でくくる作業って腰を曲げますしね。膝をついて作業するのが、わりと負担が少なかったです。
あと、意外に新聞の見出しに目がいって、手が止まりそうになりました。しかし、強い心は必要ありませんでした。残ったカラーボックスに目をやると、自然に見出しをスルーして作業に戻る自分がいる。
吉田家が山形に来てから取り続けた新聞(おそらく10年分ほど)を、いま私たちは必死にくくって、うずたかく積み上げています。

いくつあったのか記録に取り忘れましたが、たぶん40箱はくだらなかったのではないかと思います。
本当に「塵も積もれば山と」なりますね。

結局、新聞紙のカラーボックスをすべて出して、くくり終わったのは、午前も終わろうとしていたころでした。
新聞以外のアイテムも、ほとんど捨てました。
空箱とか、あとで捨てようと思ったんだろうなという壊れた大型おもちゃとか、古びた長靴とか、etc、etc.

残したのは、大学講義の資料用であろう何かが入ったカラーボックス(確か5段くらい)のみです。
これはまだ捨てるには早すぎる気がしています。


吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。