写真単体5

【吉田正高コレクション整理記録】4/1~侵食された生活空間

妹ささこは数年前(4年くらい前?)、突然倒れ、意識不明で寝たきりとなりました。確か数か月くらい。
意識を取り戻したあとも記憶がいくらか飛んで、ろれつが回らず、なかなか言葉が出てこず。私が一番覚えているのはやっぱりネタ系。

ささこ「(電話にて)お姉ちゃん、わたし計算ができなくなってる!」
わたし「いやいや、君は昔から算数は苦手だったじゃん」
(ははは、反応、雑でしたね、すまんすまん)

当時、正高さんはものすごく頑張って、いままでの生活を変えて家族のために奔走していました。
この吉田家の生活のサポートをしたのが、ささこと私の実母スズコ。
母は(たぶんいい意味で)雑で、本当にパワフルな人です。

今回の正高さん死去に伴う吉田家のサポートも、この母の存在がとても大きいです。お母さんありがとう。

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吉田家は、大きく2つのエリアに分かれています。

(1) 吉田家生活空間
(2) 吉田正高コレクション部屋(&ささこ私室)

しかし実際のところ、(1)にも正高コレクションは侵入していました。
「正高コレクション飛び地」とでも表現すべきでしょうか。

いったん片づけを休止して撮影したこの飛び地を、みなさまにご紹介しようと思います。

◆廊下
山形は冬寒いせいか、生活空間は3方を廊下、1方がクローゼット部屋で囲まれています。つまり廊下は多い。
正高コレクション飛び地は、この廊下を活用しています。

廊下にあるロッカーやスチール棚の一部。
写真左は雑誌の付録やカレンダーなどの紙物がファイリングされています。
真ん中・右はLDボックスが中心です。

生活空間に近かったので写しませんでしたが、これ以外にスチール書庫がもう2つほどあります。

◆クローゼット部屋
生活空間の最奥にある細長い部屋で、(作り付けだったようにと思う)クローゼット3つとタンスがあります。
この部屋に、スチールキャビネットが2つ3つ置いてあって(数は記憶が怪しい)、その中にも書籍やビデオが大量に詰め込まれていました。
引き戸2枚式の大きなロッカーです。なんかこんな感じ(リンク)の……リンク先は両開きですが、吉田家は引き戸だったと思います。

まあ、ともかく、一般のご家庭ではあまり使われない業務用のキャビネットです。

これが、確か3つあったはずです(これは扉が外されていましたが、外されてないバージョンもある)

クローゼットの床には、焼いたDVDが50~100枚バルクが無造作に突っ込んであります。最低10個、いやたぶんもっと多かったはず。(生活空間なので写真には納めず)

ささこが Twitter 「#ある日突然オタクの夫が亡くなった」その11で書いているのが、このクローゼット部屋です。
(もっとも日程的にはもう少し後のことなので、また後日書きます)

◆納屋
午前中の私が「心が折れそうだから今は見ない」と決めた納屋も少し。

これらのカラーケースには、山形新聞が詰まっていました。
なんのために保管されていたのかと確認すると、「なんかいつか役に立つ系みたいなこと言ってた」風のふわっとした話のようです。

吉田家が山形に来て、たぶん10年前後。ふむ。
これは処分対象として記憶しておくことにします。新聞紙を処分すれば大量のカラーボックスが手に入ります!

入り口手前にある引き出し(写真右)には、どうやら授業で使ったプリント?か何かを作る資料が入っている様子。
これは即判断できないので、置いておくことになりそうです。

いやー、はははは、多いですね、コレクション。ほんと。あはははは。

先は長いです。

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4/1までの話は、これで終わりです。

ときどきしんみり(?)書いていますが、実際のところは、かなり無心で作業をしています。
この手の作業って、わりと無心になりませんか? 私はなります。

普段は聞かないラジオを聞いて(それも自宅では選択しないであろう山形放送)、
大量のアイテムを選り分け、
チラシ破棄の可否を行いながら、
淡々と作業を進めて。

それでもなお荷物の多い吉田家です(笑)

ですが、まあ、いつかはなんとかなるでしょう!

吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。