写真単体

【吉田正高コレクション整理記録】4/1~サヨナラ文具

むぐ(姪)は、今年、小学校にあがりました。
入学式は4/7(土)。正高さんは、愛娘の入学式1週間前に他界したのです。
溺愛してたからな~無念のひとつだろうと思います。

そんなむぐはつ育英基金、継続中です。

発起人のみなさま、本当にありがとうございます。
発起人のおひとり、セガゲームスの松原さんは、コーエーテクモゲームス時代の私の上司でもありまして、ご縁って不思議だなと思います。
当時も今回も、お世話になります。

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さあ、4/1の午後にさしかかりました。

ささこ、むぐ、はつ(甥)、我々の母(スズ(仮))は、昼前に買い物に出かけていきました。
静かです。素晴らしい。

しかし静かすぎてさすがに物寂しいので、ラジオをつけます。
AM、山形放送。周波数はネットで調べました。
ふだんほとんど聞かないので、いま、人生で一番ラジオを聞いているかもしれない。

しかし、本当に物持ちのよい人であり、雑多にいろいろ混ざっています。

上記写真は、正高実家系&本人のアルバムです。早稲田大学の卒業アルバムも見えますね。わかりにくいですが、段ボール箱の手前にあるのは、早稲田の手旗(ラグビーや駅伝の応援で振るアレ)や、卒業証書です。
先年他界されている吉田のお父さん・お母さんのアルバムや卒業証書もあります。これは個人のアイテム。いったん避けておきましょう。

ここからは、メイン部屋でもパソコンデスク周りを中心に、ちらばってたり床に積み重なっているさまざまなものを、とりあえずいったん段ボール箱にいれていきます。

4/1朝に意識した分類に、なるべく合わせます。

◆振り返り
(1) いわゆる「販売品」※人に説明がしやすい、場合によって売れる
(2) 本人が撮りためた映像など ※売れないけどほしい人がいそう
(3) 同人系制作物
(4) 学術的資料
(5) 吉田正高の資料(論文とかレジュメとか本人ぽいもの)
(6) 吉田家のもの
(7) 正高私物(過去のノートとか)

とにかく意識したのは(7)です。
これらは捨てられるものもあるからです。病院で処方された薬の袋とか、使いさしの文房具(かけないペンも多い)、10年前のコンビニレシート、高校時代の単語帳、etc、etc.

(一応個人のものなので最初は仕分けをしましたが、最終的にはささこ了承のもと、明らかにゴミにしてよいだろう、というものを捨てました)

反面、ゲームやアニメ店舗などのチラシや、書籍のおまけ、しおりなどは (4)ぽいかなと思って、「とりあえずとっておく・研究?」箱にいれておきます。
書棚にチラシをスクラップしたっぽいバインダーがあったので、こういうのもとっとくべきなんだろうなぁ、と……。わかんないけど……(自信ない)

この時点での感想は、「これ、よく引っ越してきたな」。

ほらほら、だいぶ綺麗になった気がしませんか? こんなに床が見えている! なかなかのものでしょう(時々こうして自画自賛をして自分を奮い立たせるスタイル)。

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※以下、本文よりも長いおまけ文です。事実関係というよりは私の心情の吐露です。
※「こういうことがあった」という記録なので、葛藤も書いておこうと思います。

4/1に限らず、その後もずっと(現在に至るまで)迷っているけれど、断行したことがあります。

「まだ使えるけど研究対象ではないであろうものの処分」

主に、文房具です。
ペン、クリップ、そしてホチキスの芯など、大量に出てきて、まいりました。

部屋の隅に散らばってたり、棚の端に置かれていたり、「なんだこれ?」という雑多なものが詰まった箱から、使いさしがボロボロ出てきたり……。

多すぎる。
正高さん、この文房具類、本当に多すぎるよ。

おそらくこんな感じだったのではないでしょうか(正高さんに対する私の印象からの推測)

「どうせなくすからまとめて買っておこう。あ、これ頻度少ないけど買っておきたい!」
「新しいペン使おうっと」
「あれ、こないだ使ってたのどこいった」
「新しいのがこのへんにあったはず」
「見つからない」
「別のを買ってこよう」
「どうせなくすから(以下無限ループ)」

ああ、もう、違うと思いたいけど、なんかもうわかんない!

途中から、一般的であろうと思われる文具については、使いさしでも、場合によって新品でも、捨てるようになりました。
※研究対象であろうと思われるグッズ的なものは除外

強い言葉を使うなら、この部屋は『汚部屋』です。

なんでもかんでも溜め込んで、あちこちに積まれ、そしてそのまま放置。
山形以前の荷物で、開けていなかったものも多くありました。当時の正高さんが「とりあえず」詰め込み、未整理のまま、「いつかやろう」と思って置いておいたものでしょう。

なるべく意志は尊重したい。
でも……

正高さんは、捨てられない人でした。
「いつか役に立つかもしれない」と言って、何もかもため込んでおく。そういう性癖で、本人も明言していました。
当時、彼が元気な時は笑って流せました。

でも、彼は、もういない。

モノの価値は、ひとそれぞれです。
正高さんにとって(そして同種の研究者にとって)、大事な研究対象が、ここにはたくさんあるのだと思います。

しかし、残された家族(ささこ、むぐ、はつ)には扱いきれない量の「何か」でしかありません。

親族たちからは「全部ゴミとして捨ててもいい」くらいの強い発言も複数飛び出しました。
それは、実際にこの部屋を見ての発言ではありません。
「吉田家生活空間にあふれている正高私物からの印象」でした。
(彼は本当に、誰も、この部屋には入れなかったようなので)

正高さんのいないこの部屋に置いておかれるだけで終わるのであれば、すべてのアイテムは無価値です。
どこかで線引きをして、整理しなければ、必要な人にお渡しすることもできません。
整理するためには作業スペースが必要です。大事なものを選り分けて、整理するための場所が欲しい。

だからこの過程で、わたしは、「量産型文具」は研究対象外であり、不用品である、としました。
もっとも理解を示し、もっとも保存を望む私の時間もまた、有限だからです。

誰かにあげたりとか……とは思いましたが、使いさしを欲しい人を探して交渉するコストのほうがかかりすぎます。(金銭的にも、時間的にも、労力的にも)

……こうして長々と書いているのは、私に「使えるものを捨てるのは、もったいない」という罪悪感があるからです。

本当はちゃんと使えるものと使えないものを仕分けして、たとえば寄付にでも出したい。(そういう団体があることは知っており、私個人は指定された方法で何度か送ったことがあります)

でも、限界があったのです。
そこまでやったら、絶対に終わらない。
だから、捨てました。

もう少し整理が進んで、それでもまだ文具が出てきたら?

その時は、ようやくそれをまとめて避けておいて、使ってもらえるように努力できると思います。

しかし、道のりはまだ長いのです……。

苦しい。
自分の気持ちとこんなに戦うことになろうとは、思ってもみませんでした。

吉田正高コレクション整理記録。オタク教授の他界、そしてその親族や知人たちの奮闘記録。