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ドルチェ&ガッバーナのブーメランは欧州に届いたか、あるいは人を笑う者は穴二つ

ドルチェ&ガッバーナ中国で大炎上を起こした件、たまたま箸でパスタを食べようとしてうまく巻けないシーンをランチ時に店内テレビで見かけました。その時は、これぐらいひとしきり怒ってあとは許してもよさそうだけどと思わないでもないでしたが、今日になって以下を読んで、ちょっと思うところがありました。

ドルガバの2016年のポスターでは、白人がフォークでパスタを食べているのに対し、東洋人が手で食べる写真が使われており、『これもアジア人差別ではないか』との声が一気に広がっています。(ドルガバ“世紀の大炎上”の後始末……「余罪」がボロボロ出てきて、日本市場も絶望的|日刊サイゾー

確認の労を省きWikipediaに頼ってしまいますが、ヨーロッパで「フォークでパスタを食べ」るようになったのは1770年代で、それまでは「手で食べる」のが一般的だったようです。

1770年代、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王フェルディナンド4世が、宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じた。しかしスパゲッティを手で食べる場合、頭上にかざして下から口ですするという、当時の価値観でも非常に見苦しいものとなり、このような作法がハプスブルク家出身の王妃マリア・カロリーナに承認されるはずもなかった。そこで、賓客がより上品にスパゲッティを食べられるように、料理長ジョヴァンニ・スパダッチーノに命じて、もともと口に運ぶものでなく料理を取り分けるためにあったフォークを食器として使わせた。(フォーク (食器) - Wikipedia

余談ですが、中国では孟子の時代というから、紀元前300年頃には箸が普及し始めたようです。

殷の帝辛(紂王)(紀元前1100年ごろ)が象箸(象牙の箸)を使用したという逸話が『史記』巻38 宋微子世家、および『韓非子』喩老篇にある(略)その後、孟子が「君子厨房に近寄らず」の格言に基づき、厨房や屠畜場でしか使わない刃物の、食卓上での使用に反対した。そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、食卓に出されるようになったので、箸が普及していったと言われる。(箸 - Wikipedia

「お箸の国の人だもの」とCMのフレーズにもなる日本も箸文化で、少なくとも600年頃、聖徳太子が朝廷の供宴儀式で箸を採用したとされています。時を下って1685年に出版された「日欧文化比較」には次のように記されていると言います。

16世紀後半の戦国時代・安土桃山時代の日本でキリスト教の布教を行った、イエズス会の宣教師であるルイス・フロイスは、著書の『日欧文化比較』の中で、16世紀当時、日本人が箸で食事していた一方で、ヨーロッパ人が手づかみで食事していたことを、記録している。(フォーク (食器) - Wikipedia

つまるところ「パスタを食べる」と言われて連想するのはヨーロッパ文化ですが、「パスタを手づかみで食べる」でも物を知った人ならやはりヨーロッパ文化だねとなりそうです。「パスタを箸で食べようとしてうまくいかない」なら東洋文化圏での異文化遭遇ですが、「白人がフォークでパスタを食べているのに対し、東洋人が手で食べる」なら人種的には東洋人でも地理圏や文化圏的には西洋、フェルディナンド4世以前のイタリアを思わせるんじゃないかな、と。

イタリアブランドであるドルチェ&ガッバーナが嘲笑したその構図の先にあるのは、西洋、というかもう地元イタリアの歴史じゃないかなと思うのです。ドルチェ&ガッバーナが物を知ってるなら、そのブーメランはまだお手元に届かないですか、というところです。そして物を知らなかったのだとしたら、そうだとしても他者を笑おうとさえしなければ、それと知らずブーメランを投げることにもならなかったはずです。

人はなんでも知っているというわけにはいかない、全知であることはできないので、肝に銘じるなら「人を笑う者は穴二つ」というところでしょうか。そうでなくても人を笑う人は人に笑われる被害妄想にとらわれやすいそうですし、人を笑うことの怖さ、危うさは、頭の片隅に置いておきたい気がします。

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ヘッダ画像は663highlandによる「Block30 Kobe03s5s3200 - ドルチェ&ガッバーナ」。ライセンスはCC BY 2.5

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