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死にたてのゾンビの大冒険

ランチタイム、同僚がやっているゲームにゾンビモードが導入された、というところから話は始まった。ゾンビなんて非科学的なものだ。ウィルス論とかしゃらくさい。あれは呪いとかネクロマンシーでいい。だいたいリアリティなんて求めたら、骨や肉が痛めば動けなくなるし、外にいればカラスに襲われるのがオチだ。

ふと、ゾンビの生きづらさ、ということを思った。ゾンビとして生き延びるのも大変なんじゃないだろうか、と。

ゾンビサバイバルではゾンビだってサバイバル

例えば君はゾンビに噛まれて命を落とし、そしてゾンビとして蘇る。死にたてのゾンビである君はまず自分の境遇に気づき、しばらくして自分が置かれている極限状況に気づくのだ。この新しい体は、ゾンビを恐れる必要がない。でもゾンビになる前より、ずっと厄介な体だと。

人を襲いたい衝動には駆られる(のだろう、きっと)けど空腹にはならないから、人間を襲撃するのは今すぐじゃなくていい。それより気になることがある。この噛まれた傷跡の処置だ。なんというか、ゾンビの体って時間が経てばケガとか治るのか?もう新陳代謝とか成長とか、それに伴う損傷の回復みたいなことは望めないんじゃないのか?

ここで君は思い至る。この体では傷の悪化って、化膿とか感染とかじゃなく……腐敗?いやむしろ、傷口じゃなくても、なにか処理をしないと全身が腐敗の危険に曝されてるんじゃないか?

その通りだ。君はポケットからスマホを取り出し、「防腐剤」について検索し始める。次に君は地図アプリで手近なホームセンターへ歩き始める。検索して知ったのは、木材用の防腐剤が身近に販売されてることと、化粧品に防腐剤が添加されていること。化粧品なんてよくわからないし、「添加」されてるぐらいじゃ効かないかもしれない。商品名がそのまま「防腐剤」として売られている木材用の方が、間違いないと考えたのだ。

街中を歩く君は、もちろん周囲を徘徊するゾンビたちの牙を恐れる必要はない。でもその牙が、君にもう一つのことを気づかせる。人間が屋外から姿を消し衛生の失われた街路には、ネズミ、カラス、そのほか多くの動物たちが堂々と往来している。彼らにとって、自分たちはどう映るだろう。恐れるべき生き物と映るか、それとも腐肉に見えるか?君はあたりを見回し、しばらく探し回って手ごろな角材を手にする。ゾンビより小動物たちに警戒心を向け、時に角材を振り回して見せながら再びホームセンターに向かう。

このイカレたゾンビの時代へようこそ

いろいろなことに気が付いた君だが、しかし君が忘れていることもある。君はもちろん一人目のゾンビじゃない。腐敗の危険に気づくのも、防腐剤を思いつくのも、ホームセンターに向かったのすらも君だけじゃない。先にそこにたどり着いた者がいる。

人間達の社会が機能不全に陥っている今、防腐剤の生産・供給も潤沢なはずはない。つまり、およそ防腐剤と名の付くものはすべて貴重品だ。備蓄がある場所、保管できる設備のある場所は、すでに力のあるゾンビに占領されている。君が向かった先で待っているのは、かつてのパラリンピアード。壊れたら交換ができる、それも運動性能に優れたスポーツ用の義手と義肢で格闘ができるアスリートだ。

体を損なうわけにいかない多くのゾンビたちは格闘を避けたがるが、彼は必要とあれば格闘を仕掛けることすらためらわない。いつしか彼は暴力によってこのホームセンターを支配し、防腐剤を中心とした物資の供給を握ることで地域のゾンビを経済的に支配している。さあ、奪うのか、買うすべを探すのか、他の地に向かうのか?

地上はいまや北斗の拳やマッドマックスもかくやの世紀末荒野なのだ。逃げ惑う人間たちの誰がこんなことを想像するだろう。ゾンビたちが実は恐怖と重い支配に喘いでいるなんて。

死にたてのゾンビの大冒険

数週間後、君の姿は日本海の港町に向かう途上にある。懐に入れた防腐剤の残りは心もとなく、道中で調達のあてもない。でも君は、知ったのだ。

まず君が思いつくべきだったのは「防腐剤」ではなく「遺体保存技術」や「エンバーミング」という言葉だったこと。そして遺体保存には血液を抜いて全身を防腐剤で満たし、その防腐剤を定期的に入れ替えなければいけないこと。それを知らないあの街のゾンビたちはそれぞれに最期を迎え、ホームセンターの主ももう何代目になったのか覚えていない。でも知ったからと言ってどうなるだろう。そんなに大量の防腐剤が、それも街のゾンビ人口を支えられるほどあるはずもない。

いくつかの噂が君に旅立ちを決心させた。極寒の国では、腐敗の進行は抑えられ、防腐剤の消費を抑えられる。それに惹かれて集まったゾンビたちは、襲撃衝動より理性を優先させ、人間たちに特区を与えて防腐剤の生産をさせてもいるという。そして集まってきた人間たちの中には、義肢の製造や、傷んだ四肢の切断と義肢の適合に処置に長けた者もいるという。かの地ではゾンビが永らえることができ、ゾンビの支配下ではあれ人間も生きながらえることができるのだ。

それはもはや、君にとって最後の希望だ。自動車や列車の絶えた日本の背骨へ、雪山越えへ君は一歩目を踏み出す。極限環境サバイバルが君を待ち受ける...。

ゾンビもみんな生きている、かも

「ゾンビサバイバル、ではなくて、ゾンビのサバイバル!」と言ったとき、同僚たちは声をそろえて突っ込んでくれた。「まずサバイバル(生き残り)とか言っても、そもそも生きてないから!」と。

うん、その通りだね。しかしゾンビの脆さを思い、ゾンビが自身を長らえさせるにはと考え、死にたくない、朽ちたくないとあがく彼らの姿を思ううちに、ふと思ってもしまう。あれ、これ生きてない?死にたくないって、生きてるってことじゃない?

なんなら「内部での物質交換と外部との物質のやりとり(代謝)、および同じ型の個体の再生産(遺伝と生殖)」が生命の定義なら、同じ型の個体の再生産をして血液に変わる防腐剤を定期的に入れ替えるゾンビはぎりぎり生命っぽくない?「ネゲントロピーを取り入れ体内のエントロピーの増大を相殺することで定常状態を保持している開放定常系」を生命の定義とするなら、もう生命そのものじゃない?

最近「死にたてのゾンビ」なんてキーワードを見かけたせいでスッと脳内妄想が疾走したけど、実際のゲームになってみればよりゾンビの必死さ、「生き延びたさ」的なものを実感するのではないかとも思う。誰か、ぜひゲーム化してほしい。ゲームテイストは「The Long Dark」みたいな感じだろう。そしてタイトルはもちろんあれですよ。「ゾンビを止めるな!」……お粗末様でした。

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