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平成最後のご卒業

「平成最後って言いたいだけだろう」と言われそうだけど、「平成最後のご卒業」ということをなんとなく考えていた。たしかなことを確認もせずに書くけれど、この退くということを、「卒業」と表現したのは、平成特有の言葉遣いじゃなかったかと思う。Wikipediaの「卒業」のページには「比喩」の項目があるが、次のように記されている。

学校を去る意味から転じて「卒業」を比喩的に使用し、何かから足を洗うこと(例:「煙草を卒業する」)や、学校以外の組織から去ること(例:「アイドルグループのメンバーが個人活動のためグループを卒業する」(全員同時卒業の場合は〝解散”となる)、「町内会の青年部を卒業し壮年(婦人)部に上がる」等)を表現することもある。国際開発協会(IDA)や政府開発援助(ODA)では、以前に援助対象であったが、そこから外れた国を「卒業国」と呼んでいる。(卒業 - Wikipedia

何かから足を洗う、つまり「若気の至り」から脱するという意味での「卒業」という表現は昔からあった気がする。IDAやODAでの「卒業国」という言い方と合わせて、成長がある一定段階を越えたことを、卒業という表現で承認している。一方で、組織を去ることを卒業と呼ぶようになったのは、上の引用にも例に上がっているアイドルの「卒業」が広めた用法のように思う。これは必ずしも、成長、段階を指さない。

なお、一部では「卒業」を、解雇や降板や配置転換の言い換えとして使用していると思われる例もある。(例:「アイドルが1年もしないうちにグループを卒業して芸能界を去った。」「○○さんは本日を持ちまして当番組を卒業します。」)(卒業 - Wikipedia

僕も昨年末を持って前職を「卒業」したわけだけど、社会でも異動や退職を卒業と呼ぶことが広まった。昭和的に言えば異動は「栄転」、退職は「勇退」と表現されるのが習わしだったように思う。いつのまにかアイドルの脱退や引退を卒業と呼ぶのが一般的になり、番組からの卒業という表現が番組パーソナリティーやニュースキャスターなどにも使われるようになり、今日では異動も退職も「卒業」と表現されるようになった。近年注目されている企業による退職者(OB・OG)の組織化が「アルムナイ(卒業生)ネットワーク」と呼ばれているのは、偶然だと思うけどできすぎの感がある。

もちろん本来的に「卒業」は自分の意志で、あるいは何かしらの成果を収めて退いてこそ使われる言葉だ。「円満に辞めて行く」人に送られる言葉で、「辞めさせられる」ニュアンスの言葉ではない。そのことは、本来の意味の「卒業」だけでなく、平成言葉としての「卒業」でも変わらない。

本日、午後5時から退位礼正殿の儀があり、天皇、皇后両陛下がご退位された。「今日をもち,天皇としての務めを終えることになりました」とのお言葉は、崩御ではなく譲位を持って退くという道を特例とはいえ再び拓かれてのことだから、思いの深さが感じられてくる。だからこそ、その道を拓き円満にご退位される両陛下に、「平成最後のご卒業」という言葉が浮かんでくる。なんとも平成を象徴する「平成最後の」じゃないだろうかと思う。

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