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ITのサマータイム対応は“あなた”の問題

2020東京オリンピックに向けたサマータイム導入は、個人的には現実味を覚えていなかったのですが、朝日新聞の世論調査では53%が賛成と答えるなど可能性を否定しがたくなって来ているようです。ただ「IT業界に拒絶反応」などと心配してくださる向きもあるようですが、でも私見ではITのサマータイム対応は私たちIT業界やIT技術者にとっては課題ではなく、一方で一般企業・組織、その従業員、そして社会と市民にとって大きな課題になると思います。

ITのサマータイム対応

まずIT技術者として、サマータイム対応について2つ私見を示しておきます。第一に、私たちはサマータイム対応の最善手(ベストプラクティス)は知っている、ということです。第二に、サマータイム対応は既存システムにとっては「仕様追加」であり、私たちは新しいお仕事として受けきれる範囲で受注してご対応することになるだろう、ということです。

ITをサマータイムに対応させる最善手は、おそらくは「コンピュータシステムのサマータイム対応を巡る二つの楽観論 - アンカテ」で挙げている楽観論A、つまり内部データをUTCベースで持ち、外部の入出力時にタイムゾーンに合わせて変換することです。これはITの国際化(Internationalization)対応として一般に行われていて、対応済みの機器やソフトウェアも多く、実績も知見も豊富です。

国際化対応済みのものでは、タイムゾーンを一つ増やすことで対応が済みそうに思います。未対応のシステムは日時の国際化対応からすることになりますが、道筋ははっきりしています。

IT企業の2020年対応

ただし、2020年対応は2000年問題とは違います。「サマータイム、IT業界に拒絶反応 よみがえる苦い記憶:朝日新聞デジタル」では2000年問題対応にふれていますが、2000年になるとシステムが異常動作するというのは、一般的な感覚でいえば欠陥でした。誰もが1999年が終わると2000年が来ることは知っていましたから、その時に正常動作するのは「当たり前品質」と言われても否定しがたい面はありました。

サマータイムは違います。導入も、時期も、内容も自明ではありませんでした。サマータイム対応というのは「仕様追加」であり、新しい仕事なのです。仮に海外を見れば可能性は予想できたとしても、各国の夏時間は主に1時間のシフト、それでも健康面が心配されEUでも見直しが議論されているなか、倍の2時間動かそうという少し乱暴な感のある内容まで予想できたでしょうか?しかし内容まで自明でなければ仕様決定できなかったことです。そうでないならば「新しい仕様」で「追加機能」でしょう。

第一生命経済研のレポートでは「コンピューターやソフトウェアの対応等でも約1000億円レベルの初期投資が必要となり(略)経済効果が期待できる」としており、これは瑕疵対応ではなく追加投資の対象とみられています。IT企業は妥当な対価と作業期間をいただき、こなしきれる範囲で受注し、そして体力的に受注しきれない分は辞退させていただくことになるのでしょう。その総量が、IT業界としての天井になります。前記の記事はIT業界が「働き方改革に逆行」するような無理をして社会のITシステムすべてを改修することを想定しているようですが、現実にIT企業が労務問題を無視することは昨今許されないはずです。

一般企業の2020年問題

IT業界ではないとしたら、誰にとっての課題なのでしょう。まず思いつくのは、ITを利用している一般企業や組織の問題という側面です。そうした企業は、ITのサマータイム対応にどれだけの予算をかけるかという判断を迫られるでしょう。すべてのシステムをサマータイム対応させれば確実です。しかし現実的にはどの企業でもIT予算に限りがあります。

さらに予算の限り対応されるとは限らないのです。これを「必要経費」ではなく「IT投資」と捉えたなら、投資対効果で予算の割当て対象が絞られ始めるでしょう。例えば基幹系や労務管理系はわかるけど、教育系やコミュニケーション系のシステムにも予算を回すのか?例えば2021年に更改予定のシステムもいまさら改修するのか?ましてサマータイムを「2年間だけ導入」となれば、2年間×夏季3ヶ月、計6ヶ月しか業績貢献しない機能のために、他のIT投資を犠牲にして?

しかし予算が付かなければ、サマータイム対応の改修はされません。そしてその決断が遅れれば、対応できる余力のあるIT企業は減っていきます。ITのサマータイム対応は、まずITを利用する企業や組織にこそ、経営判断を迫る問題になるように思います。

従業員の2020年トラブル

IT利用企業(一般企業や組織)が徹底対応ではなく部分対応、一部のシステムは対応しない選択をすると、次に2020年"問題”が襲うのは、その従業員です。デスクワーカーの使うITの画面や帳票は、あるものはサマータイムに変更され、あるものは日本標準時のまま残る状態になります。

こうした画面や帳票設計は、まず利用者からみれば使いやすさ(ユーザビリティ)に反します。利用者に考慮事項を増やし、作業手順を少しずつ複雑にし、作業意欲を削ぎ、それらによって業務効率と生産性を損なうでしょう。そしてシステムから見ればフールプルーフの考え方に反します。つまり誤操作を招きますし、誤操作が問題のある結果に結びつかないようにするということがなされません。ヒューマンエラーが増加し、その結果は異常データとしてシステムの中に蓄積されます。

異常データの蓄積は、あるレベルを越えれば企業の活動や提供するサービスの遅滞、最悪の場合は停止を招きます。もちろん、その前に企業内のIT部門の従業員が(今度こそ異常事態への対応として)緊急で駆り出されて、ヘトヘトになるまで働かされるのでしょう。

社会と市民の2020年リスク

僕たちの社会は、世界規模で編み上げられたサプライチェーンの上にあります。例えば近所のファッション店の残り数枚のTシャツが売れたとします。在庫僅少は店舗の販売管理システムから本社の基幹システムに通知され、調達システムを通じて海外の調達先企業に発注データが送られます。そちらでは受注データを受け取った基幹システムが製造指示や在庫引当指示や出庫指示のデータを生成し、数時間のうちに工場や倉庫が動き出します。そこからは輸出、空運または海運、輸入、店舗配送とそれぞれの関係者の手を経て、2、3日後には近所の店頭に並びます。

いまや洋品店はレジの奥で服を縫っていません。レストランは裏で家畜や野菜を育てていません。病院は血液を院内献血だけで賄っていません。工場は自家発電で動いていません。発電所は地下で石油を掘り出していません。多くのモノは、聖火リレーを思わせる全国規模や世界規模のリレーで運ばれてきています。そのモノを運ぶ企業活動のリレーを、情報を運ぶITシステムのリレーが先導しています。

前述の「最悪のケース」がどこかで起きて、途中の企業活動か情報システムの一つがバトンを取落すと、2、3日後にはTシャツや輸血用血液が品切れするかもしれない世の中に僕たちはいます。サマータイム導入と、ITのサマータイム対応の徹底を決断できない企業の存在は、社会と市民にとってもまたリスクであり、課題です。

おわりに

サマータイムが導入されたとしたら、ITのサマータイム対応が必要なのは事実です。ただしその影響は、IT企業ではなく、まず一般企業の会議室でIT予算計画の中から「コップの中の嵐」として生まれ、それがデスクワーカー全員の業務を巻き込んで企業全体に伝播し、最悪の場合には調達リレーの網を伝わって社会に、市民の生活に届くのだと思います。

これは、むしろIT企業以外にとっての嵐なのです。僕たちの社会が今にも千切れそうなリレー網の上に置かれないよう、いま市民としてできるリスク対策は、声を上げることになるでしょう。政府にはサマータイムの導入を早く決定するように、そして企業には必要な予算を用意し、いますぐ更改の発注を出すように。なにしろすでに、もう間に合わない、不可能だという意見もある時期に来ているのです。

あるいは「サマータイムの導入を思いとどまってほしい」と声を上げる必要があるのかもしれません。どちらであれ、「IT業界が」ではなく「僕」や「あなた」がです。

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