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「文系だから」に「理系じゃない」という意味はない

「『文系なので分かりません』ではなく、ほとんどの場合は総じてこれ8選」という記事を友達がシェアしていて読みました。

こうした表現は目にするたびに引っ掛かりを覚えます。たとえば「文系なのでそんなに理屈を並べられてもわかりません」といった言い方。個人的には、おおざっぱに分類すれば議論の中心に「論理(言葉)」があるのが文系、「観測結果(データ)」があるのが理系の学問だと思っています。文系なら論理、理屈にむしろ強いのではと思います。

でも、それであれば「文系なので数字は分かりません」はどうなのでしょう。文系である=理系ではない、したがって数字に強くないというのは正しいでしょうか。ここは違和感があるのにうまく言葉にできず、ずっとモヤッとしていたところでした。でも前述の友達の投稿に、こんなコメントがついていました。

文系、理系、体育会系、芸術系、あと何系があるんだろ???
あと、多分これ、排他概念じゃないですよね?

あ、これだ。「文系である」ことに、他の「〇〇系ではない」という意味合いはないんですよ。「理系ではないから数字は苦手」は、必ずしもそうじゃないと思いつつ、でも言いたいことは分かる部分。そこではなくて、本当に引っ掛かっていたのは「文系だから理系ではない」が隠れていることでした。

私がこれまで教わった数学教師は、3人に1人は山男だったり詩人だったり読書家だったりして、ついでにコーヒーや紅茶にこだわるロマンチストだった気がします。理系であり、文系であり、体育会系であり、芸術系です。古くは、数学者として有名なフェルマーは裁判官でもありました。森博嗣は小説家であると同時に工学者で、海堂尊は小説家であると同時に医学者です。かつて遠山啓は次のような言葉を残しています。

詩人でないものは数学者になれない
岩波書店さん/Twitter

「文系である」という言葉に「理系じゃない」という意味はないし、「だから数字は苦手」という意味はもっとない。逆に「理系である」にも「文系じゃない」とか「だから文章は苦手」という意味はない。そんな意味がつながっていないうえに回りくどい言い方はやめて、ストレートに「文系/理系じゃないから」とか、もっとストレートに「文章/数字は苦手」と言っちゃったらどうでしょう。

私もそうしたいと思うし、逆にそうしてもらえれば私にも間違いなく伝わるので、一緒にお互いが理解できる言葉探しができます。そうせずに婉曲表現でものを言われたりすると、私、理系なので分からないんですよ。

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