怖い瞬間。

昔から飛び抜けて怖い瞬間があります。それは、日常から事故的な出会い・事件をきっかけに非日常へと転落していく、かもしれないぞコレは、と思う瞬間であり、自分の中でそれを、大好きな漫画家さんの作風になぞらえて、「古谷実感漂う瞬間」と呼んでいます。それはとても「ひょんな」ことからで、でも転がり出したら最後、あれよあれよという間に、それはもう古谷実的に、映画で言えばコーエン兄弟の「FARGO」的に転落していくのです。そんなわけで、観たり読んだりする分には大好物なジャンルなのに、現実ではこういうことに繋がりかねない瞬間に対して、異常な反応を示してしまう大人になりました。

以前、友人とかつやのカウンターでカツ丼を食べていた時に、隣りの隣りに柄の悪そうな二人が入店。その瞬間から僕は無自覚的に口数が減り、ただ黙々とカツ丼を腹におさめて退店しました。その後、店から出てきた友人に「異常だったよ?」と言われ、そこで初めて「あぁ、あの瞬間を感じたからだ…」と気づき、少しだけどうしてそうなったのかを説明したものの、「あぁ…うーん……でもあれはちょっと元気な中学生だったよ?」と言われる始末。確かに、ちゃんとそちらを見てどんな二人だったのか確認しなかったこちらの落ち度は認めます。ですが、そうだとしても、その確認をした時に相手がホンモノだった場合のその先、見た瞬間に目が合って絡まれて黒っぽいワゴンに詰め込まれて山行って顔から下を埋められてその周りを車でビュンビュン走られる、かもしれないというリスクを考えたら、確認なんて無粋な真似はせず、粛々と目の前のカツ丼を処理して退店する方がマシなのです。この出来事における、「結果的にちょっと元気な中学生だった」は、大した問題ではないのです。

そうした意識の刷り込みは、小学生になる前から始まっていたように思います。近所の川沿いを、補助輪付きの自転車で走っていた時のこと。前方から中学校のジャージを着たお兄さんが二人歩いてきました。その当時、近所に住む中学生によく遊んでもらっていたので、「あのジャージを着た人は優しい人間だ!」と思い込んでいた僕は、慣れない運転でふらつきながらニコニコ近づいていくと、すれ違う時に呼び止められ、両頬をつねり上げられながら、「ニ・ヤ・ニ・ヤ・し・て・ん・じゃ・ねぇ!」と、思いきり両頬を攻撃されました。これは、当時の僕からしたら思いもよらぬ攻撃で、「んなバカな」で頭がいっぱいになり、「まさかこのジャージを着た人が悪い人だとは」というショックと、「自分はニコニコじゃなくてニヤニヤしていたのか?」という疑問を帰り道に考えながら帰宅。家に着くと一気に安心して大号泣したのでした。未だにこの光景は、記憶のスタンプ帳にデカデカと押されているため、鮮明に思い出すことができます。全然思い出したくないけど。消したいけど消せない記憶なのです。

先日、電車で隣りに座ってきた人物をずっと警戒しながら20分ほど乗車し、降りる時に一瞬だけ、目が合っても「見てませんよ?」みたいな顔ができるくらい心の準備をしてから、チラっと顔を見たら、それはそれはとても優しそうなおじさんがチョコンと座っていました。御年34。もうそろそろ、のびのび生きたいと思い始めています…。一回、とりあえず茶髪とかにしてみようかな。



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