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「考える」を務めるということ

ここ最近、考えることが増えた。考えている時間が増えた。
その「考える」のスターターになっているのは自分自身の「学びの量」だと気づいたのは最近のことだ。

週5日、毎朝ドーナツを3時間かけてつくっている時間の半分以上は、何かしらの動画を見たり聞いたりしている。とにかく新しい情報や知識、他人の考えをモリモリと食べるようにしている。そのことに一層自覚的になったのは、多分5月にコロナで店を閉めた期間にインプット量が格段に落ちたことを実感してからだ。自覚的になったおかげで、インプットの吸収率までなんとなく上がった気がするのは気のせいだろうか。

ちなみに、最近はiPhoneの読み上げ機能を好んで使っている。精読はできないものの、「本を聞く」ことができるので、とにかくモリモリ食べるにはわりと向いていることがわかった。

ちょうどその5月頃を境にして、「アイデアマン」と評してもらえることが増えたのは気のせいではないと思う。オンラインでドーナツづくりのワークショップやったり、mikko primeという不可思議なサブスクサービスを始めたりしたからだろうか。嬉しいと思う一方でその表現は実はあんまりしっくりきていなくて。これなんででしょうね。「アイデアマン」という言葉からは、ちょっと独創的あるいは属人的な感じで思いついちゃう人(=天才?)というイメージが浮かび、もしそうだとすると自分はそうではないという強い自覚があるからかもしれない。

ではこの間、何がどうなっていたのか?をちょっと整理してみたところ、自分でやってみた「経験」や、その中で感じた「気づき」に、ひたすら「新しい情報」をぶつけまくっていくということしかやっていない、と言える。結果的に、何かと何かかが組み合わさって自分の中に次の「やりたいコト」が醸成されているという感じだ。

やってみた経験と気づき × 新しい情報 = 次のアイデア

さて、「やってみる」ことは日常化できたとして、「次のアイデア」を得るための生命線は「新しい情報を得ること」、つまり「独学」であり、もっと端的に言うば「インプット」ということになる。幸いにも、独学は好きだ。

そしてアイデアはアイデア、つまりまだ「思いつき」でしかなく、それを世の中に実装するには「考える」が必要になる。「ほぼ日」的に言い換えれば「夢に手足を」つけるために「考える」のだ。仮説を立てたり、調査して仮説を検証したり、不要な言葉を削ぎ落としたり、チャートつくったり、事業収支を仮組みしたり、足りない知識は学んですぐ使ったり、関係者とミーティングした内容をまとめたり・・・。

弊社の社名は「ツカオ考務店」。
恩人たちからいただいたこの社名が、最近ますます気に入っている。

世の中の「工務店」さんが、何か形あるものを工事したり工作したりといった専門性を持っているその代わりに、何かをつくるときの「思いつく」や「考える」(=思考)に関する専門性や強みを持っていて、誰かのやりたいを少しでも手伝える会社でありたい。僕が最近思う、「考える」を務める会社、考務店の存在意義だ。

「考務店」を名乗る以上、新しいことを学び続けることは必要条件である。
なので、独学の量は、仕事のためにきちんと確保する。それがツカオ考務店の価値の源泉の半分(あるいは半分以上)を占めるのだから。

逆にいうと、常日頃からなんかやって、日常的に新しいことを学んでいれば、考務店という仕事をする上での環境は整えられているということでもある。

2020年10月末で3期目が終わり、4期目がスタートしている。図らずもそのタイミングで、自分なりの「考務」の仕事の正体が少し見えて、少し安心した。そして幸いにして僕は「考える」が好きだということを確信した。

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