今日のあるある「アルトの真ん中部分の接続部分を保護するキャップ、キャップとキャップをはめこんだら一生取れなくなる。」

アルトリコーダーはソプラノリコーダーより大きいため、収納する時は3つに分解して片付けられる仕様となっている。その真ん中パーツの両端の接続部分がむき出しにならないように付属しているあの2つのキャップが、サイズ的にはめ込むとぜったい取れなくなるよね、というあるあるである。∪∪みたいに同じ向きで重ねたら取れそうだが∪∩みたいに逆向きでハメたら指も入らず一巻の終わりなのである。

でも人間とは「ボタンがあったら押したくなる」生き物だ。このキャップをはめ込むこともボタンに少し類似している。警報装置の「強く押す」しかりファミレスとかの呼び出しボタンしかりおびただしい数のボタンの「押したい誘惑」を振り切るのにいつも必死な子供時代だった気がする。

そういえば最近、海外のアプリケーションなどでメール通知の設定などの提案の時選択肢が「はい」と「いいえ」ではなく、「はい」と「後で」みたいになっているものがある。「いいえ」がない。こういう流行らない医者のような相手に選択権を与えない態度は少し頷きがたいし、はいを押そうとしていた人も押したくなくなるだろう。利益追求をむき出しにするならば、こちらがぜひ押したくなる工夫をもう少し考えたいものである。

逃げる者こそ追いかけたくなるのが人情。忙しそうにしている者に話しかけたくなるのが人情。アルトリコーダーと警報装置も参考にすると寧ろ「後で」と「いいえ」しか選択肢がない方が人は提案に乗りたくなる生き物なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?