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「バズらせ屋」になりたいのか?そもそも何を発信したいのかが重要。

(約 2,600文字の記事です。)

*SNSは多少なりとも疲れる側面がある

だが一方で楽しい瞬間もある。この違いは何だろうと考えてみた結果。よく知っている人とのコミュニケーションは楽しい。反面、よく知らない人からの、よく分からない意見やイチャモンが気力をそぎ落とす。結局、リアルでもSNSでも「理解不能な存在は恐怖」なのである。SNSは、知っているモノと知らないモノとが近すぎて分離できない。だから、最終的には割合の関係で、疲れることの方が多い。

以前、note誰かの記事で、SNSではあたかも人が貨幣となった市場経済だ、というのを読んだことがある。情報の質ではなくて、バズって流通したモノ勝ちだ、という見方は確かにそうだ。普通の人が普通にSNSを使う上で考えることは、多分その記事で言っていることなんだろうな、と思う。

そういう使い方をしていれば、確かに疲れる。疲れる以外のメリットはかなり少ない。なぜならば、「嫌われる勇気」に代表されるアドラー心理学の考え方からすれば、どれも自分の手で制御できないことだらけだからだ。

バズルかバズらないかは、情報の質に無関係だとすれば、それは自分の制御下にない。制御できないモノについて考えを巡らせても、結果どうなるかは分からない。分からないことを考えてもしょうがない。結果は偶然に近い。宝くじの当選番号予測に近い。それが楽しければいいと思うが、価値を見出せないならやる意味がない。

*「バズらせ屋」になりたいの?

バズを制御しようと思ったら、バズの分析をし、その傾向に沿う情報を発信することになる。だがそれは自分が発信したい情報とは合致しないこともあるわけで、結果、バズらせるためのSNSの使い方をすることになり、バズらせるゲームをプレイしているのと一緒で、もはやそのSNSがあなたの「何を表現する手段なのか」が不明。手段と目的が逆転する。
要するにバズらせ屋を目指しているだけの人です。バズらせ屋を目指すならフォロワー数がとても大事になる。だからフォロワーを増やそうとする。うむ、なるほど。でもね、

そもそも、バズったからといって何が変わるか。バズは打ち上げ花火だ。規模はその直径だ。だが、どちらも翌日覚えている人はいない。現に、今一番バズっている話題は誰でも調べて分かるだろうが、その1つ前のバズの話題が分かる人って、いますか?その程度です。

多少の影響があったり、それ1つで人生が大きく変わったということも有り得ますが、確実にそうなるとは思わない。そして人生の分岐点はバズだけにあらず。転んで怪我して人生は変わるし。バズが奇跡の一撃だとは思えない。

バズに価値を見出す人は、そのSNSを使っている人だけです。それを日本人全体の認識だと勘違いしている人ほど、バズにこだわります。視野が狭まっている危険性。

例えば3DCGをやる人なら一度は聞いたことがあるSNSサービス「ArtStation」で、私の作品がトップページ(トップロー)に載るほど大ヒットしたとしよう。でも日本人でArtStationを知らない人の方が大多数だ。そんな人からはまず一言「ArtStationって何ですか?」その程度だ。

*バズが頻繁すぎてバズの価値がなくなる日

仮に日本で広く普及しているSNSだとしよう。もうね、バズが多すぎて、もはやバズに価値を見出すことがなくなる日も近いと思う。可愛い猫の動画とか、奇跡の瞬間の動画とか、バズりすぎていて、バズったから何なの?という感覚がある。老若男女問わず受けるものがバズるわけだから、特定分野の価値ある情報がバズることは絶対にない。

となると、バズに何の価値があるのか?といことだ。バズったときの便乗告知の広告効果くらいしかないだろうが、老若男女問わず受ける広告、ターゲッティングが微妙な気がする。届くのかな。広告に価値があるのでは無く、広告するコンテンツに価値があるわけで。


*価値を発信するためにはSNSが必要

とはいえSNS不要論にはならない。SNSが嫌だからといってSNSから離れることは可能だが、それによってSNS経由の自己の価値が発信できなくなる。情報的には例えば野山で一人暮らしを選ぶようなものだ。結果、他人がその存在を知らなければその人に仕事を頼みに来る人がいなくなるのは道理だ。仕事の面では不利でしかない。

*だったら「発信専用」にしたら?

私はこう考えたのだ。疲れやすいSNSは発信専用。キャッチしたい人がキャッチすればいい。双方向のやりとりは別メディアを用意してそっちを案内しておけばいい。そうすればSNS上での自己の存在は発信し続けることができる上に、必要な人からだけ連絡が来る。知っているモノと知らないモノとを分離できる。

今はSNSの種類すら豊富にある。なので各メディアの得意分野を生かす形で複数のSNSを使い分ければいい。同じ種類で別アカウントを作ってもいい(管理が面倒な気もするが)。常に双方向にする必要はない。

(コメント受付をOFFにできるならそれがいいだろうし、それが無理なら使い方として返信しないMyルールを決めてそれを目立つところに明記すればいい。そうすれば失礼にならない。)

インプット(情報収集)専用SNS、双方向専用SNSというように使い分ければいい。

*そもそも何を発信したいの?

これをよく考えることの方がバズを考えるよりもよっぽど重要だと思う。この記事の一番重要なポイントだ。

*SNSは道具

疲れると思ったら、疲れない使い方を模索すればいい。

例えば包丁などの道具。道具が使いにくかったら、使わないか、使いやすいように改良すればいい。あるいは使いやすい道具に変えればいい。それだけなのに、SNSという「サービス」になるとそれをしなくなる。実体のないものだから。人が用意したプラットフォームだから。だから工夫の余地がないと思い込む。

だが、使い方は自由だ。各自が決めればいい。なので、

疲れると思ったら、疲れない使い方をすればいい。

後は便利な側面から便利な何かを得るだけだ。よく分からなければ一端放置でもいいと思う。放置アカウントなど何億もあるだろう。時効で消滅などはサービス提供者が考えることなのでユーザーには関係ない。

続ける、やめる、の中間に「便利に使う」という選択肢があることを覚えておくと、何かの役に立つかも知れない。


今回の創作活動は約45分(累積 約1,141時間)
(355回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊