大聖堂

(聖) 聖書のいいところが割と簡単にわかる部分 (聖書の学び 17)

さて、ここまで聖書を読んできた順番としては、新約聖書のマルコ、ヨハネ、ルカ、最初のマタイによる福音書、あとは順番に読んできて、今、エフィソの信徒への手紙を読み終えた。

エフィソの信徒への手紙

エフィソの手紙は、6章しかなく短いが、だからこそ聖書の教えのエッセンスだけを簡潔に読むことができる。もちろん、聖霊への理解や、父、子なるイエス、神と人間との関係性を事前に知っていないと、「言っている意味がわからない」部分もあるだろうが、ほとんどはわかりやすい言葉で書かれている。

(これは著作権切れの口語訳 第4章からの引用)
できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマ(洗礼)は一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。

あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。


この手紙の内容は、読み飛ばす部分がないくらい、一つ一つに聖書の教えのエッセンスがある。なので、どこもいい内容なので、読んでもらった方が早い。以下のリンクは、聖書の新共同訳を閲覧できるサイトです。

(対応する聖書アプリがインストールされている場合にはアプリで該当箇所が開きます。なければWebサイトが開きます。)

今までは著作権切れの口語訳聖書のリンクを紹介してきましたが、新共同訳であっても文字として引用しなければ問題ないので、以後は上記サイトのURLをご紹介することにします。私の読んでいる聖書アプリのウェブ版ですから、表現も同じ新共同訳です。

iOSもAndroidもPC(Web版)もあり、無料のアカウント登録をすると聖書にワンタップで蛍光ペンを保存して各端末で共有できる優れものです。ハイライト部分だけをまとめて読み直すと、ご自身で大切にしたい教えのエッセンスを確認しやすくて便利。無料の聖書アプリ(iOS用Android用

(192回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊