積み重ね

積み重ね型の情報発信の重要性

Twitter、はてなブログ、note、BOOTHを運用して感じた日記。珍しく駄文です(笑)勢いで書いてます。

あなたはなぜそれを発信したいのか?

これですね。何となく寂しさを紛らわせるならTwitterがいいだろう。実際、Twitterにはどうでもいい情報が溢れている。はっきり言って、公共型の某巨大掲示板という認識でいいと思う、Twitterは。玉石混淆。

だが、世界規模で見るとTwitterは日本での普及率が異常に高いだけであって、他国ではとてもマイナーなサービスだ。ここは理解しておいた方がいい。日本でだけ特別なのだ。理由は分析してもしょうがない。事実そうなのだから。

一方でTwitterは「流しそうめん」なのだ。あるときにキャッチされないとバケツ行きだ。だから一気にバズって一気に消沈する。流しそうめんなんだから、人々の関心は「次のそうめん」に移っているのだ。

で、あなたは何を発信したいのか?

これに戻ってくる。Twitterで一生懸命に情報発信しようとしても、流しそうめんという本質は変わらない。なので、期間限定の情報なら有効だろうが、本人の意図とは無関係に、発信した直後からせいぜい数日の寿命でその情報は無に帰す。Twitterの情報は蓄積にならない。

もちろん、Twitterを保存してブログにするサービスも存在する。だが、後からそれを参照する人からすれば、情報が細切れ過ぎるし、情報のメンテもされているかどうか分からず、信用に足る情報になり得ないのだ。だから、まとまっていてもいなくても「結局は使えない情報、使えない文字の羅列」でしかない。そんなの誰の役にも立たないのは明白だ。だってTwitterは後から加筆修正できないんだから。情報はあくまでも「当時の流しそうめん」なのだから。流れていったらゴミ箱行き。後から参照する価値があるかと言われると疑問だ。

本当にTwitterで発信し続けたい情報か?

Twitterは流しそうめん。しかも、流れてくるのは実はそうめんだったりうどんだったりそばだったりパスタだったり、色んな物が流れてくるのだ。もし検索エンジンでヒットしたとしてもその内容は、1ヶ月後の検索者にとっては無意味だったりすることも多い。

もちろん、イベントの募集などならタイムリーであることに意味があるので流しそうめんとして十分機能する。Twitterは有効だ。

だが、冷静に考えて欲しい。その発信しようとしている情報は、タイムリー以外で使い捨てたいものなのか?仮に蓄積させても価値がある、むしろ蓄積こそに価値があるものならば、Twitterでお気軽に発信して満足感に浸っていていいのか?と思う。Twitterはどんなに発信しても蓄積にならない。そういうサービスではないし、実際にとても古い情報はTwitterのサーバから順次消されていく仕様である。

お気軽に発信された情報はお気軽にスルーされる

Twitterが情報発信に便利なのは間違いない。だが、同じレベルでスルーされていく。おまけに蓄積もされない。イベント告知なんかにはうってつけだが、それ以外では結構なデメリットだったりする。なにせ発信に使ったエネルギーが全く無駄になるからだ。

信念やポリシーがあるなら蓄積型のサービスを運用した方がいい

情報の信頼性、有益性、色んな物があるけれど、最終的にはその筆者の人間性が分かるかどうかが重要だと思っている。その点でいうと、ブログやnoteは過去の記事の参照のしやすさからその判断がしやすい。後からの修正や加筆も可能だし、そういうことに対してどんな執筆姿勢であるかも知ることができる。数ヶ月放置なのか、数日放置なのかでも信頼性は変わる。

一方でTwitterは細切れ過ぎるし情報量が144文字と少なすぎる。どうでもいい感想なんか述べられても興味ないしノイズでしかない。その情報が自分の趣味嗜好に合わなければ一気に見る気も失せる。Twitterはそういう意味でも赤裸々であり、同時に誤解を生みやすい。そして議論するサービスでもない。トラブルの原因になることも多いというのもうなずける。

多くの人にとって実は続けることが難しいという壁

で、それでもなぜTwitterが人気かということを考えてみた。簡単に言うと、多くの人にとって、続けることそのものが難しいらしい、という事だ。

Twitterは気軽につぶやけるので続けることが簡単だ。一方で、ブログやnoteなどはきちんとした考察や意見など、しっかりとしたコアを打ち出せないと記事にできないという心理的な壁があるため、多くの人にとってはハードルが高いようだ。

続ける気がないならば、Twitterでつぶやいていることを続けたほうが楽だろう。確かに「投稿した」という達成感も得られる。だがそれは虚構だ、幻だ。ツイートの積み重ねに価値はない。なぜかというと「逆にその価値を説明して下さい」と言われたときに答えられないだろう?(答えられるならもう十分素晴らしいと思います。それだけ戦略的にTwitterを使えていれば何も言うことはないです。ですができないならば)テレビゲームを何千時間やりました、ということとほぼ変わらない。

適当なことを適当に続けることは容易だ。だがそこに価値は見出されにくい。

一つのテーマに絞って活動しているならそれ専用のサービスにメモを付けるだけでいい

趣味が1つあるならば、それに絞った日記や記事やコメントを残せるように、Twitter以外のサービスに執筆・メモすることを始めてみてはいかがだろうか?Twitterではなく、ね。

Twitterの1つの記事はGoogleにはほぼ引っかからないが、ブログサービスなどは時間がかかってもGoogleに引っかかる。そしてその蓄積があればGoogle上位にヒットしやすくなる。つまり、その情報を欲する人の役に立ちやすくなるのだ。一過性ではなく、逆に蓄積を経てどんどんその価値が高まる。蓄積型のサービスに情報を残すメリットはここにある。

面倒という壁を乗り越える人にしか幸せは降ってこないのがデジタルの世界です

もちろん、Google解析の設置や、運用方針など、色々面倒なことはある。どんなサービスを選択すべきかなども、誰も何も教えてくれない。だって他人からすればどうでもいいことなのでいちいち懇切丁寧に教えてくれる知り合いなどいるはずがない。自分でWebから探し出すしかない。

デジタルの世界は、面倒を乗り越えようとする人にしか恩恵を与えてくれない。だれも手取り足取り教えてくれないし、考えなしに繰り返していても進歩しない。無駄が無駄を多く含んだまま繰り返されるだけであり、その無駄の損失を被るも・効率化の恩恵を受けるも・自分次第なのだ。デジタルはそういう意味で残酷だが明確とも言える。

結論 あなたはその情報発信をどう考えているか?

ストレス発散?駄文の書き散らし?価値ある情報の提供?アフィリエイト目的?色々あると思うけど、お気軽な情報発信はお気軽にスルーされることは間違いない。せっかく時間とエネルギーをかけて情報発信するならば、目的を明確にして適切な手段で投稿したほうが幸せになれると思うよ。今一度、投稿手段を考え直してみてはいかがだろうか。


長々と駄文にお付き合い下さりありがとうございました。

今回の創作活動は約30分(累積 約828時間)
(299回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊