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コンテンツの質が問われている

コンテンツは誰でも作れる時代になった。これからは「誰に対して」「何を」「どれくらい」提供できるか、という時代になると思う。

*YouTube群雄割拠の終演

これほどハードウェアが進化すると、だれでもコンテンツを作れる。スマホ一つあれば動画が撮れる。YouTubeはまさにそうだ。ティックトゥック(TikTok)もまさにそうだ。なので、コンテンツは誰でも作れる時代になった。プロアマ無関係。編集技術も対して差が出ない時代になった。よほどのCGエフェクトも、サードパーティー製のツールを使えば補える。そこに差が出ることはない。数十分に及ぶ大作以外には、数分程度の作品でエフェクトで差が出ることはない。ミュージッククリップですらも、適当と斬新との差が出しにくくなっている。一生懸命作ったエフェクトがAIのランダム結果と大差ない、ということが普通に有り得る。

*質そのものの差別化も難しい

ではコンテンツの質がプロとアマで違うかというと、その差も小さくなっている気がする。「演出」という名の下に編集技術すらも適当と丁寧の差がなくなりつつある。面白いか否かで判断が反転する。もはやカオス。

*基本に戻る

マーケティングの基本に戻る。誰のため、何のため、の2つ。今後のコンテンツの評価はこの2点にかかっている気がする。動画であれ、静止画であれ、2Dであれ3Dであれ。

どんな人に、どういう情報を、どうやって伝えるのか。これを徹底的に考え、貫き続けたコンテンツだけが生き残る時代が来る。私はそう信じている。一発屋はすぐに浮かんですぐに沈む。その加速度が今まで以上に激しい。あっという間に拡散して、あっという間に消沈する。有り得る。なので、そんな瞬時値に囚われない、安定した伸びが重要になると思う。

*ターゲットを明確にしてコツコツ発信し続ける事が重要

多分そう言うことだと思う。良質な情報を長期間発信し続けるという実績は受信者を裏切らない。もちろん発信者自身をも裏切らない。
そういう地道な信頼関係を構築できるように情報をを発信し続けた「発信者の人格」に価値が宿る、と思っている。

思いつきで発信することは簡単だ。感情的につぶやくことも誰でもできる。だが、ポリシーを持って各媒体に適切に情報を「流し続ける」という姿勢、人間性が評価される時代が来ると思っている。

*信念を持ってコツコツ創作し、コツコツ情報発信し続ける

今回の記事で言いたいことはこれ。くだらないツイートは誰でもできる。だが、そのツイートを見た人が情報を参照しやすいようにツイートしている人は驚くほど少ない。なにせ面倒だからだ。だが、長期的に考えて、ツイートを「つぶやき」として使用している人と「情報発信の手段」として使用している人とでは、ファン層の厚さが違う。フォロワー数が同じでも、質が違う。1つのつぶやきに対するフォロワーへの情報密度=リーチの深さが違う。それを数値化して比較することは難しいが、フォローする立場、その人の情報を享受しようとしている立場に立てばどちらが有益かは明かだろう。

*意味ある情報を発するか、沈黙するかの二択がいい

下手に自分の感情を単発1行で発信するとろくな事がない。そういうことはEvernoteにでもメモした方がいい。あるいはGoogle Keepにメモでもいい。不特定多数の目に自分の「素直な気持ち」を投稿することはとてもリスキーだ。それに気づかないならばそれも仕方がない。だが気づいてしまうとその恐ろしさが分かる。そんなリスクを負ってまで発信したい情報か?ということを常に考えることになる。そしてその迷いがある情報は大抵Evernoteにメモして忘れて結局削除する程度の情報であることが多い。

*情報発信ツールならば洗練させた方がいい

何が言いたいかって言うと、自身の情報発信ツールを洗練させることはすべきだが、濁らせるようなつまらない情報は発信しない方がいいよ、ということだ。Evernoteにメモして忘れてしまえ。公開サイトに個人の不平不満を書くと予期せぬ拡散によって誤解が生じ、結果として応援者を失うことにつながりかねない。そんなリスクを負うくらいなら情報を発信しない方がいい。そしてそんな時の情報は大抵不完全かつ未確定情報なのだ。自分自身が自信を持っておすすめできる記事なら、存分にやればいいがステルスマーケティングや思い込みだけで強い意志を示さない方がいい。

ファンをがっかりさせるだけだ。
なにやら説教臭い記事になってしまったが、これは心に留めておいた方がいい。私自身にとっても、ね。

今回の創作活動は約1時間(累積 約809時間)
(233回目のブログ更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊