見出し画像

Subjects Engine (2)

言葉一つで国民の平和やら世界の平和に何かしらの貢献ができるなんてのは大層な話だ。私は何一つそういう話しを信じちゃいない。内も外も何処もかしこも平和な状態になるなんてことはありえないし。結局はそれは、あらすぎるメガネで物事を見た時に、全てが止まって見えるという錯覚だ。とても長い時間軸を持ち出せは、それだけで細かな変化や動きは無視できるひょうな極小性を持ってしまう。何にせよ、人が大勢死ぬような事が、少なくとも表向きにはなくなったというのは事実だ。そういう意味では、あながち言葉の力を信じるべきなのかもしれない。問題は、言葉の力を信じる人は急速に減っていくであろうし、足元の大地が経た年月の長さを思えば、吹けばかき消えるような脆弱な歴史的基盤しか言葉が持っていないのはまた事実だ。私は目の前を流れてる川に石をそっと投げ入れた。ピチャンと音がして、小魚が散っていくのが見えた。川の向こう岸に、何羽かの鴨たちが水遊びをしているのが見えた。半分くらいは子供だった。手のひらにスポッと収まりそうなくらいの大きさで、フワフワと膨らんだ毛の広がりを見ていると、この世の何よりも尊いもののでアルように思えてくる。命の美しさ。私が動くとバッタが何匹か跳ねた。踏み潰さないように私なんかが気をつけなくとも、彼らは彼らで、風やら気配やらを察知して、誰も傷つかないように和やかに暮らしているのだ。鴨達の所に真っ黒な山ガラスが二羽降り立った。鴨の一家はチョロチョロと水場を明けて、草むらの中に隠れた。親鳥の翼に隠れるように、子ガモ達は身を潜めた。黒いカラスたちは一家をチラリと見て、恐らくお礼を言っているわけではないと思うものの、カァと小さくないて水を飲んだ。二口目を飲むくらいで彼らも驚いて目を丸くした。白い子馬が一頭、彼らに近づいていた。何処からきたのだろう?突如として現れたそれは、弱々しい風にふわりと鬣をなびかせ、優しい瞳で鳥たちを見つめてた。カラスたちはひれ伏すように二三歩脇避けて、子馬に路を作った。それが私の方を見た。私の旨に突き刺さった視線の元から、鮮やかな野菊とりんどう、青く明らかな桔梗が咲き始めた。風が私の方から向こう側へ走っていった。水の音、鴨の子ら小さな震え、揺れる桔梗の花弁、その香り、私の荒れ果てた認識のキャンバスに色達が飛び込んできて、調和して光景を鋭い輪郭と共に描き始めてた気がした。美しい命の調和。誰に命じられることもなく、ただそこにある、本当に大昔から存在する希少な美しさ。私は我に返った。子馬は消えていた。私の胸元には一輪の桔梗が落ちていた。私は息を飲んで、桔梗を胸ポケットにそっとしまった。
私は水筒を取り出して水を飲んだ。微かな甘味が乾いた喉を通り抜けていった。私は古い書物の名前を思いだした。古い歌集に集められた数々の恋と自然を歌った詩と言葉を思った。選び取られた言葉、切り取られ張り合わせられた言葉に私達は伝統的に思いを込めるらしかった。静かに寄り添いながら、争いなく睦まじく、同じ太陽と、同じ月と、同じ光を見ることを誇るのだった。私は私の一人娘が色の違うカバンを持っていることを笑われたと泣いていたのを思い出した。心無い言葉共に小石を投げた男の子を思い出した。私は同僚の娘の事を思った。澄んだ緑の瞳、綺麗にカールした栗色の髪、少し高い鼻、あの子もまた、理由なき疎外の対象になった。みんなと同じようにできないとこの先困りますよと言った若い教員の事を思い出した。私は彼に軽蔑の眼差しを向け、無言で校舎を立ち去ることになった。娘の友達から教えてもらった。蓮の花の歌を称える中国の歌を小さく口ずさんだ。娘のクラスの何人かがその歌を覚えた。旋律は美しく、広い空、広大な大陸を想起させた。メガネを賭けた黒髪の、いかにも生真面目そうな中年の男、彼がどの子供の親であるかを忘れてしまったが、クラスに妙な歌が広まっていることに苦言を呈した彼のことを思い出した。国の歌をしっかり覚えるべきだと彼は言った、彼の着る薄手のTシャツにはアルファベットで「善く生きろ」と書かれていた。彼の履く青いズボンは元々労働者の着物だった。やはり与えられた言葉など、ほとんど何の意味も持たないのだ。もしくは、言葉を不必要に深く捉える人々だけが、輪の中で和やかに過ごせるというのだろうか。ブゥンと少し遠くからクルマが走ってくるのが聞こえた。段々とこちらに近づいてくる。馬鹿な、ここは車輌の入っては行けない区域だ。私は息を飲んだ。立ち上がった。桔梗が胸ポケットから落ちて小さな風に流された。しわだらけの白髪の男の運転するクルマが土手を下り、川に飛び込みそうになった所で一度止まり、バックして土手を登ろうとして立ち往生した。私はもういっぱい水を飲んで、その場を立ち去った。
雨が降り出していた。
私は手を前に出して顔に降りかかる雨を避けながら、科学者複数人を集めて、昨日今日で行われていた会議を思い出した。どれだけ時代が降ろうとも、私達が存在していた痕跡を残すための一つの営み、短い言葉に何らかの意味合いを見出すための一つのプログラムであり遺伝子。今後生まれてくる子どもたち、それから何世代後の子供たちは、気づかないところでそれを通じて歴史を認識するのだ。認識や意識の根幹、無意識下で、時代の一つの区切りと共に与えられる短い言葉に意味を見出そうとするのだろう。私はヒトの認識機能に影響するようなモノを共生的に国民に導入させるような政府の方針に加担はしたくなかったし、統計的な安全性が担保されるまでは検証を続けるべきだと意見したが叶わず、結局は会議の外で何かが決まっているのだ。現に、あの懐疑に参加していた老人たちの半分くらいは眠っていた。養老施設より、ある意味質が悪い。抵抗する私の下に個人的なメッセージが幾つか寄せられていた。私はそれらを全て無視していたが、無視した所で何かしらの決定が覆るわけではないのだ。プログラムであり遺伝子の国民への導入は、すでに決まっている決定事項だ。誰が決めたのかも、いつ決まったのかも分からない。ただ決定の旨だけが、気体にのり風に乗り流れているのだ。一つの和に向かい人々を揃えるための方策。命じられた調和。雨が止みつつある。水に流された世界。夕暮れが橙に西の空を滲ませて溶かしていた。東の空に黄色く丸い満月が掲げられていた。掲げられた足元には、幾つもの紡がれた言葉達が銀の糸になってなびいていた。後ろから娘の声が聞こえた。
私は不意に、酷く悲しくなって泣いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?