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「Now and Then」について個人的に思うこと

ビートルズのラストソング「Now and Then」がリリースされてわりと早くから記事を書いてたのですが、書きながら自分の考えがグルグルと変わっていくのでこんなタイミングになっちゃいました。まあわりと迂闊なことを書いちゃうので時間を置いたがいいんですよ。自分みたいな人間は、急いでもロクな事がありません。

さて、「Now and Then」についてですが、この曲については時間の経過とともに自分の中での感想が変わっています。最初に聴いた時には、決して悪くはないけどいまいちか?とも思ったんですよね。解散前のビートルズの曲でも好きなものもあればそうでないもの(オブラディとか…)は当然ありますし。ただ、時間を置いて聴くと評価が少しずつ変わってきました。聴いているうちに評価がガラッと変わるのは個人的なビートルズ曲あるあるだったりするので、軽々に「凡曲ですわ」とか書かなくて良かったです(書かないけど)。

まあそれでも「万人に届くめっちゃいい曲」とまではないんじゃないかとは思います。そもそもがデモテープの曲ですし。しかし要所要所では、なんというか神聖なものにでも触れているかのような感じがあるんですよね。こういったメロディを生み出せるミュージシャンがああいった終わり方をしたのは本当に理不尽だな、と……。いや、本当に今更だし、さすがに時間が経ちすぎているので怒りなどの感情も湧いてこないんですが、もっといい感じに仕上がった未来もあったんじゃないか?とか、世界が震えるような曲をあと何曲かは絶対に書いてただろうなとかいう残念な気持ちというのは、この曲を聴くと出てきちゃいますね。

PVの方は反則じゃないかと思うくらい良かったですね。アイデアに溢れていたし、本当にビートルズが好きな人が作ったって感じで、一流のプロによるファンメイド作品といった趣がありました。
正直なところアンソロジー・プロジェクト自体は、個人的に賛否両方の感情を抱きながら見ていた感じがあったんですが、このPVを前にするともっと素直に楽しんでも良かったんじゃないか?とも思ったりもしましたね。もういい年こいてるんだからプロモーションの裏側なんてある程度推察することも出来るわけですよ。「いやぁ、あなた達もいろいろな事情がありますよね」といった大人な受け止め方でどーんと構えて、ただ楽しんでも良かったんじゃなかろうか。

しかし、単純にそう思えないってのも当然のようにあるんですよ。
たまたま同時期に佐野元春さんのザ・ソングライターズという番組をまとめた本を読んでたんですが、その中でRHYMESTERの宇多丸さんが「死ぬ前に愛する人に残す伝言」という質問に「未発表音源には未発表音源なりの理由があるのだから、勝手に出したりしないように。あれ本当にヒドいと思うんですよね。ボツってるのには理由があるのですから」って答えていて、そういう気持ちもわかるんですよ。ジョン・レノンの意思がどうなのかってのは我々は想像するしかないし、そんなの誰にもわかんないわけですからね。ついでに言えばジョージ・ハリスンの意思も今となってはわからないです。わからないものに勝手にストーリーをこさえてやっちゃうのはいかがなものかと思うし、かといって死者の思いを勝手に代弁して代理戦争をやるのもそれはそれで無益です。こんな事を書きながらも出来上がったものを聴いてる自分も共犯なんだよなぁ、とか。いや、しかし、そりゃ聴くだろう普通。

と、そんな感じで出来上がったものを享受しながらももやもやした感じで過ごしていたんですが、その後に「ビートルズの新曲をもっと生み出すことは可能 ピーター・ジャクソン監督が明言」とかいう記事を見つけちゃってですね

「『Get Back』のなかの演奏を選び、ジョンとジョージのトラックを分ける。それにポールとリンゴにコーラスやハーモニーを加えてもらう。そうすれば、そこそこの曲ができあがるはずだ。ただし、ポールにこのアイデアはまだ話していない。ファンの妄想に過ぎないが、技術的に可能ではある」

これを見た自分の正直な感想は「“ビートルズ印のそこそこの曲”を新曲とか言ってリリースするのはやめてくれ」だったんで、やっぱり大人な感じの受け止め方でどーんと構えるのは自分には無理かもですね。自分の性根に関しては一生変わんないかもしれないです。なんだよ、そこそこの曲って…。

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