LGBTが話題になっているけれど、
個人的には
好きにも様々な種類があるのだから、愛にだって色々あっていい。と考えています。
ただの一個人の感想なのですが。
絞り込み検索みたいな恋愛をしていく人って、とても多いと思う。
たまに見ていてアルバイトを探しているみたいだなあ、と感じる人もいる。
ありがちなのが職業はコレがいい、見た目はどうとか、条件重視なお話を、よく聞いたり目にしたりするじゃないですか。
そういった「チェックリストに当てはまる人間を好きになります!」という風に相手を決めるだけよりは、書き並べた理由なんてなくても単純に好きという気持ちがある方が純度の高い「好き」なんじゃないだろうか。
何十年と一緒に生きて行く人間を探す為なのだからそれ自体は全く否定はしないし、そういった「条件」は大切な事であるとも思う。
でも、本当にただそこだけを見て完成する形なのであれば何だか味気なくて寂しい様な気がする。
書き出した条件ばかり見ていたら最初からその人自身なんて見えないし、感情なんてないようなものですよね。
人を好きになるのに特別な理由なんて本当の本当はいらないし、ましてや他人の理解を得なきゃいけないなんてこと、無いと思うのです。
この話以外でも気持ちの上で成り立つ話なら、決められるのは気持ちを持つ当人達だけで十分じゃないのでしょうか。
恋愛以外でも個人と個人の間に大切なのはいつであっても「前提」じゃなく「中身にある二人の関係性」で、いいと思っています。
赤の他人からはじまる感情を持ち続けて一緒にいたいと思えるだなんて、これ以上ないくらい素敵なことなんだから。
「一緒にいたいから一緒にいる」くらいに、
シンプルな感情でいいと思うんです。
そんな素敵なことに今更性別で躓く必要って、どこにあるんだろうなあ。とこの話題が上がる度に考えている。
条件やオプションみたいな部分をとっぱらって、一緒になりたいと思える相手と出会えるなんてとても素敵じゃないですか。
あらゆる常識は人が心地よく生きるために生まれているのだから、その常識で幸せになる選択権を失ったり傷つく人がいるのであれば、そんな常識要らないと思う。
恋愛も結婚も子供も、本人の気持ちありきですし。
そもそも他人の感情は他人の持ち物なのだから、それを恋愛感情だけ特別視して否定したり手放すことを強要するのって、全く穏やかじゃないものです。
嬉しいも悲しいも、好きも嫌いも同列に、
恋愛感情も本人の持つ気持ちの一つなのだから。
誰かの好きはその相手と本人の為だけにある好きだし、それを他人と認められる気持ちを多くの人が持っているような。
そういうこれからに、なればいいなあ。
と思います。
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