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母の日


私と母の思い出は
片手で数えられる程しかない。

①中学生の時に初めて母と2人で行った九重の小さな動物公園
②小学生の頃、洗濯物の干し方が上手いと褒められたこと
③私のことを「太陽のようだ」と言ってくれたこと

片手どころか3つしかないじゃん。
いや、他にももっとたくさんあるんだけど、記憶にあるのがこれだけ。


母とは昔からあまり気が合わなくて
仲のいい時もあるけれど
基本的には衝突ばかりだった。

それは私が母の思い通りに生きなかったから。
母が安心するような道を選ばなかったから。

私は根っからの自由人で思ったように生きるタイプ、
母は根っからの保守的で慎重なタイプ。

母からすれば
私の生き方は無計画、無頓着、無責任に見えていたと思う。

母からすれば
もっと『母親』らしく生きて欲しかったんだと思う。
もっと歯を食いしばり、もっと自分を犠牲にして、もっと安定的に。
子供のために頑張り、子供のために生きる。
自分のことは後回し。
それが『良き母親』だったんだと思う。

それがずっと苦痛だった。
「そんなのクソくらえよ。」
だから反発ばかりしていた。


昨日、子供から母の日のプレゼントを貰った。
私が仕事の日に、
彼と子供たちがサプライズで買いに行ったんだと。

プレゼントを開けて中身を見たときに泣いた。
それは大きな太陽が描かれたお皿だったから。


子供のころ、母は私に耳にタコができるほど「あなたは私の太陽よ。」と言った。
別に特別偉いことをしていたわけでもないのに、
「あなたの存在そのものが力を与えてくれるのよ。」という母に、
そうやって言われることが嬉しくて、何だか誇らしい気分になったものだ。

娘が選んでくれたその太陽のお皿を見た瞬間、
お母さんの言葉を思い出した。

私は今でもお母さんの太陽ですか?
私は心配ばかりの悩みの種だけど、
それでもお母さんにとって太陽でありたい。

私と母の思い出が少ないのは、それほど母が働いていたから。
思い出を作るほどの自由な時間がなかったから。
そんなこと分かっていたのに、
一緒に過ごす時間がもっとあればいいのにとよく願っていたっけな。


私が今こうして自由に生きれるのは
それをサポートしてくれる人の存在とやはり母の大きな愛のお陰だ。

「もっと『母親らしく』いなさい。」
という母に反発ばかりしていたけど、
そもそも私がこうやって生きれるのは『母親らしく生きる母』の存在があるから。
それをうっとおしく思う前に感謝しなければいけない。
離れた場所で私を心配するほど想ってくれること、
今日も孫たちが平和で幸せに生きれますようにと願ってくれること。
その温かい愛に感謝することを忘れ、
私は私で元気に生きてますから!と一方的に言い、
なんと親不孝な娘か。

大人になって思うのは、
私が太陽だったのではなく、
母が私の太陽だったんだと。

お母さん、ありがとう。

今の私があるのはお母さんのお陰。


Happy Mother's day.





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