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大学4年間を振り返って  インカレへの意気込み

筑波大学4年 平田航大

筑波大バスケ部に入部してから、もう3年8ヶ月が経ってしまった。時の流れは本当に早いものだなと感じている今日だが、私はこれから大学4年間を振り返っていこうと思う。

入部早々、Bチームの先輩方に大学バスケのレベルの高さを痛感させられ、試合にも絡むことができなかったあの頃は、ラストイヤーの自分が全く想像できなかった。まさか自分がAチームの試合に絡むなんてことを。
振り返ってみても、ほんとに挫折だらけの大学生活だった。そんな中でも大きな挫折経験が3つある。

⑴ BチームDNP時代(1年目)
 同級生の何人かは、入部して間もなく試合に絡んでいたが、私は全く絡むことができなかった。この現状を目の当たりにして、Aチームに上がって試合で貢献するという目標を抱いていた私は、かなりショックを受けた。
「Aチームに昇格するような人は、入部当初からBチームでもバリバリ試合で活躍している人じゃないのか」という理想と現実とのギャップにかなり挫折したことを覚えている。

⑵ Aチーム昇格後の2ヶ月間(2年目)
 1年時の2月にAチームへ昇格することができた。「高校時代からずっとテレビやYouTubeで見ていた人たちと、毎日練習ができるなんて夢のようだ」と昇格した日の夜は希望を持っていた。しかし、現実はそんな甘いものではなかった。周囲のレベルの高さに圧倒され、毎日のようにミスを連発していた。『チームの足を引っ張る私が何でAチームにいるんだろう』とマイナスなことしか考えられない日々が続いたことがあった。
人生で初めてバスケを辞めたいと考えた時期だった。

⑶ Bチームに戻って試合に貢献できなかったDリーグ(3年目)
 私は3年時の9月に試合の出場機会を得るため、一度Bチームに戻ったことがあった。Bチームに降りたからといって自主練をサボったり、練習で全力を出さなかったり、なんてことは一切なく、なんならAチームに居た時以上に練習に励んだ。にも関わらず、4ヶ月間通して、納得のいく結果を残すことができなかった。1年の冬からAチームで揉まれ、自分自身成長を感じていたからこそ、それが否定されているようで悔しかった。
ただ、一般入部の同級生みんな揃ってDリーグに臨めたことは最高の思い出として残っている。

このような挫折を経てAチームの試合に絡むようになったラストイヤーだが、次がもう最後の大会になってしまった。
リーグでは思うような結果を残せなかったが、私はみんなと日本一になりたい。リーグ7位から這い上がってインカレ優勝なんてストーリー的には最高だろう。
優勝することが出来たのならば、私も井上くんと共に筑波大学敷地内の池にでも飛び込んでみることにしよう。
やっぱり寒いのでやめておく。

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