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22日目 鈴木親さんと1枚目の話

1枚目の妻


19歳ぐらいだっただろうか
流行通信という雑誌を毎回購入していた
そこで連載していたフランスのpurpleという雑誌の編集長、エレン・フレイスの日記が好きだった

エレンさんは新津保建秀さんや鈴木親さんといった写真家と関わりがある方だった
昔、日大の写真学科を受けて一次合格、二次面接の時にこの3人に加えて、川内倫子さんを好きな写真家として告げたのだが、面接官の反応は「川内倫子は知ってるけど、他は知らん」と言われ、センスねぇなと思ったものだ。面接は落ちた。どの授業を合格したら受けたいですか?みたいな質問に、授業なんて1ミリも調べてなかったので分からなかった。写真が好きなだけだった。そもそも学科もぜんぜん勉強してなかったので受かると思っていなかった。

鈴木親さんの写真集発売記念のトークショーだったかインタビューのどちらかだったと思うけど、こんな話を聞いたことがあった。音楽家のSさんを雑誌Sで撮影した時に、2枚ぐらい撮影してもう終わりにしようとしたら編集さんにもっと撮影してほしいと咎められた、と。

Sさんは撮影慣れしているので、撮影が始まればみんなが知ってるSさんの顔になってしまうので、それが面白くない。といった理由から数枚で撮影を終わらせようとしたという話だった。いずれも15年以上前の話でうろ覚えではある。

もうサイン会はコレきりにすると言いながらサインしてくれたがどうなったのだろうか
エレンさんはエレンフレイスと紹介されることもあればエレンフライスと紹介されることもある。事実この写真集の巻末のクレジットではエレンフレイスとなっているのだ。

妻の写真の話に戻そう。
妻を撮っていても、撮影場所に立ってもらって撮る1枚目はやはりちがうなと感じることがある。

撮影がはじまっていると相手が感じる少し前。
この時間は貴重なのかもしれない。

あぁ妻の写真を載せるだけのつもりだったのに、こんな昔の話を思い出して書くことになるとは。
エレンに会った日のこと、新津保さんに会った日のこと、川内さんに会った日のこと。しでかしてしまったことの数々。

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