美容師を辞めて

世間一般の感覚で言えば、僕はなかなかな倹約家だ。
仕事の日は1日千円、休日は2日で一万五千円。
休日は妻にも休んで欲しいので外食メインのため予算は多め。
仕事の日は妻が弁当を持たせてくれているので千円も使うことはまずない。
趣味のCD収集の予算はこの千円のチリツモで確保しているのだ。
急な出費もなるべくこの範囲内でやりくりするように努めている。
ひもじくも窮屈にも感じることは無いが、僕と同じような共働きの夫婦二人暮らしの家庭を見ているとやっぱり僕は倹約家なのだと自覚させられる。

しかし、過去の自分を振り返るとやっぱりいまの自分の生活はとても豊かになったと感じる。

20歳から25歳の間、僕は美容師をしていた。
この仕事はかなりハードだ。

入社してすぐ社長が
「労働基準法を完璧に守っていると美容師の仕事は務まらない。時間を惜しむと技術は向上しないし、会社として最低賃金を割らないように工夫が必要。」
、という内容のことを新入社員の前で熱弁したのだ。
今の時代には合わない話かもしれないが、これはある程度仕方ないことだった。
スタイリストになるまで会社に直接的な利益を生むことはできないので、アシスタントのうちはある程度我慢が必要だ。

毎日8時にサロンに出勤し、店を出るのは23時。
その間は先輩に買い出しを頼まれる以外は外に出ることを許されない。
当然タバコも吸えない。
昼休憩は営業中の空いた時間にササッと済ませる。
長くて15分、短かったら歯磨き込みで5分だった。
スタイリストとアシスタントはきっちりとした縦の関係で営業中に心が休まることは無い。
唯一の休日である月曜日(店の定休日)もレッスンやモデル探しで潰れることがざらにあった。
これだけの激務でありながら、1年目の給料は手取りで12万。
レッスンに使うウィッグ代(毛の生えた人形)は月平均2万。
一人暮らしをしていたので、
家賃は水道代こみで46000円。
光熱費は5000円(ほぼ家にいないので安い)。
コンタクト代は5000円。
恥ずかしながら携帯代金は親に払ってもらっていた。
それでも120000−(20000+46000+5000+5000)=44000円
この状況でいながら年間100枚程CDは買っていたし年間100本程映画も観ていた。
食費を極限まで削って、趣味にお金と時間を費やしていた。
本当にどうやって生活していたのか分からない。
睡眠と栄養が足りていないと人は記憶力が落ちるらしい。
美容師1年目の記憶は極端に薄い。
しかし、音楽と映画に受けた衝撃と感動は鮮明に残っている。
間違いなく僕の生き甲斐だった。

じゃあ全て嫌な思い出なのか?と言われれば、僕はしっかりと否定したい。
こんな生活をしてでも頑張りたいと思える仕事だった。
僕の自己肯定感の高さは美容師を経験したからだと思う。
美に携わる仕事の幸福感は高い。

それでも、僕はスタイリストになり早々にこの仕事を辞めた。
家庭を持ち、その中での幸せを求めていた僕には美容師を続けることはベターではなかった。
勿論、美容師を続けながら幸せな家庭を築くことも出来ただろうが、僕にはその想像が出来なかった。
転職が正しい選択だったのかは去年まで分からなかったが、妻と結婚したことでこの決断に自信持つことが出来た。
僕は求めていた幸せを今満喫している。

あの頃はスターバックスに行くことも躊躇していた。
15時に妻の用事が済むので、アイスコーヒーを飲みながら有意義に時間を潰して待っている。
金銭面での豊かさはまだまだだけど、僕は満足している。
そう感じさせてくれている妻に感謝している。


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