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4月20日、木蓮忌とその周辺の本の話。

 4月20日は内田百閒先生のご命日。生前詠んだ俳句から、木蓮忌とも称されています。

金剛寺にある百閒先生のお墓(東京)
東京のお墓にある句碑「木蓮や塀の外吹く俄風」

 昭和46年(1971年)4月20日夕方5時20分、満81歳10ヶ月で永眠された百閒先生。その絶筆についてや、周囲の人たちが記したその最期について読める本を以下にご紹介していきます。(没日時等の情報はちくま文庫内田百閒集成24『百鬼園写真帖』年表より)


最後の本と絶筆

内田百閒『日没閉門』単行本

 百閒先生が自ら出した最後の本は『日没閉門』。最晩年の床にあったため、発行は急がれましたがご臨終には間に合わず、一日違いで出来た見本をお棺に入れてお見送りしたそうです(平山三郎「蝙蝠の夕闇浅し」)。

単行本『日没閉門』の箱の中

 箱を開くと、本体表紙はこうなっています。
 この本は私が初めて買った百閒先生の「単行本」です。それまで文庫ばかり集めていたんですが、絶筆作品である短編「猫が口を利いた」を読みたくて……でも当時はどの文庫に入っているかわからなくて、ちょうど検索で出てきた単行本に手を出したんですよね。

 私はそれまで漱石ばかり追っていたため、戦後まで生きた作家だと、(最期には間に合わなかったとはいえ)本人が手がけた本が古書でも簡単に手に入るんだなぁ……むしろ収録文庫より単行本の方が出回ってるんだ……と感慨深かった記憶があります。その時ちょうど旺文社文庫版が見つからなかったので。

旺文社文庫『残夢三昧・日没閉門』と、福武文庫・ちくま文庫『ノラや』

 当時は初心者だったので見つけられませんでしたが、今は収録文庫もいろいろ持っています。百閒先生の絶筆となる短編「猫が口を利いた」は、旺文社文庫『残夢三昧・日没閉門』、福武文庫やちくま文庫内田百閒集成9の『ノラや』等に収録されておりますので、みなさまこれを機会にぜひ。寝たきりの床にある百閒先生と、生意気にも不思議で不穏なことを喋る謎の猫とのお話です。

周辺の人々による最期の記録

 もともと百閒先生は文章では自身のキャラを作るタイプなので、百閒作品だけを読んでいてもご本人のことは煙にまかれてよくわからないバグがあるんですが(バグとは)、ご臨終の時の話やその後のことになると、これはもう完全にご本人に語っていただくわけにはいかない。
 というわけで、そのあたりのことを知ることができる本の紹介もしておきます。

雑賀進『実説内田百閒』(論創社)

 多くの元「学生」に囲まれた百閒先生ですので、そのあたりの人たちの本はいろいろあるのですが、最期の病状等については、雑賀進『実説内田百閒』収録の「百鬼園先生臨終忌」に詳しく書かれています。これは百閒先生の主治医であった小林先生に取材したものなので、医師の見解や病床での様子が割合詳しく残されている。

 余談ですが、雑賀進が追記として、百閒先生が最期に吸った煙草の銘柄について推測しているくだりがあるのですが、個人的な好みで「朝日」だろう、朝日がいいから自分の中ではそういうことにしたい……と、奥さんに詳しく確認するのをやめるところにめちゃくちゃ共感しました。最期の煙草が、漱石先生の真似で喫み始めた「朝日」だったら完璧じゃないですか……!(実際にどうだったかは不明です)。

平山三郎『実歴阿房列車先生』(中公文庫)

 百閒先生の周辺情報といえば! のヒマラヤ山系君こと平山三郎の『実歴阿房列車先生』(中公文庫版は電子書籍もあり)にも、いくつか百閒先生の最期についての話があります。先述した「蝙蝠の夕闇浅し」の他に「枕辺のシャムパン」「塀の外吹く俄風」など。

 実質ほぼ秘書のような立場だった平山三郎だけあって詳しいですし、飲み残しのシャンパンのくだりは何度読んでもうあ〜〜〜〜ッッとなります(語彙溶け)。

『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』(夏葉社)

 最後にもう一冊、直接の弟子等ではないところからの本をご紹介します。

 『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』(夏葉社)。タイトル通り、編集者をしていた山高登の話をまとめた本なのですが、この山高さんは同時に版画や本の装丁も手がけていて、『日没閉門』の装丁もこの人の手によるものです。

百閒先生のリクエストで入れられた家紋「剣カタバミ」

 百閒先生について語るページはそんなに多くないのですが、本の中には山高さんが撮った白黒写真も多く収録されていて……その……百閒先生のページの最後に、出棺の写真が……載ってて……。

 写真そのものにキャプションがないので確証はないんですが、本文の記述(出棺に立ち会った)や載ってる位置からして、たぶん、おそらく、百閒先生の……棺……ですよね???(そう書いてあるわけではないので憶測です)この本については最近Twitterの紹介を見て買って知ったので、不意を突かれてびっくりしました。

81歳の老衰という大往生。

 百閒先生の好きなところはいろいろとあるんですが、長生きをして穏やかな最期を迎えた(と思う)というのも好きなポイントです。81歳といえば現代ではまだまだ元気だったりしますが、明治に生まれ、大借金の貧乏生活や戦争と空襲を越えての人生、長くて濃いよなぁと。

内田百閒『百鬼園日記帖』(旺文社文庫)

 若い頃の日記をほぼそのまま出版したという、『百鬼園日記帖』を読むと、余計にその長生きぶりがしみじみと沁みます。

 得体の知れない死の予感に取り憑かれた29歳ごろの先生は、金もなく生活も面白くなくて憂鬱で、死ぬかもしれないからせめてこの日記を残そう……と書き記したわけですが、それから五十年以上生きるし最晩年は足を悪くして寝たきりにもなったとはいえ、シャンパンを飲み、煙草をひと吸いしての眠るようなご臨終を迎えるわけで……。百鬼園日記帖を読む際にそのことを頭に入れていると、不安で先の見えない話が続く日記もどこか安心して読めるところがあります。

 とはいえ、百閒先生も最晩年は出かけたくても出かけられない、遊びに行きたいけど遠く感じる……という状態だったことが、『日没閉門』収録作や「猫が口を利いた」を読むと感じられて、寂しくなるんですけどね。

岡山の百閒先生のお墓

 今年1月には吉備路文学館の「おかえり、阿房列車」展に行ったその足で、岡山の方のお墓にもお参りしてきました。(写真の大手まんぢゅうはお供えしたあと持ち帰って食べております)

 東京のお墓も、岡山のお墓も、行った時は特に何かの日でもないけど綺麗にされていて、お供えもしてあり、今でも大事にされてるんだと嬉しく思います。今日も現地は参拝の方がいらっしゃるのでしょうか。よき木蓮忌でありますように。