過去に2ヶ月間引きこもっていた時の話

久しぶりにnoteを書きます。
STAYHOMEしてると(私は通常出勤していますが)思い出す、私が過去に軽く引きこもっていた話。
思い出しながらただ訥々と書いていきます。

大学進学で福岡を出て、そのまま新卒から25歳まで東京で働いていた。
高校の時からある業界となんらかの形で関わりたいと思っており、就活をあまり真面目にやらなかった私は多少ブラックではあるが業界に関われる会社になんとか就職した。

365日24時間だれかが会社に居なければならず、
2日以上の連休は難しく(休みたい場合は誰かに出て貰わないと回らないため)、
盆と正月だけは3日の連休が貰えるので、合わせて6日間だけ福岡の実家に帰れていた。

給料は安く休みも取れないけど上司や同僚との仲は良く、なかなか続いた方だとは思う。
でも、ある日いきなり「この年齢でこんなに貯金が溜まっていないのはおかしいのでは…」と急な不安に駆られてしまい、
そもそもこんなに高い家賃を払い続け東京に住む理由があるのかと思い、泣きながら実家に「そっちに帰ろうと思う」と電話をした。

両親は心底嬉しそうで、引っ越し代をすぐさま振り込んでくれた。
それから2週間後には上司に退職の相談をした。

最終出勤日はクリスマス近辺だった。
その翌日の朝に荷出しをし、東京駅で待ち合わせていた上司と同僚と昼ご飯を食べ、
福岡までの新幹線のチケットを手配してなかった私に上司がグリーン席を取ってくれた。人生初のグリーン席だった。

職を決めず実家に帰ったが、焦って職を探そうとは思っていなかった。
前の会社が給料翌々月払いのため(そのため初任給がなかなか入らず泣いた)2月までは給料が出るからである。
職がない気まずさはあったため実家に帰っても友人とは会わず最初の1ヶ月間はほぼ家から出なかった。
同居の祖母とお昼を食べ、ヒルナンデスを見て、猫と遊び、ミヤネ屋を見て、夕方のニュースを見る頃には母がパートから帰ってきた。
驚くことに実家にいた頃に包丁を握った記憶はほぼない。
普通に考えると健康かつ働き盛りの娘が外に出ずにいるのを煙たく思っても良いとは思うが、
両親は夕食時に私と毎晩乾杯できるのが心底嬉しそうだった。
社会と繋がっていない不安や後ろめたさはずっと感じていたが、私が家にいる事に対して家族が曇りなく嬉しそうだったのが救いだった。

2月に入り、ようやく転職活動を本格化させた。

とは言え前職とはめちゃくちゃ選り好みしたため1ヶ月で2社しか受けなかった。
その2社は前職とは他業種のデザイナー職で、
全く業界研究をせずに挑んだため先方からの質問に答えられず、前職で作ったポートフォリオを褒められただけのただのお客さんになった。
もちろん結果は芳しくなかった。

あまりの自分の不甲斐なさに落ち込み&もう後がない(本当は全然ある)と思った私はある日たまたま前職と同業種の求人を見つけESを送った。

無職でロクに家事をしていない私だが、
夕食の前に仏様にご飯をお供えする役だけは毎日やっていた。
ESを送ったその日、神棚にお供えするために踏み台に乗ったところ、バランスを崩し後ろ向きに頭から落ちご飯をばら蒔いた。
あまりの物音に祖母と母が飛んできたが、その様子を見て笑っていた。
「今日の会社は落ちたね」なんて言っていた。

結局はその時ESを送った会社に採用が決まった。
面接日の調整までに時間がかかり採用が決まったのが3月、
入社日が4月15日に決まったのでそれまでの約1ヶ月は免許を取りに行く他は免罪符を得たように引きこもった。
1度、前職の先輩が千葉から遊びにきてくれ今は亡きスペースワールドに遊びに行った。
収入が入るのは2月までだったが、実家ではほとんどお金を使わなかったのでどうにかなった。

これが私の引きこもっていた時の話。
泥のような、繭の中のような、充電期間のような、恥ずかしいけど大事な時間。

ちなみに、その時転職した会社で今でも働いているし、
その職場で恋人と出会い今は結婚を前提に暮らしている。
両親には心配をかけたしこれからも心配はかけるだろうけど、ひとまず今の恋人を気に入ってくれ家族になることを楽しみにしてくれている。

人に誇れるような歩みじゃなかったかもしれないけど、今の自分はちょっとだけ誇らしい。
あの時の自分へ「今は安心して引きこもってていいよ」と言いたい。

立ち止まった後には動くしかないので、
立ち止まれる時にしっかり休もう。
と、家にいる事が推奨されているという過去の私が想像もできないような今、そう思う。

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