【観劇記録】宝塚雪組『海辺のストルーエンセ』感想と考察 

先日はこちらを観劇しました!
指田珠子先生の作品に『冬霞の巴里』で惚れ込み、今回は朝美絢さん主演ということで、何としても観たかった作品。

KAAT神奈川芸術劇場で2回観劇しました!
深みがあり、メッセージが作品中のあらゆる要素に散りばめられている指田作品、今回もそれは健在です。

観劇時、そして反芻してみて自分が感じたことを忘れたくなくて、今回は自分なりの考察を中心に。
早速書いていきたいと思います〜!

※台詞とかうろ覚えなので違ったらすみません。という事でネタバレガンガンにしてます

観劇前に

公式HPの公演解説、プログラムにさらっと目を通して臨みました。

北海とバルト海に囲まれた潮騒響く国、女神フレイヤが住まう所・・・

18世紀中葉、若き王クリスチャン7世が治めるデンマーク王国。大北方戦争後の中立政策によって、人々が平和な時代を謳歌していた頃。小さな町医者ヨハン・ストルーエンセは、啓蒙思想に傾倒し、保守的な医療現場を改革しようと奮闘していた。新しい考えを広め、いつか大きな世界で活躍したいという野心を抱くヨハンは、その美貌と賢さ、エレガントな立ち振る舞いを武器に、専属医として王達に近づく。
そこで目にしたものは、享楽に耽る王クリスチャン、無能な王を放任し国政を牛耳る宮廷官僚達、我が息子を王位に就かせようとするクリスチャンの継母ユリアーネとその一派、そして異国に慣れず王と不仲の王妃マチルデ。宮廷は「病」に満ちていた。国政を握り、世直しを行うチャンスとばかり、「治療」を開始するヨハンだったが、次第に孤独な王妃に惹かれていく。
果たして2人の、そしてデンマークの向かう先は・・・

https://kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2023/umibenostruensee/info.html

病と治療にかぎかっこがついていることから、言葉通りの意味ではない事が想像できるのですが、どんな展開があるのか…?!と想像が広がる内容です。

また、公演プログラムにはさらに詳細なあらすじが記載してあり、ストルーエンセがドイツ・アルトナで働いている事がわかります。
あと、このページのストルーエンセ先生のお写真が大変お耽美で良いですね!!笑

『海辺のストルーエンセ』

その隣のページには、この公演によせた指田先生のメッセージが掲載されています。
そこにはデンマークという国について、こう書いてありました。

白夜と極夜がある、何よりも海に近い首都・・・北欧神話では氷と炎のぶつかり合いから世界が生まれるという、その初めの描写から自然の厳しさを感じます。しかも神々は穏やかに暮らすわけでもなく度々争い、最後は戦争になり世界は滅亡し、生き残ったものが新しい世界を作る滅びと再生の神話です。

公演プログラムより

『冬霞の巴里』でも神話がモチーフとして登場しておりましたが、神話を物語へ絡めていくのが指田先生作品の特徴の1つだなあと思います。
神話については全く無知ですので、新しい作品に触れる度、新鮮な面白さがあって好きです!

感想

面白かったです!
小説的な美しい台詞と荒々しい台詞が入り混じった緩急のある脚本もよかったですし、印象的なモチーフのある舞台セット、同じ色でも濃淡が変わっていく照明や衣装にも、「何が意味があるのでは?!」とワクワクさせられました。
そして何より音楽が好みだったーーー!
時に激しく、時にしっとりと…劇中の音楽には様々なジャンルの曲があるのですが、各場面にそれぞれの音楽がバッシバシにハマってる!
指田先生と青木朝子先生のコンビにハズレなし!!

ストーリーとしては『ひかりふる路』と『蒼穹の昴』っぽいところがあり、雪組ファンとしては見慣れた展開だなあと思う部分も正直あるのですが(笑)
物語の焦点・テーマはこの2作とは違うところにあるのを感じたので、飽きることはなかったです。
テンポもよく、むしろ本作品独自の登場人物たちの心情や世界観の構造(?)にグイグイ引き込まれていきました!

ストルーエンセ役の朝美絢さん中心に、雪組生(特に上級生!)はお芝居が上手だなあと。
個人的にはクリスチャン7世役の縣千さんの成長がすごい!となりました!!
粗暴さと繊細さの両面性を見事に打ち出していたなあ・・・とても良かったです・・・!

↓初見時のツイート

演技や演出については、考察でも触れていきたいと思います。

考察

…と言っても、個人的な解釈なので見当違いな事を書いているかもですが(笑)
この作品は観る人によって感想や考察が全然違うと思うので、自分がどう感じたかを書いておきたくて。
そうしないと、他の方の感想や考察に引っ張られてしまって、自分が最初にどう思ったかを忘れてしまう気がして…。

そして書き終わったら、思う存分いろんな人の感想を読み漁りたい。(笑)

ロケーションー海辺・王宮・酒場

まずは、印象的な物語の舞台について。
この作品に出てくる場所って大きく3つで、海辺と王宮、そして酒場しかないんですよね。

幕開きは、波の音と霧がかかった海辺から。
恋人同士の召使いの女性と男爵が舞台上に現れ、物語がはじまります。
(召使い役の白綺華ちゃんのお歌が上手なこと!)

町医者として働くも理解されず打ち棄てられるヨハン・ストルーエンセ、鞭で打たれるほど厳しい教育を受けるクリスチャン7世、将来は軍隊に入る!と胸を高鳴らせるカロリーネ(音彩唯さん)。
3人の“核”となっていく部分が強烈に打ち出されています。

続いてアルトナの病院を挟んで酒場
ヨハンの愛の錬金術ソング(初め女声〜幕が開くと男声に変わる音域で、妖しいのにポップなこの曲、青木先生が朝美さんの声の良さを120%引き出していて凄く!いい!!)とクリスチャンの自己紹介ソング(縣のロックも待ってました!ありがとうございました)で、2人があの海辺に映されていた頃からは変わってしまった事がわかります。
王の周りには、一緒に騒ぐ役者たち。

最後に王宮
ヨハンとカロリーネが出会う場所。
カロリーネもまた、昔の溌剌とした様子からは想像し難いほど塞ぎがちになっています。

1幕は、ヨハンが王と王妃に「治療」を施すことで、王の粗暴な振る舞い・王妃の塞ぎかちだった心という「病」を改善させていく様子が描かれていきます。

王宮では本来の姿でいられなかったクリスチャンとカロリーネが、ストルーエンセと海辺へ出て心を開いていき、本来の自分を取り戻していくのです。

このことから、海辺は3人にとって真実を見つける場所なのだと思いました。
反対に王宮は突きつけられた現実を見る場所。

余談ですが、役者たちは街・酒場、そして王宮内の劇場には登場するものの、意外にも海辺には登場しないのが面白いな、と思いました。

そして街や酒場は、クリスチャンやカロリーネにとって、本来は普段から訪れる場所ではありません。
市民達が暮らす場所は、2人にとっては非現実なのです。
反対に、市民達にとっては街や酒場が現実の世界であって、そこで見る2人の姿が本来の2人のように映ります。
では、ヨハンにとっては…?

「治療」ー希望と夢

話を戻しますが、ヨハンがクリスチャンとカロリーネをどう「治療」していったのか。
それは、「こうなりたかった」という憧れ・国を良くしたいという希望を思い出させてあげる事でした。

希望を持ち生き生きとし始めた2人は、1幕終わりには志を1つにしますが、ヨハンとカロリーネは海辺でキスをしてしまいます。
(ここの演出でゾワっとする感覚が好きです〜〜〜冬霞脳が沸く)

それから2人は関係を深めてしまい、ヨハンはクリスチャンを蔑ろのようにして新しい世界を創るために急速に奔走(暴走)してしまうのです。

カロリーネはピンク色のふわっとしたドレスを身に纏い、ヨハンに言います。
「あなたの創る世界に生きられて幸せ」と、夢見心地に。

ところで、凄く印象深い台詞がありました。
ユリアーネ(愛すみれさん)の、「子ども達は夢から覚めますから」という台詞です。

夏至祭の舞踏会でも「夢で会いましょう」と仮面をつけた参加者達が歌い踊っていましたね。
仮面をつける=身分関係なく、どんな人とも対等でいる事ができる事がちょくちょく示されています。
(ここのロミジュリを彷彿とさせる音楽・演出、大好き〜!!)

他にもユリアーネは「薬の量を間違えないよう、我々で見張らないといけないですね」とも言い放っています。
(暴れながら床でお茶を飲むクリスチャンと、階段の上で静かにお茶を飲むユリアーネの高さを含めた対比の演出、うまいな〜!!頭抱えました)

つまり、「薬」(=希望)の量を違えたヨハンとカロリーネは、途中から実現可能な目標ではなく、愛し合ってはいけない二人が、自分たちだけで世界を創るという幻想にも近い『』を見てしまった事を示しているのだと思いました。

うっとりとヨハンと夢を見るはばまいちゃんの瞳のお芝居に病みっ気があってとても良かったです。

劇場ー役者と芝居

話は変わりますが、市民である役者達が唯一王宮の中に入れる場所があります。
劇場です。

クリスチャン、カロリーネにとって王宮は現実を見る場所と先述しましたが、ブラント主導の芝居によって、2人はまた現実を見る事になります。

クリスチャンは、ヨハンと王妃の裏切りを。
カロリーネは、ヨハンとの仲が許されない事であることを。
そしてヨハンも、自分のした事は王への冒涜であり、叶うはずもない事である事を知るのです。

本来、芝居は『夢』を見せる為のものですが、この作品の劇中劇は『現実』を見せる為のものになっているのが面白いな〜!と思いますし、
ユリアーネの言葉通り、王宮の中で3人は夢から覚めたということになりました。

役者達も印象的な歌を歌っています。
「決まった役目と決まった言葉」
「役を間違えたら首切られる」

ヨハンの(あくまでこの作品中の)身分からすると、本来は役者達と同じで、街や酒場が彼の居場所・現実だったはずです。
芝居に疎いヨハンが「決まった役目と決まった言葉」以上の事を行い「役を間違えた」事を王宮内の劇場で知るという皮肉が、より夢から覚めてしまった事・絶望感を強くさせている気がします。
指田先生、すごいや…

また余談ですが、ヨハンが絶望で四つん這いになっている横で役者達は芝居道具の片付けをしているのですよね。
イェルクなんかヨハンの隣で掃き掃除してるんですよ…もうヨハンがゴミ同様の地に落ち果てた事が痛々しいほど伝わってきて……惨すぎない?!(褒めてる)


炎・灯火

この物語には、炎や灯火を連想させるモチーフや台詞がたくさん出てきます。

まず、デンマークの夏至祭の時に海辺で炊かれるたき火。
「悪いものを追い払ってくれるから」、たかれる炎です。

クリスチャン7世の発案で街を照らし始めた街灯。

ストルーエンセとカロリーネの仲が深まるきっかけになった、「私は小さな灯火を見つけた…」という台詞。

そして舞台の天井あたりにあるたき火のモチーフ。
常に赤く舞台上にありますが、消える瞬間が1回だけあります。

2幕、闇の中。
不貞が明るみになり、手にした権力を失う時です。
どんな時でも野心を失わなかったストルーエンセが、希望を失った瞬間。

この物語において、炎はヨハンの持つ希望だったのだと思いました。
彼が元々もっていた、市民の暮らしを良くしたいという希望です。

それが、クリスチャンの希望になり、街灯となり、カロリーネとの恋になった。 

そう考えると、衣装の金箔が火の粉のように見えてきました。
ヨハンとカロリーネが燃え上がるほど、衣装も赤みを帯びていく。


「死と復活」ーラスト、波の音について

最後、3人とブラント(諏訪さきさん)が海辺で対峙します。
ブラントは3人が夢から覚めるきっかけを作ることになりましたが、彼は彼でヨハンと夢を見た1人でした。

「お前に見せられれた朝焼けが忘れられないんだよ」という台詞。

ホルスタイン伯爵夫人(妃華ゆきのさん)は、自分は何者で、何をしてきたと思う?と彼が問いかけた時、
「初めて王宮を歩いた景色は忘れられないわ」
「今は仮面を被っているから何者でもないわ」
と答えました。
「そうだね。何者にもなれるね」…

仮面をつけた時の、どんな人とも対等でいられる世界…ヨハンの理想とした啓蒙主義の世界を、彼も愛していたのです。
夢は終わってしまったけれど。

ヨハンが許せなかったけれど、夢を見せてくれたヨハンに感謝してもいた。
だからこそ、最後の最後にヨハンを庇った。

クリスチャンは、自らの「役目」を真っ当すべく、ヨハンに裁きを下そうとしますが、覚悟が決まりません。
そんな王を見かねたヨハンは「最初からこんな国愛していなかったんだよ!!」と叫び、決闘の続きを申し出ます。

『無事に』「役目」を果たしたクリスチャンの手によって、ヨハンは「首を切られ」(死に)ました。
夢から覚めた者には、受け入れなければならない現実でした。
(無音演出がとても効いていましたね…息を呑むのもはばかれるほどでした)

北欧神話について調べてみたら、こんな一節がありした。

北欧神話によると、この宇宙は寒気と灼熱の相互作用によって成り立っているが、・・・(中略)・・・神々は邪悪な巨人族と戦い続けており、いつの日か彼らとの決戦によって世界が滅びるのである。・・・(中略)・・・そこでは壮大な死と復活のドラマが展開されることになる。まず人間世界に暗黒の時代が到来し、あらゆる活動が停止する。神々と巨人の間で、この世で最後の一大決戦が行われ、その中で炎が大地を焼き尽くす。こうして天と地と、その間にあるすべてのものとともに、…(中略)…古い世代の神々、老いた神々が滅亡する。しかし希望は残るのである。海から大地が再び浮かび上がり、…(中略)…新しい太陽が新しい世界を照らすのである。

『デンマークの歴史・文化・社会』P.12(創元社)

色々な解釈ができると思いますが、ヨハンの死によって、クリスチャンが市民にとっての太陽、新しい世界を照らす君主になることが、役者達ー市民の台詞から暗示されていた気がします。
本当の史実とは関係なく、この物語の最後の希望として。

ヨハンの最後の言葉は、「海が美しい」でした。
カロリーネが嘘と見破り、クリスチャンが芝居が下手だと言った通り、ヨハンにとってこの国は愛するに値するものだったのだと感じました。
海辺で語る言葉は真実で、美しかったのです。

そしてカロリーネの「海が燃えている」…
炎が悪いもの/真実を焼き尽くす。
カロリーネは青い落ち着いた色合いのドレスに戻り、再び旧態依然の政治に逆行していく様が描かれていきます。
本当にヨハンの希望は滅ぶべきものだったのでしょうか?

アンドレアス(紀城ゆりやさん)がヨハンの意思を汲み取り、未来に繋げる事を誓っています。

そして、クリスチャンは最後に言います。
「何者になれなくてもよかった」
「今日は一段と波の音が強く聞こえる」

これは私の解釈ですが、「憧れていた誰かにはなれなかったけれど、幸せだった」という意味だと思っています。

いつか「決まった役目と決まった言葉」に縛られず、ありのままの自分が自由に生きれる世の中になるよう、ヨハンに思いを巡らせているのだと…
召使いの女性と男爵のように、全ての人が身分が違くても幸せに想い合える日がきますように。



この作品のメッセージを一言で表すのはとっても奥行きがあって難しい。。(笑)

けど、デンマークという国名しかほぼ知らなかった国の文化や歴史に触れる事ができて、現代でも通ずるテーマの作品に出会えた事、そして朝美絢さんはじめ素晴らしいお芝居を観れて素晴らしい観劇体験になりました。
これが私のフォレルスケット!(笑)

考察というか、単に私の頭の整理になってしまった気もしますが…ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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