「身体性を回復させる」エネルギーを制限する

ある人々は概念に囚われていると言われている。しかし、そこにはメリットがあるから、そうなっているに違いない。

そのメリットとはなにか?

最も直接的には、身体性を制限できることだろう。「考える」ことで、「感じる」ことを制限しているのだ。

なぜ、感じることを制限する必要があるのか?

人の五感はセンサーに過ぎない。五感自体は、ただ外部情報を受け取るだけで、そこに制御する働きはない。
五感で受け取った情報に意味を与えるのが「考察」することで、その意味となる記号が概念となる。
そのため、概念は恣意的に作られたものであって、部分に分割された概念は真実(全体性)ではなくなる。
その代わり、見たくないものを見なくて済むのだ。
つまり、なにを見るかコントロールするために、感じることを制限していることになる。

ここで、感じることの制限を外すことが、概念を乗り越えることとなる。
そうして、考えて知るのではなく、身体性を直接体験するようになる。

世界が躍動し、鮮明にありのままに捉えられるようになる。
しかし、自分の望む望まないに関わらず、世界が直接的に迫ってくるようにもなる。

ここで起っていることは、概念との自己同一化から離れ、次に身体との自己同一化が始まる。
記号としての私から、この肉体を持った世界にたった一人の私となるのだ。

そこで、世界と出会い直す。そうして、私が身体を使って、世界を動き回り、見て、感じて、自分という身体性を回復させていく。

ヒンドゥーのヨガでも、仏教でも、霊的な修行の始まりは、必ず身体からである。
身体→エネルギー→心→意識。

概念を乗り越えるときは、概念そのものを用いるしかない。それは、思想的な問答であったり、イメージワークなどもそうだろう。

この概念を乗り越えることは、誰にでもいつでも起こり得る。

ここで注意しなければいけないことは、概念を乗り越えたあとに、そのまま心やエネルギーに進もうとすると、問題が起こる場合があるのだ。

本来、ここで身体性に、いわば戻らなければいけない。
そうしなければ、禅病や偏差、神経過敏などが起こることがある。
これが、ヨガでグラウンディングが重視される理由だろう。

エネルギーを制御しようとするときには、エネルギーとの自己同一化をしなければいけない。
しかし、そのためにはまず身体との自己同一化を離れなければいけないのだ。

それをせずに、エネルギーを意図しようとすると、「エネルギー→身体(自我)→概念」のプロセスにおいて、身体に同化した自我が好き勝手に振る舞うことになる。
自我は、それに注意が向けられているときは、静かになるが、隠れたところで悪さするのだ。

そのため、身体との自己同一化を積極的に意図して、エネルギーを制限するのだ。

そうして、身体を制御(部分)し、全体として気づき、あるがままに見て、そして外すというプロセスを踏む。

これを、私はよく3ステップで解説している。
部分と全体(量的)、部分性と全体性(質的)

第四を探せ!「相対(二元性)を超えるのが、四番目 」

しかし、身体性が大事だとするとき、今度はその身体に執着してしまう場合もある。
なぜなら、身体=私(自我)だからだ。

そのため、身体性を回復したら、今度はそれを外し、エネルギー(感覚)を回復していく。

マインドフルネスとは、このように学びと癒やしを繰り返していく。

学びに伴うのは、多くは苦しみだ。
苦しみから学ぶのだ。
しかし、苦しみだけでは続かない。
そのため、学びが一段落すると癒やしが起こる。
そして、癒やしによって、喜び、安らぎ、そして明晰さを回復し、また学びに向かう。

自然な調和を目指していけば、必要なときに必要なことが起こる。
霊的な修行は、ただ静かにあれば良いのだ。
これを、私は「道」と呼ぶ。

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