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46年前の4月4日はキャンディーズファイナルカーニバルが後楽園球場で催された

今日は4月4日。
ボクたちキャンディーズファンにとっては忘れられない日です。
1978年、昭和53年4月4日、後楽園球場でキャンディーズの解散ライヴ「キャンディーズファイナルカーニバル」が催されました。
超満員の後楽園球場、場内の観客は55000人で、さらに入れなかったファンが球場外に1万人は居たと言われています。
日本のアイドル史上、いや歌謡史上最高のライヴでした。
キャンディーズ、そして解散ライヴとなった「キャンディーズ ファイナルカーニバル」は伝説となり、現代に語り継がれています。
 
このファイナルカーニバルのチケットは即完売。
55000人キャパのところ、10万枚分の応募があったそうです。
当時のチケット申し込みは現金書留で代金を送り、折り返しチケットを返送するというシステムでした。前売りの段階で売り切れるということはなかったのでしょうね。
ファイナルカーニバルのチケット管理は、ファンクラブや同士の集合体である「キャンディーズカンパニー」という組織が行っていました。
ここの元スタッフから聞いたのですが、10万の応募者から抽選をし、落選した約5万枚分は現金書留で返送したとのことです。渋谷区道玄坂にあった事務所と郵便局を何度も往復したとか。
返送した現金書留の料金はキャンディーズカンパニーが負担したため、とんでもない赤字が出てしまったそうです。
そんなプレミアムチケットでしたが、昔の追っかけ仲間が誘ってくれて見事ゲットできたのです。その仲間は知らないうちにカンパニーの幹部になっていて(笑)、或る日突然『昔の仲間も集まるから来てね~』なんてハガキをくれました。
 
1978年4月3日、すなわち開催の前日は雨でした。
予定されていた野球の試合が中止となったため、ステージの設営を早い時間帯から始められたと聞いています。
フジテレビ系列「夜のヒットスタジオ」では後楽園球場から生中継があり、雨上がりのグラウンドでキャンディーズが歌ったという記憶があります。
 
開催当日の4月4日は天候に恵まれました。
球場周辺には大勢の警察官、機動隊員まで出動し、異様な空気だったことを覚えています。
開演は17:00の予定でしたが、実際に始まったのは17:17でした。


後楽園球場周辺はごったがえしていました


警察官や機動隊員も大挙出動


近隣のビルから眺める人たち


会場内でのグッズ販売


開演時刻が迫ります


昭和50年、高校一年でキャンディーズの追っかけを始め、昭和52年には一旦現場から退いていたものの、昔の仲間からの招集によって後楽園球場の輪に加わることが出来たのです。
それもステージ突端横の二列目という素晴らしい環境でした。
 
この場所に居られたこと、キャンディーズの最後を見届けられたこと、55000人の仲間たちと貴重な時間を共有出来たこと、これらは46年経過した現在でも自分にとっては素晴らしい経験だったと思っています。



さあ始まりました! 55000人の歓声が凄いです


ステージ突端まで来てくれるとよく見えました


冒頭は洋楽カバーが続きました 少しずつ暗くなってきています



【キャンディーズファイナルカーニバル・セットリスト】
01. プロローグ
02. OPEN SESAME
03. JUPITER
04. HARD TIMES
05. DO IT
06. PLAY THAT FUNKY MUSIC
07. DO YOU LOVE ME
08. SIR DUKE
09. 朝日のあたる家
10. NEVER MY LOVE
11. 涙の乗車券
12. ある愛の詩
13. FANTASY
14. GOING IN CIRCLES
15. 恋のあやつり人形
16. 内気なあいつ
17. ハート泥棒
18. キャンディーズ
19. 秋のスケッチ
20. バイ・バイ・センチメンタル
21. 片想いの午後
22. 銀河系まで飛んで行け!
23. 黄色いビキニ
24. あなたに夢中
25. そよ風のくちづけ
26. なみだの季節
27. キャンディ・ツイスト
28. IT'S VAIN TRY TO LOVE YOU AGAIN
29. 買い物ブギ
30. エプロン姉さん(マキちゃんに捧げる唄)
31. アンティックドール
32. MOONLIGHT
33. 午前零時の湘南道路
34. 私の彼を紹介します
35. おとうさんあなたへ
36. アン・ドゥ・トロワ
37. わな
38. 哀愁のシンフォニー
39. 悲しきためいき
40. SUPER CANDIES
41. ハートのエースが出てこない
42. その気にさせないで
43. 危い土曜日
44. 微笑がえし
45. 年下の男の子
46. やさしい悪魔
47. 夏が来た!(実際には歌われず)
48. 暑中お見舞い申し上げます
49. 春一番
50. ダンシング・ジャンピング・ラブ
51. あこがれ
52. つばさ



当時は着席観覧でしたが思わず立ち上がってしまいます…



春一番♬ですね… 恐ろしいくらい盛り上がる曲でした



何万本の紙テープが消費されたでしょうね…


47曲目予定の「夏が来た!」が飛ばされた理由を後年聞くことが出来ました。
もともと後楽園球場でのコンサート開催を歓迎していなかった警察署は、「必ず21時までには終わらせるように」との条件で渋々許可を出したそうです。
開演時刻が遅れた上に少し押していたようで、警察との間では「曲を減らして予定通り終わらせる」というやり取りがあったと聞きました。
そのような経緯で省かれたのが「夏が来た!」ということです。



ステージは最高潮に達していました


そして終演を迎えました。
「本当に私たちは幸せでした!」
そう言い残して…



これは最後の曲「つばさ」が終わり、キャンディーズがステージ下へ去って行った直後の様子です。
スコアボードの時計は21:20を指しています。
キャンディーズのメンバーがボクたちの視界から消えたのが21:17だと言われていますから、約3分後ですね。


 

誰もがカーテンコールを信じ「アンコール!」と叫んでいましたが…


 

バックバンドだったMMPのリーダー渡辺茂樹さん、通称チャッピーさんのMCが始まり、会場が騒然としている様子です。
チャッピーさんからの言葉は、「キャンディーズは、もうここには居ません…」という内容のものでした。
アンコールでの再登場を信じて待っていたボクらは唖然とし、そして猛烈な悲しさに襲われたのでした。
 
「つばさ」を歌い切り、ステージ下へ去って行ったキャンディーズ…
肩を抱き合ってボクたちに手を振ってくれたあの姿、あの瞬間でキャンディーズが終結したのです。
 


当時は悲しいという気持ちばかりでしたが、歳を重ねるにつれ「なんて潔い終わりかたなのだろう…」と思うようになりました。
最高の状態でスパっと終わる。
だからこそ多くの人々の心に残るのでしょう。。
 
キャンディーズは再びボクらの前に帰って来ることはありませんでした。
そして2011年、スーちゃんこと田中好子さんが逝去され、キャンディーズの再結成は完全に断たれてしまったのです。



重い足取りでグラウンドを後にするファンたち
上方のネットには大量の紙テープが残されています


 

あの日、ボクたちは一緒に歌い、共に声援を送り、そして思いっきり紙テープを投げました。
投げられた紙テープのように、ボクらの熱い思いは宙を舞い、交錯し、そして…


「キャンディーズはもうここには居ません…」といったチャッピーさんが亡くなって、早いもので10年です。
スーちゃんが旅立ってから間もなく13年。
確実に時は流れ、様々な変化がボクらに圧し掛かってきます。
 
 
でも、ボクたちはいつまでもキャンディーズを愛し続けるでしょう。
 
きっとこの世を去る瞬間まで。
 
そして来世でも…


2024年4月4日
キャンディーズ解散46周年



※写真はすべて私つねぴょんの撮影です。当時は撮影や録音が可能でした。


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