YOUNG PARISIAN/Tsuneglam Samインタビュー(ロングヴァージョン)

今年で結成20周年を迎えるというYOUNG PARISIAN。このたびHELLO FROM THE GUTTERより両A面の7インチシングル『SKOOL BOYZ / PSYCHOTIC LOLIPOP』をリリース。20周年を振り返り、“パンクではない”ことへのこだわりをTsuneglam Sam(Vo)が語る。

聞き手 Discoman(QUESTIONS AND ANSWERS)
2022年1月


  ―今年で結成20周年……20年前だから2002年ですか。結成の経緯はなんだったんですか?
「メンバーとはライヴハウスで出会ったというか……僕が何を観に行ってもいる人たちで。大まかに言うと出会いの場はガレージ・シーンなんですけど、ガレージだけじゃなくてハードコアのバンド観にいってもサイコビリー観に行ってもいるような人たちでね。いつの間にかそこで話すようになって……だからバンド組む以前から友達だったんです。逆に(Discomanは)僕らのことはいつから知ってます?」

―友達の立石君(オヂヂ/HIGH LIFE, DARK THE GIANTのドラマー)がやたらとTsuneさんの話をしてた時があったんですが、初めて観たのは……下北沢のSHELTERで企画やりました? PONさん(LAUGHIN' NOSE)がDJで。
「やりました。それは1stアルバムのレコ発ですね(2006年)。ありがたいことにPONさんにDJやっていただいて」

―僕はその頃、立石君が行くっていうライヴには一緒に行ってたのと、LAUGHIN’ NOSEがらみのライヴには行ってたんですよ。あと、当時のベースの方がLAUGHIN’ NOSEのライヴによくいたので顔を覚えてて。

「あの人(Marsha/初代ベース)は通称プロの客と呼ばれてました(笑)」

―だからパンクのイメージだったんですよね。
「なるほど、それがなぜグラムロックを?ってことですよね。あ、その前に実はYOUNG PARISIANは僕が結成したんじゃないんですよ」

―え、そうなんですか?

「RETRO GRETIONがLOFTのBAR SPACEでやってたイベント「RETROCK」のセッション的なバンドで僕が一曲ロカビリーを歌ったのをCarAll(G)さんが観てて、一緒にバンドやりませんかと。その時すでにもう他のメンバーはだいたい揃ってまして。まぁ……それを結局乗っ取った形になったっていうか(笑)。
やっぱりバンドが今でも一番やりたいことなんですが、それをやりたくてもやれない時期があって。だからやれない代わりにライターやったりバンドの裏方みたいなことをやってて。その間も常に妄想するわけですよ“次にバンド組むならこういう感じで”っていう。その選択肢のうちのひとつがグラムロックだったんです」

―へぇー。

「他の妄想選択肢はポジパンかGG ALLIN~ANTiSHEENみたいなスカムなパンクだったんですけど、みんなが共通して好きなものがT.REXとNEW YORK DOLLSだったんで」

―そうなんですね。じゃあもう結成時にイメージしたのはNEW YORK DOLLSだったりしたんですか?
「いや、実は個人的にはそうでもなくて。もろに70年代のグラムロックなんて出来っこないと思ってたんでもうちょっとCUDDLY TOYSやFASTや WAYNE COUNTYみたいなグラムパンクとか、SIGUE SIGUE SPUTNIK的なニュー・ウェーヴ感覚のネオ・グラムをやってみようかなっていうのは頭にありましたね。
あと、ネオロカとかサイコビリーのバンドがT.REXやDavid Bowie、Gary GlitterとかMUDやSWEETなんかのグラムロックのカヴァーをよくやってたんで、そういう感じでエドワードジャケット着てラバーソール履いて、ロカビリーのイベントに出れるようなグラムバンドがいてもいいんじゃない? ってのも組んだ時にはイメージしてました。ところが、やり始めたらズボンの裾がドンドン広がっていき、髪型もみんな元々リーゼントだったのにBowieみたいな髪型にしたり、Keiji Ronson(G)も長髪になったりで(笑)。そっから段々主にイギリスの70年代のグラムロックを正面からやってみたくなりましたね。なんでかっていうとNEW YORK DOLLSとかHEARTBREAKERSみたいなイメージのバンドはわりと日本にもいたんで。それにああいう感じにやるのは正直嫌だなって個人的には思ってたんで、もっと英国寄りのものを」

―日本のグラムロックみたいなバンドがどのくらいいるかわからないんですけど、そういうバンドと対バンとかはやらないですよね?
「まず、そういうグラムロック専門のバンドって全然いないなとは思うんですが、始めた頃は渋谷のLA MAMAには一応そういうシーンがまだあったんですよ。今もあるのかな? 数回出たことはあるんですけど、やっぱりちょっと違って。僕らは王道グラムやってるつもりなんだけど、なんだか異端扱いというか、浮いちゃって」

―マルコシアス・ヴァンプとかは聴いてました?
「中学生の時にイカ天に出たのを観てて。僕はその頃、既にT.REXが大好きだからビックリしましたけどね。うまいし曲もいいし、好きでしたよ。でもほら……僕はご存じの通りLAUGHIN’ NOSEのファンだったんで(笑)」

―そうですよね(笑)。
「やっぱりマルコシ、すかんち、YELLOW MONKEYが日本の三大グラムロックバンドだと思うんだけど、すかんちとかイエモンが流行ってる時は日本のバンドって聴いてなかったんですよ。好きとか嫌いとかじゃなくて洋楽聴いてたんで。Keiji Ronsonはその辺りはすごく好きだったみたいですけどね。僕はYOUNG PARISIAN始めてから後追いでROLLYさんのソロとかすかんち聴いて、こんなすごいことやってたんだ!ってびっくりして。特に『ROLLY'S ROCKROLLY 』(96年) ってアルバムはすごいです。
その3バンドはやっぱりルーツに根差しててカッコイイなって思うんだけど、それに影響受けたバンドってそっからルーツの部分じゃないJ-ROCKとか歌謡曲っぽいとこをもっていくでしょ? 比率で言うとBowieとかMOTT THE HOOPLEが7でJ-POP/歌謡曲が3だとすると、3の部分の方を持っていって拡大解釈するからどんどん薄まっていく。そういうのがすごく嫌で。例えばミッシェルガン・エレファントに影響を受けたバンドはミッシェルのPUB ROCKじゃない部分をやるじゃないですか」

―それすげーわかります。みんなガナり出しますよね(笑)。
「ブルーハーツ・フォロワーがいい例で。彼らのルーツのBRITISH BEATなんかの部分がなくなっちゃう。根本にあるルーツミュージックがなくなっちゃうのは許せないんで……だから自分は洋楽をやりたかったのかもしれませんね。歌詞が英語だ日本語だということではなく、洋楽を」

―メンバーは共通してグラムロックが好きですが、源流はそれぞれ別ですか?
「そうですね。CarAllさんはわりとパンクよりですが、Keiji Ronsonはハードロックよりです。ザックリいえばですけどね。その交差点にT.REXとNEW YORK DOLLSがいるというか」

―バンド名の由来はなんなんですか?
「ADAM & THE ANTSの最初のシングル『Young Parisians』から取りました。やっぱり曲名とかアルバム名からバンドをつけるのっていいじゃないですか? TEENGENERATEとかSUPERSNAZZとか、あと……QUESTIONS AND ANSWERSとか(笑)」

―はい(笑)。
「それが正しいと思ってたんで。最初はADAM & THE ANTSの初期のビザールでフェティシュなイメージも入れたくて『Zerox』もいいかなーと思ったんだけど、それじゃあ印刷屋みたいなんで(笑)。
結成して初期はずっと登場のSEにも『Young Parisians』を使ってたんですよ。その頃、仰々しいSEで出てくる怖い顔したバンドが当たり前だったんで、それの逆をいってすっとぼけた曲でニヤニヤして出てくるのがいいなって」

―では、ライヴのイメージもありきでつけたんですね。
「そうですね。パリジャンのかけらもないし、すでにそんなにヤングでもなかったですけどね(笑)。Bowieの『Young Americans』も好きだし、ミッシェル・ポルナレフのイメージもあったかな? まぁやっぱりプロレスが好きだからそういう国籍ギミックが好きなのかもですね。似非モンゴリアンキャラとか似非インド人キャラとか。YOUNG PARISIANより随分前に僕がやってたバンドの名前はヒンドゥー・ハリケーンですからね(笑)。タイガー・ジェット・シンの元々のリングネームからとって」

―タイガー・ジェット・シンもカナダ人ですからね(笑)。そんで、最初はグラムとパンク足したようなつもりがど真ん中やるようになったのは何故ですか?
「最初はやれないと思ったんですけど、みんなけっこう弾けたんですよ。出来るじゃん!みたいな、それが大きいですね。グラムロックの奥深さに挑むのも楽しくなっちゃったし。あと、気づいたのはグラムってロックの現在、過去、未来を繋ぐ音楽なんで。ロカビリーもシャンソンもパンクもニューウェーヴもディスコもやれるんですよ。モッズの未来形はグラムだし、パンクやニューウェーヴの根っこだし。だからブレようがないんですよね……たまにはブレてみたいんですが」

―ははは。
「ちょっとダンスビート取り入れてもパンクスにうけるような速い曲やったとしてもブレたってことにならないでしょ?」

―そうですね。全部がYOUNG PARISIANに見えますね。
「そんだけグラムの裾野は広いんですよね。だから何でもできる装置っていうか。まぁ、もちろん本気でグラムが好きだから出来るんですけどね」

―そうだと思いますよ。中途半端な好きじゃあまず無理だと思う領域なんで。それにしても話を訊くまで元々グラムロックを追い求めてた人がグラムバンドをやってるんだと思ってましたよ
「初期のメンバーはほとんどがこのバンドが初バンドですよ」

―ええっ!? そうだったんですか。
「Keiji RonsonもCarAllもMarshaもそうです。Marshaにいたってはほぼ初心者だったと思います」

―そうだったんですか! じゃあもとのバックボーンが違う中で衣装とかメークはやっぱりTsuneさんが主導で決めていったんですか?
「いや、衣装に関してはこれを着ようとかあれを着ようとか言ったことは今まで一回もないんです。化粧に関しても初ライヴの時に化粧しながら鏡越しに見たら、みんなメイクしてたんですよ(笑)。だからもう……奇跡のバンドです(笑)」

―すげえ(笑)。じゃあメークもみんな自分なりにみんながみてきたものを表すというか。
「そうですね。だから最初はすっごいヘタで、ライヴ中に黒い涙が流れてドロドロになったり。いろいろ試行錯誤しましたね。靴も最初はプラットフォームブーツじゃなくてピンクのラバーソールだったし」

―そこも聞きたかったんですがロンドンブーツってどこで買えるんですか?
「最初は四谷の老舗でオーダーですね。今みたいに海外でネットショッピングも簡単じゃなかったんで。最近はドラァグクイーン用のやつがサイズが大きいのもあるんでそれを買ったりしてます。今おもうと、ああいうブーツを履くようになってから……なんか覚悟がきまったような気がしますね」

―たしかにロンドンブーツを履くようなバンドって僕らの周りにはいなかったですもんね。
「20年前ももっといなくて。短パンでキャップのメロコアとかミクスチャー全盛期ですから。もしくは革ジャン、皮パン、エンジニアブーツみたいな時代で。着飾ることがダサいみたいな風潮の中で逆に行きたかったでしょうね。みんなもう20年前の雰囲気なんか覚えてないと思うんですが、ロカビリーにしろモッズにしろパンクスにしろあまり着飾りすぎないでシックで渋めがいいみたいになんとなくなってたんですよ」

―あぁ、なんかそんな感じありましたよね。衣装はライヴの日は持ってくるんですか?
「はい、僕はパンクやモッズじゃないんでステージ衣装はステージ衣装です。そこが逆にこだわりです。普段からそういうカッコしてないのはリアルじゃないみたいに思う人はいるかもしれないけど、ロックスターは普段着で衣装着ないでしょ(笑)? 」

―そうですよね(笑)。メイクも必ず落として帰るんですか?
「そうですね。ちゃんと落ちてないこともあるけど(笑)。だから“パンクじゃない”っていうことの逆のこだわりがありますね」

―Tsuneさんのこだわりはホントに底がないくらいにこだわってるなっては見てはとれますけど、衣装はあんなのどこで買ってるんですか?
「すごく簡単な話で服屋に入って一番光ってるものに向かっていけばいいだけなんですけど(笑)、ここ6、7年は次のライヴのコンセプトを決めて、レインボーで行こうとかチャイナで行こうとか、それに合わせて衣装を捜して、カヴァーも含めやる曲や出囃子も決めるみたいな感じですね。ただコスプレにはならないようにはしてます。あくまでモチーフであって。そうやることでモチベーション上がりますしね。衣装もほぼ毎回違います」

―あぁ、素晴らしいですね。
「やっぱり非日常を皆さんに見せたいんで。たまには黒いスーツでシックにいきたかったり全身レザーとかもやりたいなって思ったりもしますけど、それだと初めて観に来た人がガッカリしますからね」

―いやーこだわりがほんとに強いなぁ。

「そうですね。手袋しないでライヴやったことないし、メイクはするけど口紅はめったに塗らないですね。女装したいわけではないので。音楽的な話でいうと曲のテンポを遅くするのにもすごいこだわったし」

―でもそれ勇気いりますよね? 20年前、新しく組んだバンドでいきなり曲を遅くやるって。
「そうなんですよね。今思うと世の中はわりと速い曲やってるバンドが多かったですしね。そこはホント速くやっちゃいたくなるのをグっとこらえて。曲を速くしない、叫ばない、怖い顔しない、不良っぽい感じでやらない、とか自分で勝手に決めた掟というか」

―もとがパンク好きだった人がでそれをやるってすごいですよね。
「ニヤニヤ、くねくねして歌うことが逆に過激なアプローチだと思ったんですよ。『UK/DK』でADICTSのMonkeyが“人を怖がらせることじゃなくて、目いっぱい楽しませるのが僕のパンクだ“みたいなこと言ってましたけど、それと近いかもしれません。まぁ、そのうちそれが普通になって今は全く意識もせずに自然にやってますけどね。だから最初はコミックバンドみたいにしか思われてなかったんじゃないかな?」

―そうですかねえ。自分からしたらPONさんがDJやるなんてすげえバンドだなって思ってましたけど。僕は当時グラムって『ZIGGY STARDUST』くらいしか知らなかったんですが、YOUNG PARISIANのライヴ観てすげえって思ったし。あと、ステージアクションが独特ですけど、影響を受けてる人とかいるんですか?
「ポップスターが好きなんですよね。Elvisだったり、Michael Jacksonだったり、BTSだったり。まぁ、もちろんDavid Bowieも。そういう自分のスター像を複合させた感じです。そこにはJohnny RottonもCHARMYも含まれる」

―他の日本のバンドマンにはない動きですよね。絶対笑顔だし。
「気持ち悪いですよね(笑)。ひねくれるんだろうな。主流に対するアンチでニヤニヤしてやれみたいなのが根底にあるんじゃないかな」

―周りの環境に対するアンチというか。反骨精神の塊というか。
「それは常にありますね。アンチまでいかないにしても逆いってやれ、みたいなのはわりとあります。パンクが多いと裏声でディスコやったり、パワーポップが周りに多いとロカビリーやってやれとか、ハードコアパンクの要素取り入れたりとか。最近はメンバーチェンジがあったりしたのでそれどころじゃないところがありますが、自分の中にはそういう逆行したい気持ちが常にありますね」

―結成20年で音源をリリースしていく中で最初はCDのアルバムが2枚続いて2014年くらいからずーっと7インチじゃないですか? そこは……
「こだわってるように見えるでしょ? 実は1st出した時にレコード出してなくてCDだけなのはレコードが売れなくなった時代なんですよ。その後、7インチしか出せてないのは今度CDが売れなくなった時代で。頭の中ではもう5枚くらいアルバム出してて、なんだったら僕のソロまで出てるはずなんですけどね(笑)。3rdアルバム出したいんですけどね……。ピアノとかストリングスとか打ち込み入れたいとか思ってるうちに時間経っちゃって……。でも7インチシングルってパッケージは遊べるし、楽しいから好きですね。あと、もう一個こだわりがあって。自主制作はしないという」

―あ、それもすごい気になってて。
「全部どっかのレーベルから出てるでしょ? なぜなら僕らはパンクバンドじゃないからなんです。DIYは素晴らしいけどDIYはしない。スターなんで(笑)。まぁこの先やるかもだけど今のところはそうです」

―たしかにそうですね。アルバムは見えてるゴールはあるけどそこにはなかなか辿りつかないからマイルストーンじゃないけど、シングルを出してるってことですかね。
「まさにその通りです」

―新作は?
「HELLO FROM THE GUTTERですね。ここもIDORAでレーベル始めてMASONNAだったりCOCOBATだったりPUNKBOIを出してる特殊なレーベルです。身近なとこでいうとVIVIAN BOYSやFLASHLIGHTSも。すごく信頼してます」

―そうやって7インチ立て続けに出してるなかで僕的にものすごく驚いたのが、まさかのAAレコードからのリリースで。
「あれは一生自慢できるなぁ」

―なんでAAだったんですか?
「あのシングルはもうハードコア ISSUEっていうか、DISCHARGEとEXPLOITEDをグラム化して、ジャケはTAKACHO LONDONさんに頼んで、AAから出すっていうストーリーが頭の中で出来上がってたんです。でもそれは誰にも言ってなくて。レコーディングを終えた後にPONさんとTAKACHOさんに同時に音源送って、“実は……”とお願いしたら快諾してくれたんですよ。数日で完売してしまいましたが、楽しかったですね」

―あれはある意味事件でしたね。ホントうらやましかったです。カヴァーもいろんな曲をやってますけど、それはどういう風にきめてるんですか?
「カヴァーにかかわらずこれグラムにできるんじゃないかな? ってのは日々考えてますね」

―じゃあ常に聴いてる音楽はその変換をしてるわけですか?
「してますね(即答)」

―それがもうすごいですね。
「病気ですね。多分ブレイクビーツとかと同じじゃないですかね? ヒップホップのトラックのネタみたいな。まぁでも案外多いですからね。いろんなとこにグラムロックって転がってるんですよ。パンクやメタルやゴスのルーツでもあるし、歌謡曲の中にもあったりする」

―まぁ、なにかにつけありそうですよね。そういえばLAUGHIN’ NOSEの『FALLIN ‘ FALLIN' INTO YOUR HEART』 もやってましたよね。
「そうですね。あの頃、ラフィンはあの曲やってなかったんで。みなさんに思い出してほしくて」

―あれは元々グラムっぽい曲ですよね。

「そうなんですよ。昔、CHARMYさんにあれめっちゃグリッターですよ!って言ったら、そうなん?グリッターって何?って言われましたけど(笑)。天然でグラム作ってたんですね。ラフィンには本当にすごく影響うけましたねえ。今回のシングルにしてもそうですけど、僕の曲ってリフレインが多いでしょ?あれはもうラフィンの影響が染みついてるんじゃないかなっておもいます。『CRAZY SATUDAY NIGHT』」とか『ダウンタウンに向かって』あたりの感じ」

―根底にあるんですかね?
「BOOWYとかブルーハーツじゃないんですよ。絶対的にラフィンです」

―さてニューシングルですが、僕からすると90年代にNHK FMから流れてきてたようなフリッパーズ・ギターだとか、僕らみたいな地方の人間からすると見たこともないようなオシャレな世界を感じました。
「わー、それはうれしいです。僕はド田舎の生まれなのでとにかくオシャレにしたいんですよ(笑)。オシャレじゃないなら解散した方がいいくらい」

―今回のは20周年記念ですか?
「いや!これ去年の5月に入稿したのにまだ届かないんですよ(笑)。コロナのせいでしょうね」

―20年ふりかえってどうですか? まぁ、ここ何年かメンバーチェンジもあったかと思いますが。

「もちろんいろんなことはありましたけど、この20年メンバーのおかげで本当に楽しくやれてますね。辞めたメンバーやサポートやってくれた方々ともいまだに仲良くやってますし。そんな中であえていいますけど、今のメンバーはほんっとカッコイイです。オリジナルメンバーのギター2人はもちろん最高。そんでリズム隊が今女性なんですが、この二人がもういでたちもプレイもとにかくカッコイイ。全員自慢のメンバーですね。だから凄く観てほしいです」

―まとまってるっていうか、それぞれ個性があってすごくいいですね。
「全員ピッチャーみたいになってきましたね。全員野球……野球知らないけど(笑)。まぁ20周年ってことで……みんな〇周年とかダサいって言うと思うんで、逆にあえて20周年って言いまくろうかと思います(笑)」

―LAUGHIN’ NOSEは〇周年とかそういうのは言わないのに、Tsuneさんそれ言っちゃうんだって違和感があったんですけど、たしかにそれもアリというか。
「個人的には死んだら追悼ライヴとかトリビュート盤とかやってほしいタイプなんで(笑)。20周年と騒いだり、パンクじゃないことにやたらこだわったりというのがもしかして僕なりのパンクなのかもしれませんね」

―僕の周りの“自分はパンクじゃない”って人たちにかぎって根っこがめちゃパンクで、その人らが言ってることがパンクなんですよね。
「ジョニー・ロットン好きだったらひねくれてもしょうがないですよね。パンク聴いてパンクやるのは本当に純粋で真面目な人だと思いますよ。それもまた素晴らしいと思います」

―では今後の展望は?

「僕らはグラムロックの世界最先端だという自負はあるんで、僕らがこれからやることが最先端のグラムですよ。常にアップデートしてたいですね。日常も含め常に」

―それがいろんなシーンの人に支持されてる理由なんでしょうね。他のメンバー、例えばKeiji Ronson氏がJOE ALCOHOLさんのアルバムに参加したりとかYOUNG PARISIAN以外で活躍してることはどう思ってます?
「誇りに思ってますよ。さすがだなって。自慢ですね。ただ、僕自身はYOUNG PARISIAN以外でやりたいことはないですね。例えばソロでやりたいことを考えてみると……それはYOUNG PARISIANなんです。YOUNG PARISIANでいっぱいいっぱいです。あ、これ『BOLLOCKS』でCHARMYさんがこないだ言ってたことのパクリです(笑)。でも、それが本心ですね」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?