平成の同性愛者と槇原敬之
槇原敬之氏の曲が令和のティーンの間で来てるらしい。
1992年に出された「もう恋なんてしない」をドリルミュージック風にアレンジして振付をつけた動画を、若者の間で流行してるショート動画共有アプリ「ティックトック」に誰かがアップしたところ大拡散されて、類似動画を制作するユーザーが続出。今、槇原氏が再ブレイクしている。
素敵な歌が若者の間に親しまれているのは嬉しい。
まあ槇原敬之についてすごく詳しいわけではないのだけどw
彼について知っていることと言えば
大阪府高槻市出身であること
同性愛者であること
ゲイ専門の出会い系で知り合った男性と交際関係にあったこと
違法薬物で2回逮捕されていること
ぐらいだろうか。
だけど槇原氏の歌は平成の同性愛者コミュニティにいた私にたしかに寄り添ってくれていた。
令和に突入した頃、私は様々な事情から同性愛者コミュニティから離れたのだけど、今でも槇原氏の曲を聴くと、心の奥にある柔らかいところが刺激されてノスタルジックな感傷が溢れてくる。
どんなときも
初めて槇原敬之の歌を良いなと思ったのは今からちょうど10年前。
2014年春、東京レインボープライドのパレードに参加した21歳のときだった。
関西の性的マイノリティ界隈で知り合った友人知人と、このために夜行バスで東京に行った。
パレードの列に並び、レインボーフラッグを掲げて東京シティを歩いた。
たくさんの通行人が手を振ってくれた。
沿道のショップの店員さんも店前に出てきて笑顔で手を振ってくれた。
音楽隊が演奏する「どんなときも」が聞こえてきた。
明るくて、パワフルで、希望にあふれたムードにちょっと泣きそうになった。
高校でも大学でも、自分が同性愛者であることは伏せて、ひっそりこっそり生きていたので、日常の密やかさとパレードの晴れやかさの落差に心がびっくりしていた。
同性愛者である自分をこんなに肯定してもらえていると感じたのは初めてだった。
そのときの動画がYouTubeにあったので貼っておく。
このころに比べると、同性パートナーシップを導入する自治体も増えて、LGBTへの理解が進んだと思う。
それと同時にLGBTをめぐる課題も複雑化してきた。
ゲイの代理出産は貧困女性の搾取じゃない?
企業が「ダイバーシティ」をアピールする手段にレインボーが使われてない?
トランス女性の権利が拡大されたら、生得的女性の安全をどう守るの?
婚姻制度そのものが時代遅れと指摘されているのに同性カップルにも適用するの?
色んなことを考慮すると手放しに「LGBTの権利を守れ」と声高に叫ぶ気になれなくなってしまってLGBT界隈から離れてしまったのだけど、
10年前、あのキラキラした時間を彩ってくれた「どんなときも」の演奏はずっと心に残っている。
「どんなときも どんなときも ビルの間きゅうくつそうに落ちていく夕陽に焦る気持ち 溶かしていこう」の歌詞が特に好き。この表現を思いつくのが天才すぎる。
もう恋なんてしない
「もう恋なんてしない」は、交際相手の女性から振られて失恋していた時期に聴きまくっていたw
歌に登場するのが「君」と「僕」だから同性カップルにもすんなり置き換えられる。
2本並んだ歯ブラシを一本捨てるとか相手の趣味で買った服を捨てるとか情景がセンチメンタルすぎて心にしみる。
「君宛ての郵便がポストに届いてるうちは 片隅で迷っている背中を思って心配だけど」の表現も良い。
もう逮捕されないで😭
2度あることは3度あるって言うけど、もう逮捕はされないでほしいな😢
2回目の判決が出たとき、裁判官はこんな言葉を残したらしい。
「最後に、私の個人的な話をさせてください。私はなかなか司法試験に受からず、気持ちがめげかけたことが何度もありました。そんなとき、私を力づけてくれたのが被告の歌です。私は気持ちが折れかけたとき、何度も被告の歌を聴いて元気をもらい、どうにか司法試験に受かることができました。被告は私の恩人でもあるのです。その恩人と、今こんな形で会わなければならないのは、私にとってつらいことです。ぜひ立ち直って、また私たちに元気をください」
自分を支えてくれたアーティストを「被告」と呼ばないといけなくなった裁判官は切なかっただろうな…。
槇原氏には違法薬物を必要とする何かがあったのだろうけれど、どうにかクリーンで生き抜いていける術を見つけられたらいいなと勝手ながら思ってる。