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きっかけ

たまに流れてくるURLに飛んで、読んでいていいなぁと思うblogの文章は自分自身のことを書いているものでした。

もちろんblogは自分のことを書くことが多いけれど、内容が自分に向かっているというか、過去を振り返ってみたり、自分の考えを書いたり。
あまり読み手を意識していない感じがしました。
(もちろん全く意識していないわけではないですけれど。)

そこがとても良いと感じました。
「この人はこういう事があって、こういう考えになったんだ、自分はどうだろうか。」と考えることができました。

学校を出て、就職して、結婚して、親になって…。
そういうマジョリティのロールモデルは良くも悪くもたくさんありますが、
いわゆるLGBTsには、リアルなロールモデルがあまりありません。

私(つれづれつづり/000)は、ゲイです。

「オネエ」という言葉は今のような一般的な言葉ではなくゲイ同士で使う程度でしたし、「オカマ」や「ホモ」は悪口でした。「ゲイ」という言葉もそんなに耳にしなかった気がします。
テレビで見る「オカマ」や「ホモ」はおすぎとピーコのお二人やドラァグクイーン的な女装をした人、または「ニューハーフ」と呼ばれる人たちでした。

インターネットが普及して個人で発信できる機会が爆発的に増えました。
個人のホームページ、ブログ、SNSと様々です。
LGBTsが昔より認知されてきたのも感じます。

SNSがメインになった最近は「足跡」や「いいね」を多くもらえるように「他人」を意識した文章が増えてきたように思います。
自分自身もそうです。せっかくならいいねをもらったほうが良いと思います。

でも、そこには「リアルな等身大の自分」ではなくて「ちょっと(ではないことも多々)盛った自分」がいるように見えます。

毎日暮らしていれば良いことも悪いこともあるけれど、せっかくSNSに載せるならいいところを切り取る。良いところばかり載せて「いいね」が増えれば、そればかり載せたくなります。逆にダメな部分を出したとしても、それをおもしろネタとして書いて「いいね」をもらいたくなる。

それは「他人」を意識しているから。
もちろん「他人」を意識することが悪いことではないですし、それはそれで良いんだと思います。個人の考えですし、自分もやっています。

ただ、冒頭に書いたような文章を良いなと思えたのはきっと「他人」を意識することに違和感を感じたからなんだと思います。

自分がもっと若い頃、もっと悩んでいた頃に「リアルな等身大」の文章をたくさん読めていたら楽だっただろうなと思います。
「自分と同じような人がいるんだ」というだけでまず違いました。
さらにゲイの中でもいろいろな人がいるんだ、色々な悩みもあるんだと思えていれば、もっと楽だったように思います。

あの頃のくすぶっていた自分に向けて、「リアルな等身大」の文章を書くことで自分の過去を消化(または昇華)できるのではないか。そして今悩んでいる人が楽になれるのではないかと思って「つれづれつづり」をはじめてみました。

一人でやるのもつまらないし、続かないかなとおもって数人に声をかけました。(もっとざっくりとしてましたが)上記のようなことを聞いてもらって賛同してもらいはじめました。

「つれづれつづり」をはじめようとおもったきっかけはこんな感じです。

※「LGBTs」という表現については悩みました。「セクシャルマイノリティ」なども候補にあげましたが、今わかりやすいということを加味してそうしました。


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